アクバル・ネザミドゥストの作品|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

アクバル・ネザミドゥストの作品

モハンマド・レザー・シャーとファラ皇后の肖像を織り出したアクバル・ネザミドゥストの代表作。
濃淡に染め分けた同色の色糸を使用し、グラデーションを作ることによって陰影をうまく表現しています。
この技法は西洋画のテクニックを応用し、20世紀に入ってから考案されたもの。
ボーダーには権力の象徴であり帝室の紋章にも採用されていたライオンと、レザー・シャーとモハンマド・レザー・シャーが戴冠式に着用した冠が連続して配置されています。
ちまみにこの冠はレザー・シャーの戴冠式に合わせて1925年に製作されたもので、ササン朝期のデザインを基に3000個のダイヤモンドが配置され、2080グラムの重さがあるといいます。
現在イラン・メッリー銀行本店の地下にある国立宝石博物館に収蔵されており、入館料を払えば観覧が可能です。

アクバル・ネザミドゥストの作品

軍服姿のレザー・シャーの肖像を織り出した作品。
本作にも上の作品と同様の技法が使われています。
レザー・ハーン(のちのレザー・シャー)は1878年にマザーンダラン地方のアラシトに生まれ、10歳代でペルシャ帝国軍の精鋭部隊であるコサック旅団に入隊しました。
部隊内で頭角を現した彼は将校となり、昇進を重ねてゆきます。
やがて旅団長となったレザー・ハーンは1921年、麾下の部隊を率いてテヘランに進撃。
クーデターにより実権を掌握した後、1925年にカジャール朝を廃止して自らシャー(皇帝)として即位し、パフラヴィー朝を興しました。
軍部の力を背に徹底した中央集権体制を敷くとともに国家の近代化に努め、1935年には国名をイランに改めます。
しかし第二次世界大戦においてドイツ寄りの姿勢を示したため、イランに進駐した英露軍の圧力により退位するを余儀なくされ、帝位を息子のモハンマド・レザーに譲ってモーリシャスに亡命。
1944年、南アフリカのヨハネスブルグで没しました。

【アクバル・ネザミドゥストの解説】を見る

 

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