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ペルシャの王朝概説(その4)

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2018/04/01

■近世以降■

 

サファヴィー朝(1502-1736)

イラン北西部のアルデビルにあったサファヴィー神秘教団の指導者イスマイル1世が樹立した王朝。イスマイル1世はトルクメンの騎馬集団キジルバシュを率いて白羊朝を倒し、次いでシャイバニ朝をホラサンで破ってイラン全土を制圧しました。タブリーズを首都にイスラム教シーア派の一派である十二イマーム派を国教としますが、スンナ派を信奉するオスマン帝国の侵攻を受け、チャルディランの戦いに敗れてタブリーズを奪われます。イスマイル1世の息子、タハマスプ1世は首都をカズヴィンに移し、コーカサス南部に侵攻。第5代君主アッバス1世の時代にはオスマン帝国からアゼルバイジャンとイラクを奪還して最盛期を迎えました。アッバス1世は軍事を整えて中央集権を確立。1597年にはイスファハンに遷都するとともに貿易を振興し、「イスファハンは世界の半分」といわれるほどの繁栄を築きました。しかしアッバス1世の死後、王朝は衰退。1722年、ミール・マフムード率いるアフガン人にイスファハンを占領され、その支配下に入りました。その後、宮廷を動かしていた部将のナーディル・クリーがアフシャル朝を建国。サファヴィー朝は消滅しました。

 

アフシャル朝(1736-1796)

サファヴィー朝第11代君主、アッバス3世の摂政であったナーディル・クリーが興した王朝。トルコ系アフシャル族出身のナーディルは、オスマン帝国やアフガン人のホータキー朝に奪われた領土の大半を奪還し、宮廷内における実権を掌握します。彼はアッバス3世を退位させ、ナーディル・シャーを名乗って即位。マシャドを都としてアフシャル朝を開くと、バルーチスタンからインドに侵攻。ムガール帝国の首都デリーを占領し、「孔雀の玉座」など多くの戦利品を持ち帰りました。暴君として知られるナーディルが1747年に暗殺されると、イラン西部にザンド朝が勃興。アフシャル朝は衰退し、やがてアガー・ムハンマドのカジャール朝によって滅ぼされました。

 

ザンド朝(1750-1795)

ザンド族の族長、カリーム・ハーンがイラン南部のシラーズを都として起こした王朝。カリーム・ハーンはアフシャル朝のナーディル・シャー暗殺後の混乱に乗じ、最後のサファヴィー朝君主アッバス3世の孫、イスマイル3世をシャーに擁立し、自らは摂政となって傀儡支配を行いました。アフシャル朝が支配するホラサン地方を除いたイランを領有し、更にアゼルバイジャン、イラク南部に進出します。シラズ、イスファハンの復興を進めるとともに農業や英国との貿易を振興して繁栄を見せたものの、カリーム・ハーンが没すると後継者争いが起こり弱体化。幽閉されていたシラズを脱したアガー・ムハンマド・ハーンが興したカジャール朝によって滅ぼされました。

 

カジャール朝(1779-1925)

トルクメンのカジャール部族連合の指導者であったアガー・ムハンマド・ハーンが興した王朝。ザンド朝に囚われていたアガー・ムハンマドはキャリーム・ハーンの死後、シラズを脱するとカジャール部族連合を率いてイラン北部に進出。ザンド朝を倒し、テヘランで即位しました。彼はホラサンのアフシャル朝を滅ぼしサファヴィー朝の失地回復を成し遂げます。1797年にアガー・ムハンマド・シャーが暗殺されると、グルジアの領有をめぐってロシアと対立。二度の戦争に敗れてコーカサス地方の大半を失いました。更にバクー油田の利権獲得をもくろむ英国がイランに進出。イランは英露の反植民地と化します。民衆の不満はバーブ教徒の乱(1848年)、タバコ・ボイコット運動(1892年)、立憲革命(1905年)となって現れ、国内は混乱。地方政権が乱立する状態となり、無政府状態に陥りました。1921年、ペルシャ・コサック旅団長のレザー・ハーンがクーデターにより実権を掌握。アフマド・シャーを退位させパフラヴィー朝を興しました。

 

パフレヴィー朝(1925-1979)

クーデターにより実権を得たペルシャ・コサック旅団長、レザー・ハーン大佐がカジャール朝を廃して樹立した王朝。アフマド・シャーを退位させたレザー・ハーンは、「シャーハンシャー」(諸王の王)を名乗って即位。軍と議会を掌握して法制などの近代化を進めるとともに、女性の社会進出を奨励するなど世俗化を図りました。1935年には国名をイランに改めてササン朝の復活を目指しますが、第二次世界大戦が勃発すると親ナチスであったレザー・シャーはイランに侵攻してきた英ソによって退位させられ、息子のモハンマド・レザーが帝位につきます。彼はオイルマネーの独占と秘密警察を用いた独裁を背景に「白色革命」を断行。急速な西欧化を目指しました。しかし、これは貧富の差を拡大させる結果を招き、国民の不満が鬱積。ルーホッラー・ホメイニ師を頂くイラン革命が起こるとエジプトに亡命し、王朝は消滅しました。

 

イスラム共和国(1979-)

イラン革命により屋折れたパフレヴィー朝に代わって誕生した共和制国家。パフレヴィー朝のモハンマド・レザー・シャーによる白色革命が招いた経済格差の拡大は、多くの国民に帝政に対する不満を鬱積させました。それはイスラムへの回帰を求める運動へと繋がり、帝政を批判してイランを追われた反体制派の指導者、ルーホッラー・ホメイニ師は亡命先のパリからそれを扇動します。1978年1月、ホメイニ師に対する中傷記事が新聞に載ったことをきっかけにクムで暴動が発生。暴動は各地に拡がり、軍や警察の発砲により多くの死傷者が出る事態に発展しました。もはや収拾は困難と悟ったシャーは家族とともにエジプトに亡命。ホメイニ師が帰国して政権の座に就き、国民投票の結果イスラム共和国が成立しました。1979年11月、米国がモハンマド・レザーの入国を受け入れたことからテヘランでは米国大使館占拠事件が発生。それを契機にイランと米国は国交を断絶し今日に至っています。

 

※革命後のイランではパフレヴィー朝のシャーの肖像はもちろん、帝室の紋章である太陽を背負い剣を手にしたライオン像(通称サン・ライオン)を絨毯のデザインに用いることは禁じられていました。それが解禁されるのは1997年に、穏健派として知られたモハンマド・ハタミ大統領が就任してからのことです。

 

 

画像:上から

 

・サファヴィー朝初代君主 イスマイル1世(在位:1501-1524)

・サファヴィー朝第2代君主 タハマスプ1世(在位:1524-1576)

・サファヴィー朝第5代君主 アッバス1世(在位:1588-1629)

・イスファハン イマームの広場(旧シャーの広場)

 

・アフシャル朝初代君主 ナーディル・シャー(在位:1736-1747)

・ザンド朝初代君主 キャリム・ハーン(在位:1750-1779)

・カジャール朝初代君主 アガー・モハンマド・シャー(在位:1779-1797)

・ゴレスタン宮殿(テヘラン)

 

・カジャール朝第7代君主 アフマド・シャー(在位:1909-1925)

・パフラヴィー朝初代君主 レザー・シャー(在位:1925-1941)

・パフラヴィー朝第2代君主 モハンマド・レザー・シャー(在位:1941-1979)

・サン・ライオン

 

・イスラム共和国初代最高指導者 ルーホッラー・ホメイニ(在任:1979-1989)

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