マシャド

マシャドはイラン北東部ラザビ・ホラサン州の州都で、人口約250万人。

ヘザール・マスジェド山脈を挟んでトルクメニスタン国境に接するこの町は、テヘランに次ぐイラン第二の都市でありシーア派イスラム教徒にとって最大の聖地でもあります。

イマーム・レザー廟を擁し、毎年2000万近い巡礼者を迎えるほか、宗教教育の中心地として世界中きら多くの留学生を受け入れています。

マシャドの名は「マシュハデ・レザー」(レザーの殉教地)に由来するもの。

かつてはサナーバードと呼ばれていましたが、818年アッバス朝第7代カリフであったマームーンにより、トゥースにおいて毒殺されたアリー・レザーの遺体がこの地に葬られたことから殉教地として霊廟が建設され、以後次第に霊廟の周りに町が形成されたと言われます。

1501年に興ったサファヴィー朝が十二イマーム派を国教に定めるとマシャドはイラン最大の聖地となります。

1587年にはウズベク人のボハラ・ハン国、1722年にはアフガン人のホータキー朝による侵攻を受けますが、ナーディル ・クリー・ベグ(のちのナーディル・シャー)がアフガン人を追放してアフシャル朝を興すとその首都となりました。

帝王の絨毯(オーストリア工芸美術館蔵)

ホラサン地方には長い絨毯織りの歴史があるとされ、現存するサファヴィー朝期の絨毯の中にも「帝王の絨毯」ほか、かつてイラン東部最大の町であったヘラートで製作されたと推定される「ヘラート・カーペット」と呼ばれる一連の作品があります。

しかし、マシャドの町で絨毯製作が行われていたかについては闇の中です。

現代のマシャド絨毯については1880年代、この地にやってきたタブリーズ商人たちが工房を開設したのが始まり。

そんなタブリーズ商人のうちの一人がモハンマド・カフネモイで、彼の息子のアブドル・モハンマドとアリー・ハーンの兄弟はやがて「20世紀最高の絨毯工房」と称されるアモグリ工房を開くことになります(『20世紀最高の絨毯作家』を参照)。

 

モハンマド・イブラヒム・マフマルバフ(生没年不詳)とアッバス・ゴリー・サーベル(1901~1978年)

20世紀初頭に活躍した絨毯作家にはアモグリ兄弟のほかモハンマド・イブラヒム・マフマルバフやハメネイらがおり、彼らの作品はいずれも緻密な織りとデザインとによって高い評価を得ていました。

ただし、その暗めな色調は米国では不評で、輸出先はもっぱらヨーロッパであったと言います。

それゆえ、第二次世界大戦が始まりヨーロッパが戦場になると需要が激減。

大きなダメージを受けますが、ヨーロッパの復興とモハンマド ・レザー・シャーの振興政策により息を吹き返します。

この時期に活躍したのがアッバス・ゴリー・サーベルです。

彼は第二次世界大戦後に閉鎖されたアモグリ工房の元スタッフで、アモグリの実質的後継者となった人物でした。

ジャーファル・アサディアンの作品

絨毯産地としてはイスファハンやタブリーズに大きく水を開けられた感のあるマシャドですが、現在もジァーファル・アサディアンと息子らがアモグリやサーベルに劣らぬ逸品を製作しています。

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