パジリク絨毯とバシャダル絨毯|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

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ソビエト考古学研究所によるパジリク古墳群の発掘調査は、1929年にミハイル・P・グリャズノフ主幹により1号墳が、1947年から1949年にかけてセルゲイ・I・ルデンコ主幹により2号墳から5号墳が実施されました。

セルゲイ・イワノビッチ・ルデンコ(1885~1969年)

これらの古墳はスキタイ人特有の「クルガン」とよばれるもので、地中の玄室を校倉風に積み上げられた二重の木槨が囲み、天井は丸太を重ねた上に樹皮や枝、土を盛ってから石を積みあげた複雑な構造。

一帯は永久凍土帯ではないものの、その構造と一時的な気候条件とにより古墳内部まで浸入した土砂が冬に凍結したまま永久凍土と化し、遺体や副葬品が奇跡的に造築当時に近い状態で保存されていたのです。

 

パジリク古墳群と内部の様子

副葬品には土器や金属製品だけでなく、木製品、フェルトや織物などの繊維製品も多く含まれており、とりわけ5号墳から見つかった縦183センチメートル、横200センチメートルのパイル絨毯は、のちに「パジリク絨毯」として広く知られるようになりました。

炭素14法測定により紀元前260250年頃に製作された推定されるこの絨毯は、トルコ結びで1平方メートル中約36万ノット。

フィールドの文様がニネベ(イラク)にあるアッシリア王宮の床装飾に、またボーダーの人馬像がペルセポリスのスキタイ人を描いた彫刻に酷似するなどしていることから、ルデンコらが唱えるアケメネス朝ペルシャで製作されたとする説が有力でした。

パジリク絨毯

ところが最近になって、染料として使用されているのが地中海沿岸からイランのザグロス山脈にかけて分布するカーマイン種の介殻虫ではなく、インドや東南アジアを原産とするラク種の介殻虫であることが判明。

アケメネス朝説、アルメニア説を抑え中央アジア説が有力になっています。

 

ニネべとペルセポリスの彫刻

続いてルデンコは1954年、パジリクの西800キロにあるバシャダルの古墳群を発掘調査しました。

このとき調査では2号墳からパイル絨毯の断片が見つかります。

この絨毯は鞍敷として使用されていたものながら、1平方メートル中約49万ノットとパジリク絨毯を上回るノット数を有しているだけでなくパイルはペルシャ結びで結ばれており、この時代からすでに二通りの結び方があったことを示す興味深い発見となりました。

この小さな断片から文様を推し測ることはできませんが、炭素14法測定の結果、パジリク絨毯よりも130年から170年ほど古いことが判明したのです。

 

バシャダル絨毯と両古墳群の位置関係

絨毯のほかにもパジリク古墳群からは騎馬像がアップリケされたフェルト製のタペストリーや木製の四輪馬車、アキケナス型の短剣など。

バシャダル古墳群からは動物文様がアップリケされたフェルト製の鞍覆いなど多くが出土しており、これらパジリク・スキタイ文化を物語る貴重な遺物の数々はサンクトペテルブルク(ロシア)のエルミタージュ美術館に収蔵されています。

エルミタージュ美術館とパジリク・バシャダル展示室(正面がパジリク絨毯)

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