2018/10/15
イラン北西部、ザンジャン州の州都。
人口約52万人で、住民のほとんどはアザリー(アゼルバイジャン人)です。
カフラン山脈の南に位置し、種なし葡萄の産地として有名。
またイラン有数の手工芸品の産地としても知られ、絨毯のほかチャルークやマリーレと呼ばれるサンダル、銀細工、飾り皿、刃物などの伝統工芸が盛んです。
現在はタブリーズに次ぐ産業都市として重要な役割を果たしており、テヘランからは高速道路で接続されています。
この町の歴史は古く、プトレマイオスの地理書には「アガンザナ」として登場しています。
ササン朝のアルデシール1世が再建して「シャヒーン」となり、その後「ザンギャン」と呼ばれるようになって、ザンジャンの名はこれをアラビア語の語型に当てはめたものとされます。
またこの町は5つの部族の地を意味する「ハムセ」とも呼ばれていました。
この町は1850年に起こった「バーブ教徒の乱」の舞台になったことで有名。
政府の弾圧に対してモラー・モハンマド・アリー・ザンジャニ率いる2,000人のバーブ教徒が蜂起し、霊廟へ立てこもって政府軍と交戦。
長期にわたる包囲戦の末、鎮圧されました。
バーブ教徒
ザンジャンで産出される絨毯はクルドの影響を受けたものが多く、とりわけビジャーに近い地域で製作される俗に「ザンジャン・ビジャー」と呼ばれる絨毯は、ビジャー産に似た重くて丈夫な造りで「ビジャー産」として売られているのをよく見ます。
しかしビジャー産ほど固くはなく、色もやや暗め。
デザインもビジャー絨毯に倣ったヘラティや薔薇文様が一般的ながら、ビジャー産ほど複雑ではありません。
ザンジャン産
ザンジャンでは1980年代末からはクム産シルク絨毯のコピー品が製作され始め、今日ではその多くが「クム・シルク」として販売されています。
ザンジャン絨毯はウール、シルクともにノットはトルコ結びでダブル・ウェフトの構造。