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最後の遊牧民「カシュガイ族」の真実

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2018/05/01

はじめに

 

ギャッベ人気を受け、イランの遊牧系部族であるカシュガイについて興味をお持ちになる方が増えているようです。

カシュガイについてはことさら「遊牧民」を強調し、きわめて平和的かつ牧歌的な印象を植え付けるが如き記述ばかりを見かけますが、実は血気盛んな武装集団として、ときの政権と対立し続けてきたこと。

あるいは人種的マイノリティとして現在も差別の対象になり得ていることなど、商売のためのイメージ作りにマイナスとなりそうな側面を伝えるサイトは皆無といってようでしょう。

そこでこのカシュガイについてより詳しく紹介し、彼らの真実を知っていただくための一助にしたいと考えました。

 

 

歴史

 

カシュガイの源流は中央アジア北部のトルコ系遊牧民族オグズにあるというのが定説。

オグズはやがて南下してトルクメンとなりますが、カシュガイはもとはトルクメンの一派で、その名はトルコ語で馬の白斑を意味する「カシュカ」に由来するとした説があります。

馬の白斑は勇者・英雄のシンボルでした。

また、現在は新疆ウイグル自治区のカシュガルを出たサード・イブン・ザンギに従った2万人の一行が自身を「カシュガリ」と称し、それがカシュガイになったとする説。

あるいはカシュガイはもとはトルクメンのヨムート族で、彼らを指す「カシュク」が訛ってそうよばれるようになったなど、出自についてはいくつもの説があります。

 

カシュガイは一説によると13世紀、チンギス・ハンの征西に参加して中央アジアからコーカサス地方に進出。

やがて白羊朝の成立に加わったのち、白羊朝がサファヴィー朝に倒された後の16世紀初頭、サファヴィー朝初代君主イスマイル1世によりイラン南部のファース地方へ強制移住させられたといいます。

これはポルトガルが海から侵攻してきた際にカシュガイをこれと戦わせるため、そしてザグロス山脈の彼方に追放することによりその脅威をなくすためであったとのことですが、それを裏付ける確たる証拠はありません。

 

この部族が注目を集めはじめるのは1750年に興ったザンド朝の時代からです。

同じオグズ出身のトルクメン同様に、その好戦的かつ反抗的な姿勢に歴代の中央政府は手を焼いてきました。

カシュガイを抑えるため、カジャール朝のナセル・ウッディーン・シャーにより1861・2年にかけてに結成されたのが「ハムセ部族連合」であることはよく知られています。

カシュガイの武闘派としての性質は20世紀に入ってからもたびたび現れ、第一次世界大戦中の1918年、英軍の南ペルシャ・ライフル隊と戦いこれを撃破。

1930年代初頭には平定に乗り出した政府軍と一戦を交えて敗北しました。

これにより部族連合の総長(イルハン=最高指導者)であったサウラト・ウッダウラは彼の息子とともに捕らえられ、のちにウッダウラは処刑されます。

第二次世界大戦後はソ連に近づくモハンマド・モサッデク首相を支持してモハンマド・レザー・シャーと対立し、更に1962年から64年にかけてはシャーが進める「白色革命」の農地改革に抗して蜂起。

反乱は鎮圧され、総長のホスロー・ハーン・カシュガイはドイツに亡命します。

ホスローはイスラム革命によりパフラヴィー朝が倒れたのちに帰国しますが、新イスラム政権は彼を拘束し、「この集団の権利と自治権の獲得を支持した」として公開処刑しました。

 

現政権は定住を拒むカシュガイの世帯には厳しい態度で臨んでいるといわれます。

最近では、フゼスタン州で牧草地を没収するなどの差別的政策を実施したとして、国際社会から非難を受けました。

また、人種的マイノリティであるカシュガイはヨーロッパにおけるジプシーのごとく、現在も様々な差別の対象となり得ているとして人権団体からは危惧する声が上がっています。

 

 

組織

 

部族連合の総長は傘下にあるすべての部族を統括。

各部族(タヴァッエフ)の族長がその傘下にある各支族=氏族(ティーレフ)を統括し、支族長は一族の各世帯を統括するという厳格な階層制度が機能しています。

数千人以上の人口を擁する大部族ではおよそ100世帯毎にグループ化されており、宿営地間の移動はグループ単位で波状的に実施。

その統率のとれた姿はカシュガイ独特のものとして有名です。

 

 

構成部族

 

カシュガイは単一部族ではなく、複数の部族の連合体。

自らが主張するところによると部族連合全体の人口は100万人から150万人ですが、実際は40万人から25万人ほどといわれます。

こうまで開きが出る理由は彼らが戸籍を持たないから。

これまで何度か調査が行われてきましたが、2008年の調査結果に基づき世帯数が多い順に構成部族を紹介します。

 

カシュクリ族(5,512世帯)

クルディスタンからファース地方へと移り住んだといわれる部族。

カシュクリ族は「大カシュクリ族」(カシュクリ・ボゾルグ、4,862世帯)と「小カシュクリ族」(カシュクリ・クーチェク、650世帯)とに分かれており、大カシュクリ族のほとんどはイラン南西部最大の町であるシラーズの西から北西にかけての地域に定住しています。

もとは一つであったカシュクリ族が二つに分裂したのは20世紀に入ってからのこと。

第一次世界大戦の際、カシュガイ部族連合総長サウラト・ウッダウラは、ドイツ領事館のヴィルヘルム・ワスムスと手を組んでドイツを支援しました。

しかし、カシュクリ族はそれに反して英国を支援。

戦後、アッダウラはカシュクリ族の有力者たちを排斥した上、自らに忠誠を誓う者だけを部族本体から分離独立させます。

このとき分離独立した集団が小カシュクリ族、残る本体が大カシュクリ族とよばれるようになりました。

カシュクリ族は大小いずれの部族もが、きわめて質の高い絨毯の織手として知られています。

なお、カシュクリ族が製作する絨毯の中には18世紀のインドやアフガニスタンの絨毯によく似たデザインがありますが、これはアフシャル朝のナーディル・シャーが戦利品として持ち帰った絨毯がイラン南部に運ばれたからというのが定説です。

 

アマレ族(5,397世帯)

チャハルマハル・バクチアリ地方からファース地方へと移り住んだといわれる部族。

アマレ=奉仕の名が示す如く、もとは総長一家の警護や身辺の世話にあたる小部族でした。

現在は実質的な最大勢力として部族連合を支配するまでに成長し、カシュガイ総長はアマレ族のシェカルー家の男性から選ばれるのが慣例。

2008年の調査では450世帯が定住しているとあります。

 

ダレシュリ族(5,265世帯)

もともとファース地方にいた部族で、カシュガイの傘下に入ったのはザンド朝の時代、18世紀後半になってからといわれます。

古来、狩猟に長けていることで知られ、馬の保有と育種にかけては部族連合内随一。

「ダレシュリ馬」はアラブ種の名馬として有名です。

パフラヴィー朝を興したレザー・シャーはダレシュリ族長であったホセイン・ハーン・ダレシュリの力を借りてファース地方を平定しました。

 

シシボルキ族(4,350世帯)

イラク北部に住むイラク・トルクメンの分派とされており、イラク北部からイラン北部へと移動。

その後、ファース地方へ移り住んだといわれ、シシボルキの名はイラン北部カラジェスタンの「ボルケ・シシ」に由来すると説く研究者もいます。

かつては素晴らしい絨毯を製作していましたが、現在はキリムの方が有名。

 

ファルシマダン族(1,505世帯)

カシュガイの本流といわれるカラジャ族の分派とされる部族で、カラジェスタンからファース地方へ移り住んだといわれます。

1590年に族長のアブドルカゼム・ベグが、サファヴィー朝のファース総督であったヤコブ・ハーンと共謀してアッバス1世に謀反し処刑されているので、既に16世紀後半にはファース地方に移住していたのでしょう。

現在のカシュガイは、このファルシマダン族にいくつかの部族が合流して形成されたとする説があります。

 

カラジャ族(430世帯)

トルクメンの一派であったとされ、カシュガイの始祖となった部族であるともいわれます。

カシュガイの名はトルコ語の「カチ・カイ」が訛ったもので、カチは脱走、カイはカラジャ族の俗称。

つまり「カラジャ族の脱走」を意味すると説く研究者がいます。

カラジェスタンからファース地方に移り住んだとされますが、ファルシマダン族などと分裂した経緯・時期については定かではありません。

 

ラヒーミ族(370世帯)

部族名は創設者の名に由来するものと思われますが、出自等については不明です。

 

サフィハニ族(335世帯)

ルリスタンからファース地方に移り住んできたといわれ、その名はおそらく創設者であろうサフィ・ハーンに由来するものと推測されますが、資料が乏しく詳細については明らかではありません。

 

 

生活形態

 

大きく分けると「定住民」と「遊牧民」になりますが、冬の間は定住生活を送り、夏になると遊牧生活を送る半定住民もいます。

政府が進める同和政策を受け入れ、定住化する世帯は年々増加しているのが現状。

既にカシュガイの全世帯の半分ほどが定住化もしくは半定住化しているといわれます。

 

定住民

きわめて統制のとれた部族として知られるカシュガイですが、その背景にあるのは厳格な階層制度。

たとえ定住したとしてもそれは変わることなく、定住民には三つの階層が存在しています。

第一階層にある人たちは広大な土地や多数の家畜を所有しており、とても裕福。

部族内はもちろんファース州や中央政府にまで影響力を及ぼす者もおり、シラーズなどの都市部に居を構えています。

第二階層にある人たちは程度の差こそあれ土地や家畜を所有し、放牧あるいは小作人として自営している者がほとんど。

第三階層にある人たちは土地や家畜を持たず、第一階層あるいは第二階層の人たちに雇われて生活しており、労働の対価として食料や衣類、家畜を受け取るのが一般的です。

絨毯やキリムは定住民にとっても大きな収入源の一つであるのが実際。

ギャッベやキリムを「遊牧民が製作した敷物」とする説明は現実に則したものではありません。

織機は「水平型固定式」を用います。

 

遊牧民

カシュガイの遊牧民は毎年、夏と冬の宿営地の間を片道2~3ヵ月かけて移動。

その距離は500キロメートルほどにも及びますが、ルートはイルハンにより部族ごと明確に定められており、重なることはありません。

各部族は自らのルートに従い、波状的に移動します。

夏の宿営地(ヤイラク)はザグロス山脈南端の海抜3,000メートルのディナール山の斜面で、これは富士山の7合目とほぼ同じ高さ。

彼らは秋になるまでこの地で過ごし、やがて山を離れて平野に移動したのち、4月までをシラーズ南方にあるフィルザバドの西から南にかけての冬の宿営地(キシュラク)で過ごします。

そして、春になるとまた移動……。

移動には小型トラックやバイクも用いられます。

なお、カシュガイの遊牧民は絨毯やキリムの製作に一時間もあれば分解もしくは結合が可能な「水平型移動式」の織機を使用してきました。

しかし最近ではトラックで大きな荷物も運べるようになったため、分解・結合不要な水平型固定式織機が使われるようになってきています。

 

 

その他

 

言語

アゼルバイジャン語に似たカシュガイ・トルク語のほか、ほとんどがペルシャ語を話します。

 

宗教

カシュガイの94パーセントがイスラム教シーア派(十二イマーム派)を信仰しており、残りの6パーセントがキリスト教徒です。

ただし戒律には厳格でなく、とりわけ総長は自らを聖職者として崇めさせることで統治を円滑に行っているとも。

なお、現在のイスラム政権はカシュガイの伝統的な音楽、舞踊、競技を反イスラム的であるとして批判しています。

 

服装

男性は「ドグーシ」とよばれる帽子を着用します。

ドグーシは「二つの耳」の意で、左右に耳覆いが付いたベージュ、カーキあるいはグレーのフェルト製。

1928年から41年にかけてレザー・シャーは民族衣装の着用を禁じていましたが、解禁後この帽子はカシュガイ男性の象徴として定着しました。

女性は実にカラフルなスカーフ、チュニック、ロングスカートを身に着けています。

1979年のイスラム革命以降、イラン政府は国内の女性に対しチャドルもしくはマグナエ(頭巾)+コートの着用を義務付けました。

それはカシュガイの女性たちとて例外ではなく、街に出る際には華やかな衣服の上にチャドルを羽織るようになっていますから、バザールなどで見かけても気づかないかもしれません。

 

結婚

結婚は家族間で決められるのが伝統。

結婚式の日取りはその数日前に花嫁とその家族に知らされます。

新郎の家族が到着すると花嫁は馬で式の場に運ばれるとともに、花嫁の女性親族は準備に移行。

結婚式は数日間にわたって執り行われ、音楽やダンスが披露されます。

かつては部族を超えての結婚などあり得ませんでしたが、最近では他部族はもとよりイラン人との結婚も珍しいことではなくなりました。

 

 

おわりに

 

カシュガイはFacebookページ(Qashqai tribe)も持っています。

すべてペルシャ語ですが、彼らの生活を垣間見ることのできる画像もふんだんですので一度ご覧になってはいかがでしょうか。

 

https://m.facebook.com/Qashqai-tribe-54392071015/

 

 

画像:上から

・カシュガイの戦闘部隊

・ホスロー・ハーン・カシュガイ

・カシュガイの旗

・同上(中心にあるのは白羊朝の紋章)

・同上

・20世紀初頭のカシュガイ(カシュクリ)絨毯

・18世紀のインド(カシミール)絨毯

・19世紀後半のカシュガイ(シシボルキ)絨毯

・カシュガイの定住民

・同上(水平型固定式織機を使用)

・カシュガイの遊牧民(バイクに注目)

・同上(12歳までの子供たちが通うテントスクール)

・同上(水平型移動式織機を使用)

・各部族の夏と冬の宿営地

・カシュガイの結婚式

 

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