2018/10/19
■概要
ハムセはイラン南西部のファース地方をテリトリーとする部族連合。
その名はアラビア語で「5」を意味しますが、名が示す如くアラブ系ほかの五つの部族の連合体です。
他の部族連合とは成り立ちを異にし、イラン南部で猛威を振るうカシュガイを抑えるため、1861年から62年にかけて、カジャール朝第4代君主であったナセル・ウッディン・シャーの命により、カヴァム・アルモルキ家のもとにアラブ、バハルル、バシリ、イナンル、ナファルの五部族を集めて結成されました。
1930年代に入ると、パフラヴィー朝のレザー・シャーによる定住化政策を受け入れファース州の町や村に定住。
数年後には遊牧生活に戻る世帯が現れはじめますが、1979年のイスラム革命以降、再び定住化が進んでいます。
■組織
総長(イルハン=最高指導者)が五つの部族を統括しており、カシュガイ同様、総長→部族→支(氏)族→家族という階層制度が存在しています。
総長には、その補佐並びに身辺の世話にあたる「ダルバール」という集団が付随。
ダルバールはバシリ族により構成されています。
サファヴィー朝の時代、イスラム教シーア派(十二イマーム派)に改宗した部族民の子孫が大半ですが、一部はスンナ派イスラム教を信仰しています。
■構成部族
ハムセの構成部族は次のとおり。
アラブ族:
ハムセの最大勢力で、人口は約20万人。
ペルシャ語の単語が多く含まれたアラビア語の方言を話します。
アラブ人がペルシャを征服したあとイラン高原に移り住んできたとされますが、
このアラブ系部族は「シャイバニ族」と「ジャバレ族」の二つの支族に分けられます。
シャイバニ族ははじめホラサン地方に定住した後、ファース地方へ移住したといわれます。
ジャバレ族の方はシャイバニ族のあとでファース地方に移り住んできたとされ、ジャバレの名はこの部族の始祖であるシェイフ・ジーナがファースに移り住んだのちシャイバニ族の女性と結婚。
やがて生まれた子供にジャバレと命名したことに由来すると伝えられます。
この部族の製作する絨毯は「モルギ」(ペルシャ語で「鶏」の意)とよばれる鳥文様など、独創的な文様で知られています。
モルギ文様
バシリ族:
バシリはペルシャ系の遊牧部族で、ルリ語系の方言を話します。彼らの起源はかつてペルシャ最大の部族としてキュロス2世に従い、アケメネス朝の成立に参加したパサルガデアン族。
ササン朝の時代にはアルデシール1世のもとでイラン南部のカルヤンをはじめとするいくつかの地域に居住するようになり、カリヤン族とよばれるようになります。
バシリの名はこのササン朝の時代に庶民を意味する「ワスタリョーシャン」が「ワスタリー」となり、やがてバシリになったとされますが、アラブ人イスラム教徒による征服の後その支配下に入り、ゾロアスター教からイスラム教へと改宗しました。
バシリ族にはワイシ族とアリー・ミルザイ族の二つの大きな支族があります。
バハルル族:
アゼルバイジャンに住むトルコ系部族キジルバシュの分派とされ、その多くがファース地方のダラブ周辺に居住、トルコ語の方言を話します。
ダラブはアケメネス朝のダリウス1世によって築かれたイラン最古の町の一つ。
かつてはダラブ・ゲルド(ダリウスの町)とよばれていました。
バハルル族の一部は14世紀にチャハルマハル・バクチアリ地方のシャハレ・クルド周辺に移住したといわれ、彼らの子孫にはバクチアリやカシュガイとの混血が多くいます。
ほかにアゼルバイジャン地方やホラサン地方、ケルマン地方にも居住。
バハルル族はハムセの中でもっとも織りの細かい絨毯を製作しています。
イナンル(アイナル)族:
トルコ系部族であるシャーサバンの分派とされていますが、詳細については明らかではありません。
トルコ語の方言を話します。
ナファル族:
カシュガイと出自を同じくするトルコ系部族にアラブとルリの一部が合流したものといわれていますが、この部族についても詳細は不明です。
この部族もトルコ語の方言を話します。
■生活形態
ハムセの多くは遊牧民ですが、カシュガイ同様に定住化が進んでいます。
テリトリーはカシュガイの東で、遊牧民の冬の宿営地は主にタシュク湖・バクテガン湖の南側。
夏の宿営地はパルヴァル川の東側、タシュク湖・バクテガン湖の北側です。
■その他
言語:
アラブ族はペルシャ語の単語が多く含まれたアラビア語の方言を。
バシリ族はルリ語の方言、バハルル、イナンル、ナファルのトルコ系部族はトルコ語の方言を母語としています。
宗教:
サファヴィー朝の時代、イスラム教シーア派(十二イマーム派)に改宗した部族民の子孫が大半ですが、一部はスンナ派イスラム教を信仰しています。
■絨毯
ハムセは絨毯のほか、ソマック(綴織)も製作していますが、絨毯はカシュガイ絨毯との類似点が多く、判別が困難なものもあります。
カシュガイ絨毯よりも柔らかく、縦糸に濃茶のウール、横糸に濃茶もしくは赤いウールを使用したものが多いとされるものの、あくまで目安にすぎません。
また、本来カシュガイのものであったとされるトップ・エンド・マークにしても、ハムセもこれを用いているため決め手にはなりません。
カシュガイ絨毯のトップ・エンド・マーク
19世紀に製作されたハムセ絨毯にはとても凝ったデザインで織りも細かく、光沢のあるウールをパイルに用いたきわめて高品質な作品が見られますが、近年のものはそれらに比べると大きく劣ります。
文様としてはモルギ(アラブ族の項を参照)のほか、大小のボテ(ペイズリー)を重ねた「親子ボテ」、モハマラト(ストライプ)などが有名。
ただし、これらの文様は隣接するカシュガイやアフシャルが製作する絨毯にも使われることがあるので、文様だけで判別することはできません。
イラン系のバシリ族は「ペルシャ結び」、バハルル、イナンル、ナファルのトルコ系各部族は「トルコ結び」を用いるのが本来ですが、部族を超えての結婚も珍しいことではなくなった今日においては、混用されているのが実際です。