ペルシャの王朝概説・中世1

ウマイヤ朝(661~750年)

第4代カリフ(イスラム教の最高指導者)であったアリーの暗殺後、シリア総督を務めていたウマイヤ家のムアーウィア1世がカリフの位につき樹立したアラブ・イスラム国家です。

ムアーウィア1世

ダマスカスを都にイスラム世界の拡大と統一とを目指して「ジハード」(聖戦)を展開。

イベリア半島からインド北西部に至る広大な地域を支配下におさめ「パックス・イスラミカ」(イスラムによる平和)を築きました。

カリフは世襲制とされ、またアラブ人以外の被征服民にのみ税金を課すなどの強権策をとったことから不満が募り、預言者ムハンマドの家系にある者こそカリフに相応しいとするアッバス家によって倒されました。

ウマイヤド・モスク(ダマスカス)

 

アッバス朝(750~1258年)

預言者ムハンマドの血縁者であるサッファーフ(アブ・アッバス)がクーファに築いたイスラム国家。

第2代カリフとなったマンスールは766年、チグリス川西岸の村バグダッドに三重の城壁で囲まれた「マディーナ・アッサラーム」(平和の町)を築いて遷都するとともに、多くの非アラブ人改宗者を政治の中枢に登用。

『コーラン』が説くイスラムの統一に基づいた中央集権制を敷きました。

マンスール(在位:754~775年)
バグダッド(イラク)

やがて『千夜一夜物語』にも登場する第5代カリフ、ハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎えますが、9世紀後半になるとカリフの力は弱まり、地方では戦乱が相次ぐようになります。

945年にブワイフ朝、1055年にはセルジュク朝にバグダッドを占領されてその支配下に入り、その後モンゴル軍の襲来により滅亡しました。

ハールーン・アッラシード(在位:786~809年)

 

ターヒル朝(820~872年)

アッバス朝第7代カリフとなるマームーンの下で戦功をあげ、マームーン即位後にホラサン太守となったターヒルが興した王朝。

二シャ―プールを都としイラン北東部のホラサン地方を勢力下に置いていましたが、アッバス朝には朝貢を続け、領土的野心も見せませんでした。

ターヘル朝は初のイラン人によるイスラム国家として失地回復への灯火となったものの、シスターンに興ったサッファール朝にニシャ―プールを奪われ消滅しました。

ニシャープールの遺跡

 

サッファール朝(867~908年)

イラン南東部シスターン地方の盗賊団から身を興したヤークブ・イブン・アッライースが開いた王朝。

ヤークブはもとは銅細工師で、王朝名は同細工師を意味するアラビア語「サッファール」に由来しています。

現在のイラン・アフガニスタン国境のザランジを都とし、北部を除くイランからパキスタン以西の地域を勢力下に置きました。

その後バグダッドを攻略せんとアッバス朝に戦いを挑むも敗退。

ヤ―クブの死後、弟のアムール・イブン・アッライースが王位につきますがサーマン朝に敗れて事実上滅亡しました。

ヤークブ・イブン・アッライース(在位:861~879年)

 

サーマン朝(874~999年)

アム・ダリア南、バルフ地方の豪族サーマン家のナスル1世が、アッバス朝から独立して開いた王朝。

ナスル1世はサマルカンドを都とし、弟のイスマイルをブハラに派遣してホラサン攻略の拠点としました。

ナスル1世の死後、イスマイルは都をブハラに移して王位につき、サッファール朝を倒してホラサンを支配下におさめます。しかし10世紀後半から内乱により弱体化。

ガズナ朝とカラハン朝によって滅ぼされました。

サーマン朝のもとではイラン文化とイスラム文化の融合が進み、ペルシャ語の表記にアラビア文字が用いられるようになったほか、ルーダキー、ダキーキーらの詩人が登場。

ペルシャ文学が開花しました。

イスマイル・サーマニ(在位:892~907年)

ブハラ(ウズベキスタン)

 

ブワイフ朝(932~1055年)

 カスピ海の南、ダイラム地方の軍人であったアフマドが、アッバス朝のカリフから実権を奪取して樹立した王朝。

ブワイフ家のアリー、ハサン、アフマドの三兄弟はズィヤール朝のもとで勢力を拡大し、イラン南部に進出しました。

946年に末弟のアフマドがアッバス朝の混乱に乗じてバグダッドに入城。

カリフから大アミールに任命されイスラム法執行の権限を得ました。

これによりカリフの権威は形骸化するとともに、イスラム教におけるスンナ派とシーア派の力関係が逆転します。

その後、王族間の権力争いにより分裂傾向が強まり、やがて東方より侵攻してきたセルジュク朝によって滅ぼされました。

 

ガズニ朝(962~1186年)

マムルーク(トルコ人奴隷)出身でサーマン朝の軍人であったアルプティギーンがアフガニスタンのガズニに興した王朝。

第5代君主であったスブクティギーンはペシャワールに進出します。

その息子マフムードの時代にはサーマン朝を倒してホラサンを支配下におさめ、更に北インドに侵攻して最盛期を迎えました。

マフムードの死後、セルジュク朝に敗れてホラサンを失い、その後ゴール朝にガズニを奪われ滅亡しました。

マフムード(在位:997~1030年)

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