お知らせ|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京 - Part 15

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ペルシャ絨毯産地5【コルトク】
イラン北西部のザンジャン州、ザンジャン郡にある村で人口約1,300人。 10の村々が集まるデスターン・コルトク(コルトク農業地帯)にあり、住民の大半がクルドのハリバイ族です。 大きなサルトランジが羽を…

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ペルシャ絨毯産地4【カラジャ】
東アゼルバイジャン州ヘリズ郡にある人口1,000人ほどの小さな村。 州都タブリーズからは45キロほどで、タブリーズからアルデビルへと向かう途上にあります。 カラジャで産出される絨毯は典型的なビレッジ・…

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ペルシャ絨毯産地3【アルデビル】
アルデビルはイラン北西部、アルデビル州の州都で、サバラン山の麓、標高1,500メートルにある高原都市です。 夏には避暑地として多くの観光客が訪れ、とりわけアルデビルの西29キロにあるサル・エインはイラ…

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ペルシャ絨毯産地2【アハル】
イラン北西部、東アゼルバイジャン州アハル郡の郡都。 サバラン山の北麓、タブリーズの北東75キロに位置する町です。 アハルにおける絨毯製作はタブリーズの職人の指導を受けたヘリズ同様、19世紀末に始まった…

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ペルシャ絨毯産地1【アザルシャハル】
アザルシャハルはイラン北西部、東アゼルバイジャン州アザルシャハル郡の郡都で人口は約5万人の小さな町。 オルミエ湖とサハンド山の間に位置するこの町は、かつてトゥファルカンと呼ばれていました。 鉱業が盛ん…

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バブル景気に沸く日本とペルシャ絨毯
1979年、クムで起こった反政府暴動はイラン全土に広がりイラン革命に発展しました。 モハンマド ・レザー・シャーはエジプトに亡命してパーレヴィー朝が崩壊。 パリから帰国したルーホッラー・ホメイニを最高…

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パフラヴィー朝の時代になると、ペルシャ絨毯を一つの学問として研究しはじめる者が現れはじめます。 その先駆となった人物について触れておきましょう。 その人物はアーサー・セシル・エドワーズという名の英国人…

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パフラヴィー朝の振興政策
1921年、ペルシャ・コサック旅団長であったレザー・ハーン大佐がバクチアリ部族連合の力を借りてテヘランを包囲。 このクーデターにより首相兼国軍最高司令官に就任した彼は、イランにおける英国の治外法権を撤…

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一世を風靡したアメリカン・サルーク
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、輸出先の大半をヨーロッパに依存していたイランの絨毯産業は大きな影響を受けます。 それまでペルシャ絨毯の主要な輸出先であったドイツが戦争の当事者となったことにより…

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20世紀最高の絨毯作家
イランにおける絨毯産業は、19世紀末から第一次世界大戦に至るまでの30年間ほどの間に見事な復興を遂げました。 そんな中、のちに「20世紀最高の絨毯工房」と称される絨毯工房が登場します。 イラン北東部の…

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