ペルシャの王朝概説・中世2

セルジュク朝(1037~1157年)

トルコ系遊牧民オグズ族の一派であるセルジュク家のトゥグリル・ベクが、ホラサン地方のニシャープールに樹立した王朝。

トゥグリル・ベクは1055年、アッバス朝カリフの救済を名分にブワイフ朝を排してバグダッドに入城し、スルタンの称号を授かりました。

第3代君主マリク・シャー1世の時代に全盛期を迎えますが、ビザンツ帝国と対峙し、十字軍が派遣されることになります。

12世紀半ばを過ぎると分裂が始まり、イルハン朝に吸収され消滅しました。

トゥグリル・ベク(在位:1037~1157年)

 

ゴール朝(1148~1206年)

ガズニ朝の支配下にあったゴール地方(アフガニスタン中部)のアラー・ウッディン・ムハンマドが、ガズニを奪って樹立した王朝。

1186年、ギヤース・ウッディン・ムハンマドとその弟シャーブはラホールに逃れていたガズニ朝を滅ぼし、ホラズム朝からホラサンを奪い領土を拡大します。

更に北インドに侵攻し、これを傘下に収めるとイスラム教の布教に努めました。

1206年にギヤース・ウッディンが暗殺されるとゴール朝は分裂状態に陥り、北インドではマムルーク(トルコ人奴隷)出身の部将、クトゥブ・ウッディン・アイバクが奴隷王朝を興して独立。

弱体化したゴール朝はホラズム朝に併合され消滅しました。

 

ホラズム朝(1077~1220年)

セルジュク朝の支配下にあったホラズム地方の太守、アヌーシュ・デギーンが興した王朝。

アヌーシュ・デギーンの死後、太守を継いだ息子のクトゥブ・ウッディン・ムハンマドはホラズム・シャーを名乗りました。

第6代君主アラー・アッディン・テキシュはイランに侵攻してセルジュク朝を倒し、アッバス朝カリフからスルタンの称号を得ます。

その息子アラーウッディン・ムハンマドの時代にはホラサン地方に侵入したゴール朝を撃退してヘラートを奪い、更に西カラハン朝を滅ぼしてサマルカンドに遷都。

1215年にはゴール朝を滅ぼし最盛期を迎えます。

しかしアラー・アッディンの死後、対立するモンゴルの攻撃を受け滅亡しました。

 

イルハン朝(1258~1336年)

モンゴル帝国のモンケ・ハンの銘を受けた弟のフラグはイランに遠征し、次いでバグダッドを占領してアッバス朝を倒しました。

モンケ・ハンが急死しフビライとアルクブケが後継者となったことを知ったフラグはイランにとどまりイルハン朝を樹立。

息子のアバカはイランを中心にイラク、シリアに進出し、エジプトのマムルーク朝と対峙しました。

フラグ・ハン(在位:1260~1265年)

1278年にはセルジュク朝から分かれた小アジアのルーム・セルジュク朝を支配しますが、北方のキプチャク・ハン国とコーカサスの領有をめぐって対立。

第7代君主ガザン・ハンはイスラム教に改宗し、イラン人のラシッド・ウッディンを宰相に登用してイラン化を進めます。

第9代アブー・サイードの死後に後継者争いによる分裂によって弱体化。ティムール朝に吸収され消滅しました。

ガザン・ハン(在位:1295~1304年)

アルゲ・タブリーズ(タブリーズ)

 

ムザッファル朝(1357~1393年)

イルハン朝下でメイボドの代官を務めていたアラブ人、シャーラーフ・ウッディン・ムザッファルの息子ムバーリズ・ウッディン・ムハンマドがヤズドに興した王朝。

イルハン朝が衰退するとムバーリズ・ウッディンはケルマンに進出。

1353年にはシラズ、イスファハンを占領し、イラン南部を支配しました。

ムバーリズ・ウッディンを退位させて王位に就いた息子のシャー・シュジャーの時代にはイラン北西部に侵攻し、ムザッファル朝は最盛期を迎えます。

しかしシャー・シュジャーが没してからは分裂状態に陥り、1387年にはティムール朝の支配下に入りました。

その後、キプチャク・ハン国との争いによってティムール軍が撤退。

第4代君主のシャー・マンスールはシラズ、イスファハンを奪還しますが、再びティムール軍の侵攻にさらされ滅亡しました。

 

ティムール朝(1369~1500年)

モンゴル帝国を構成するチャガタイ・ハン国から分かれた西チャガタイ・ハン国の部将、ティムールにより建国された王朝。

ティムールはホラズムを征服して中央アジア一帯を支配し、その後ムザッファル朝倒してイラン全土を制圧します。

続いてインドへ侵攻しデリーを占領。更にマムルーク朝からイラク、シリアを奪った後、1402年のアンカラの戦いでオスマン帝国を破り、オリエント一帯を支配する大帝国を築きました。

明への遠征中にティムールが病死すると、後継をめぐる内紛が発生。

1409年にサマルカンドを征服したシャー・ルフはホラサン地方のヘラートを拠点にティムール朝の再統一に乗り出します。

シャー・ルフの時代、明との通商が開かれイスラム文化が発展しました。

しかしシャー・ルフの死後、再び内紛が起こってサマルカンド政権とヘラート政権が分立する状態になり、やがてトルコ系遊牧国家のシャイバニ朝によって滅ぼされました。

ティムール(在位:1370~1405年)

サマルカンド(ウズベキスタン)

 

黒羊朝(1378~1469年)

イルハン国の流れを汲むジャイラル朝の配下にあったトルクメンのバイラム・ホジャが、イラク北部のモスールを中心とするディヤルバクル地方に樹立した王朝。

第3代君主カラ・ユースフの時代、ティムール朝の侵攻により領土を失いましたが、ティムールの死を好機としてアゼルバイジャンを奪い、更にイラクに進んでバグダッドを占領。

ジャイラル朝を滅亡させました。

1420年、ティムール朝のシャー・ルフはアゼルバイジャンまでの東方の地域を黒羊朝から奪還。

第4代君主ジャハーン・シャーにアゼルバイジャンを統治させる代わりにティムール朝の総主権を認めさせました。

シャー・ルフの没後、ティムール朝は混乱し、その機に乗じたジャハーン・シャーはイラン高原中部からホラサン地方に侵攻して勢力を拡大します。

1467年、白羊朝を討つべく進撃中にジャハーン・シャーが戦死。黒羊朝は分裂し、白羊朝に吸収されました。

マスジェデ・キャブード(タブリーズ)

 

白羊朝(1378~1480年)

トルクメンのバヤンドル族でティムール朝の下でディヤルバクル(アナトリア東部)を支配していたカラ・ユルク・オスマンが開いた王朝。

ティムールの死後、ティムール朝に敗れて弱体化していた同じトルクメンの黒羊朝が再び勢力を拡大させます。

第5代君主ウズン・ハサンは黒羊朝とティムール朝との争いに乗じて勢力を拡大し、1467年にはモガン平原で黒羊朝のジャハーン・シャーを殺害。

黒羊朝の領土を次々と併合します。

更にティムール朝のアブー・サイードを破ってイラン西部の支配権を確立。

アナトリア東部からイラク、アゼルバイジャン、イラン西部を支配下におさめ、最盛期を迎えました。

しかし、ウズン・ハサンの死後、王位をめぐって内紛が起こり弱体化。

アルデビルに興ったサファヴィー朝に首都タブリーズを奪われ滅亡しました。

ウズン・ハサン(在位:1453~1478年)

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