セムナン

セムナンはイラン中北部、セムナン州の州都で人口は約15万人。

住民は多様な方言を話すことから「方言の島」とも呼ばれます。

アルボルズ山脈とカビール砂漠の狭間に位置するこの町は、シルクロードの要衝として栄えてきました。

セムナンの名の由来についてはいくつもの説がありますが、町の人々は預言者ノアの子のうちのシム・アンナビとラム・アンナビの二人がこの地にやってきて「シムラム」と呼ばれるようになり、やがてセムナンになったと信じているようです。

この町の歴史は古代ゾロアスター教の時代まで遡ります。

ゾロアスター時代には「ヴェーン」「ヴェルネ」と呼ばれ、セレウコス朝期には「コメシュ」「ゴメシュ」と呼ばれていました。

アルケサス朝の時代になるとこの町付近に首都ヘカトンピュロスが置かれ、大いに栄えたと伝えられます。

その後、セルジュク朝の侵攻により破壊されますが、トルコ人たちはこの町を整備し、モスクなどを建設しました。

しかしモンゴルの侵攻によって再度破壊され、町が再建されるのはサファヴィー朝の時代になってからのことです。

カジャール朝の母体となったカジャール部族連合は古来セムナン、マザンダラン、ゴレスタン地方の山間部をテリトリーとしており、そのため一族の暮らすセムナンはカジャール朝の重要拠点となるに至りました。

更に新たに首都となったテヘランからイスラム教シーア派最大の聖地であるマシャドに至る幹線上にあったことから城塞が築かれ、町は発展を遂げます。

かくの如くカジャール朝と結びつきが深かったセムナンの住民がカジャール朝を倒したパフラヴィー朝に好感を抱くはずがなく、その懐柔策としてパフラヴィー朝は町の近代化を優先しました。

セムナン城塞の門

セムナンで絨毯製作が始められたのはテヘランと同時期、19世紀末のことです。

コチニール・レッドと濃紺を基調とした垢抜けた都会的なデザインで、テヘラン産とよく似ているため、判別が困難なものも多いのが実際。

セムナン産はテヘラン産に比べると織りが緩く、やや柔らかいのが一般的です。

第二次世界大戦を挟んで品質が低下しますが、町の工業化にともない、絨毯製作はほとんど行われなくなったようです。

ペルシャ結び、ダブル・ウェフト。

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