有名な染色家|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

  • HOME
  • 有名な染色家|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

アフマド・サッタリ(カシャーン)

アフマド・サッタリ(カシャーン)

アフマド・サッタリは1908年、カシャーンに生まれました。
生家は代々染色を生業としており、祖父のサッタル・ラングラズは有名な染色家であったといいます。
サッタル・ラングラズにはモハンマド・サデクとジャバッドの二人の息子がおり、アフマド・サッタリはモハンマド・サデクの息子でした。
小学校を卒業後、彼は父親のもとで修業をはじめ、やがて天然染料による染色のエキスパートとして名を知られるようになります。
そうしたキャリアを買われ、小学校しか出ていないにもかかわらず、アフマド・サッタリはカシャーン大学の絨毯コースの講師として迎えられました。
その後、イラン絨毯学会の設立に関わり、また1957年からはイラン絨毯公社の染色の指導者として、ゴルパイガン支部とカシャーン支部において活動します。
1980年、彼は故郷のカシャーンにおいて永眠しました。

セイエド・アッバス・サイヤーヒー(シラーズ)

セイエド・アッバス・サイヤーヒー

セイエド・アッバス・サイヤーヒーは1932年、イスファハン州アルデスタンの片田舎に生まれました。
生家は立憲革命の立役者の一人として知られるハキム・アル・モルクの血を引く家系ではあったものの、父親は文盲で暮らしは貧しかったようです。
10歳になってからアルデスタンの小学校に通いますが、他の新入生よりも年長であった彼はいきなり2年生のクラスに編入され、授業についてゆくのに苦労したといいます。
3年生になってからは夏休みになるとテヘランに行き、果物を売って得た金を学費にあてていました。
中学校を卒業した彼はテヘランの高校に入学し、文学を履修。
高校卒業後は大学の教育学部に進み、学士号を得て教師となった彼が初めて受け持ったのは、自らが学ぶことがなかった小学1年生のクラスでした。

その後、文盲撲滅のため僻地に赴くなど教育者と約30年を過ごしますが、イスラム革命を機に教職を離れ、1983年からは染色師としての道を歩み始めます。
その背景には幼い頃、テヘランに住む母方の祖母から教わった、染色に対する興味がありました。
染色師となったサイヤーヒーはイラン南西部のシラーズに拠点を置き、天然染料を用いた絨毯用の色糸の生産だけでなく、染料の材料となる植物の栽培、自らが染めた糸を用いたアンティーク絨毯の復元までも手掛けます。
また、故郷であるアルデスタンに染色工場を設けて技術者を養成するなど、天然染料の普及に努めてきました。
そんな彼を一躍有名にしたのが1996年に公開されたモフセン・マフマルバフ監督による映画『GABBEH』(ギャッベ)への出演です。
この映画でサイヤーヒーは、カシュガイのテント・スクールで教鞭をとる教師の役を見事に演じました。

このページを読んでいる人はこちらのページも読んでいます。

ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

お問い合わせ

ご質問・ご相談などがございましたら、
お電話やメールフォームよりお受けしています。
お気軽にお問い合わせください。

TEL
03-3304-0020