一世を風靡したアメリカン・サルーク

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1914年に第一次世界大戦が勃発すると、輸出先の大半をヨーロッパに依存していたイランの絨毯産業は大きな影響を受けます。

それまでペルシャ絨毯の主要な輸出先であったドイツが戦争の当事者となったことにより、とりわけスルタナバードにおける絨毯産業は深刻な事態に直面したのでした。

第一次世界大戦後のドイツで起こったハイパー・インフレ

そんな中、ニューヨークに本社を置くKS・タウシャンジャン社のS・ティリアキアンという人物がスルタナバードを訪れ、米国の市場に向けてデザインされた絨毯の製作を依頼します。

ローズ・レッドのフィールドに花の枝を散りばめたデザインはペルシャ絨毯の伝統からは逸脱したものでしたが、新たな輸出先を米国に見出したスルタナバードでは以後、これに類似したデザインの絨毯が続々と生産されました。

 

アメリカン・サルーク

これら「アメリカン・サルーク」とよばれる一連の作品は1920年代から30年代にかけて米国に大量に輸出され、一大ブームを巻き起こします。

その人気にあやかり、カシャーンやハマダン、ケルマンなどにおいてもアメリカン・サルーク風の絨毯が製作されるようになりました。

しかし、1929年のウォール街大暴落を機とする不況の影響を受け始め、1930年代にブームは終焉を迎えます。

カシャーン産(マンチェスター)

1920年代に製作されたアメリカン・サルークは流麗なシダ状の葉がフィールドの上下端と中心から湧き出るようなデザインですが、30年代には花束を一面に配した現在のデザインに近い形に変化してゆきました。

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