ペルシャ絨毯産地102【シラーズ】|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

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イラン南西部ファース州の州都で人口は約120万人。

ザクロス山脈の海抜1486mに位置し、温和な気候を利用して穀物や柑橘類、棉花、花卉などが栽培されています。

イラン革命以前はワインの産地としても有名で、フランスのローヌ地方のシラー種はイランからフランスに持ち込まれたとする説があるほど。

石油化学コンビナートや精製所、セメント,砂糖,肥料,織物などの工場を有する工業都市でもあり、また世界に知られる名門シラーズ大学を有する教育都市、更にイスファハンに並んでイランを代表する観光都市でもあります。

この町を創建したのは『シャー・ナーメ』(王書)に登場する古代ペルシャ第3代の王、タフムーラス(ジャムシードの父)であると伝説されるほどに古い歴史を有しており、シラーズの名は、古くはエラム語のティラチスあるいはチラチスに由来したものとされています。

セレウコス朝からササン朝に至るまでの重要都市の一つであり、932年にイマード・ウッダウラ、ルクン・ウッダウラ、ムイッズ・ウッダウラのブワイフ三兄弟が興したブワイフ朝ではその首都となりました。

モンゴル人の支配下においてシラーズは、モスクや霊廟、大図書館を擁してバグダードに匹敵する宗教・教育の中心地となり、イランが生んだ二大詩人サアディーとハーフィズを輩出。

また、シラーズ派と呼ばれた細密画家たちの本拠地となり、ペルシャ文化が開花します。

 

サーディー廟とハーフェズ廟(いずれもシラーズ)

サファヴィー朝の時代には第5代君主であったアッバス1世が首都イスファハンとともにこの町を整備。

シラーズは20万人の人口を擁する都市に成長し、最盛期を迎えました。

サファヴィー朝の滅亡後、1750年にザンド族のカリム・ハーンが興したザンド朝の首都になり、新たにモスクや城塞が建造されますが、イランの覇権を狙うカジャール部族連合のモハンマド・ハサンがシラーズに侵攻。

これを撃退しモハンマド・ハサンを討ち取ったカリム・ハーンは、モハンマドの息子アガー・モハンマドを人質としてシラーズに軟禁しました。

カリム・ハーン(1705~1779年)

1779年にカリム・ハーンが没すると、アガー・モハンマドはシラーズを脱出。

カジャール朝を興してザンド朝を滅ぼします。

パフラヴィー朝第2代君主であったモハンマド・レザー・シャーはシーラーズをイスファハンとともに「イランのパリ」にすべく大金を投じ、町は数あるイランの都市のなかでもとくに近代的な大きな都市となりました。

カリム・ハーン城塞

シラーズ産として流通している絨毯は、実はシラーズの町で製作されたものではありません。

シラーズの周辺にはカシュガイやハムセ、ルリらの部族、あるいはその亜族らが暮らしており、彼らが製作する絨毯はシラーズのバザールに集積されます。

製作した部族を特定できるものには部族名が付されますが、そうでないものも多く、そのため便宜上「シラーズ産」の名称を用いている訳です。

シラーズの絨毯バザール

「カシュガイ産の別名がシラーズ産である」とか「カシュガイ絨毯の低級品がシラーズ産として取引される」とか説明されることがありますが、完全な誤りとは言えないものの正解ではありません。

ちなみに最近人気のギャッベについて「カシュガイの遊牧民が移動しながらテントの中で製作している」とする説明をする絨毯業者が大半ですが、ギャッベは定住したカシュガイが製作したものがほとんど。

シラーズの絨毯商の中にはいくつもの「ギャッベ御殿」を持つ者さえいることは知っておいてよいでしょう。

 

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