ペルシャ絨毯産地45【ケルマンシャー】|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

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ケルマンシャーはイラン中西部ケルマンシャー州の州都で、人口約80万人。

標高1630メートルに位置するイラン西部有数の都市で、住民の大半がクルド人。

ケルマンシャーの名は「ケルマンの王」の意味で、この町を建設したケルマンの王に由来します。

ところが革命後「シャー」がパフラヴィー朝に通じるとのことからバフタラーンと改名されました。

それでも人々は旧名をこのんで使ったことから、現在はケルマンシャーに戻っています。

この地には旧石器時代から人が暮らしていたと言われ、ネアンデルタール人の存在を示すいくつかの痕跡が町の周辺で発見されています。

町は4世紀末にササン朝第13代君主であったバハラム4世によって建設されたとされ、その名は彼がかつてケルマンの王であったことをしてケルマンシャーと呼ばれていたことに由来するものと言われます。

以後ササン朝の夏の都として、またバグダッドへと至る「王の道」の要衝として栄えました。

640年、侵攻してきたアラブ人の支配下に入り、11世紀のセルジュク朝期にはクルド人の居住地域全体の主要な文化商業センターになります。 

サファヴィー朝はこの町をオスマン・トルコへの防波堤として強化しますが、アフガン人の侵攻によりサファヴィー朝が事実上滅亡すると、オスマン朝による侵攻を受け、二度にわたり占領されました。

カジャール朝期にはイラン立憲革命の拠点の一つとなります。

1914年にロシア軍、第一次世界大戦中にはトルコ軍に占領され、1917年に英軍により解放されました。

イスラム革命でも大きな役割を果たしますが、イラクとの国境まで120キロと近いことからイラン・イラク戦争ではイラク軍の攻撃に晒され、大きな被害を受けました。

イラン立憲革命

ケルマンシャーで産出される絨毯は主にクルド人によって製作されるものの、一般的なクルドの作品とは異なり、都市の絨毯を模した洗練されたデザインが多く見られました。

ビジャー産に似た丈夫な作りが特徴ですが生産量は決して多くはなく、古いものを今日見かけることは稀です。

イラン・イラク戦争で大きな被害を受けたイラム同様、戦後の復興に向けイラン絨毯公社主導による絨毯製作が始まり今日に至っています。

以前とは異なり、都会風の垢抜けたデザインが主流になっています。

トルコ結び、ダブル・ウェフト。

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