ペルシャ絨毯用語辞典(600語収録)|ペルシャ絨毯専門店フルーリア東京

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ア行

アイ・エヌ・シー・シー(INCC)

イラン・ナショナル・カーペット・センター(Iran National Carpet Center)の略称。
2003年に当時の商業省の下に設立された機関で、イラン国内の手織絨毯産業に関わるすべての政策・計画を統括する。
生産から輸出に至るまでの業務を監督・支援するほか、手織絨毯の研究、開発を行っている。

アイ・シー・シー(ICC)

イラン・カーペット・カンパニー(Iran Carpet Company)の略称。
1935年に創設され、イースタンラグ、OCM、ジーグラーなどの外国企業の工房を引き継ぐ形で操業を始めた。
かつては商業省の傘下にある国営企業であったが、最近民営化された。
テヘランに本部を置くほか、イラン全土に40の支部を持つ。
イラン絨毯会社。

アーガー・モハンマド・シャー(1742~1797年)

カジャール朝の初代シャー。
カジャール部族連合に属するカバーンルー族の族長、モハンマド・ハサン・ハーンの子として生まれる。
アフシャル朝第2代シャーであったアーディル・シャーに捕らえられて去勢され、1759年には父親を討ったザンド朝初代シャーのカリム・ハーンにより人質としてシラーズの宮廷に連行された。
カリム・ハーンには寵愛されたが、カリム・ハーンが没するとシラーズを脱出。
アーガー・モハンマド・ハーンとしてカジャール部族連合を率い、イラン北部を掌握した。
86年からはテヘランを拠点に全国制覇に乗り出し、ザンド朝とアフシャル朝を倒してイラン全土を支配下に置く。
96年に戴冠してカジャール朝を樹立するが、その翌年、召使に殺害された。

アーガー・モハンマド・シャー(1742~1797年)
アーガー・モハンマド・シャー(1742~1797年)

アカンサス

キツネノマゴ科ハアザミ属の常緑多年草で、南ヨーロッパ、南西アジア、北西アフリカに20種ほどが分布する。
ギリシャ語で「棘」を意味するように、棘のあるアザミに似た葉を持つ。
この葉をモチーフとした文様はギリシャやローマにおいて、コリント式やコンポジット式列柱の冠頭装飾などに使用られた。
イスラム世界へと伝わってからは独自の発展を遂げ、建築はもとより陶芸や金属工芸、絨毯のデザインとして広く用いられた。

アカンサス
アカンサス

アケメネス朝

紀元前550年頃にイラン南西部のファース地方に興った王朝。
キュロス2世がメディア王国を滅ぼして創建し、ダリウス1世の時代にはエーゲ海沿岸からインダス川に至るまでの広大な地域を支配した。
王朝の名はキュロス2世の家祖であるアケメネスに由来する。
アレキサンダー大王との戦いに敗れ、紀元前330年に滅亡した。

アーサー・ウブハム・ポープ(1881~1969年)

ペルシャ美術の権威であった米国人。
カリフォルニア大学教授、サンフランシスコ郡立美術館長を歴任し、1923年イランへ渡ってイラン政府の美術顧問を二年間務める。
帰国後、フィラデルフィアでペルシャ美術に関する初の国際会議と展示会とを開催。
1928年にはニューヨークにペルシャ美術考古学研究所を設立した。
1960年、国際イラン美術協会の会長に選出される。
晩年はイランに移住しシラーズで没した。

アーサー・ウブハム・ポープ(1881~1969年)
アーサー・ウブハム・ポープ(1881~1969年)

アーサー・セシル・エドワーズ(1881~1953年)

ペルシャ絨毯研究の第一人者として知られる英国人。
OCMの支配人として1911年にイランに赴任後、ハマダン、スルタナバード、ケルマンに手織絨毯の工房を開設し、絨毯産業の復興に貢献した。
その後英国に戻りOCMの重役となるが、退職後の1948年に再びイランを訪問。
数か月をかけてイラン全土を回り、ペルシャ絨毯についての詳細かつ膨大なデータを収集した。

アーサー・セシル・エドワーズ(1881~1953年)
アーサー・セシル・エドワーズ(1881~1953年)

アザルシャハル

イラン北西部、東アゼルバイジャン州にある町。
アザルシャハル郡の郡都で人口は約5万人である。
オルミエ湖とサハンド山の間に位置し、かつてはトゥファルカンとよばれていた。
タブリーズへは40キロほどと近く、1980年代まではタブリーズ産の廉価品ともいうべき絨毯が製作されていた。
織りはタブリーズ産に比べるとかなり粗く16万ノットほどであるが、丈夫で安価であったため欧米に向けて大量に輸出された。

アスマリク

トルクメンの婚礼に用いられる装飾用の絨毯。
アスマリクは「吊り下げるもの」の意で、花嫁が乗る駱駝の左右脇に吊り下げて使用する。
通常はホームベース形をしており、ペアで製作される。

アスマリク
アスマリク

アゼリー

アゼルバイジャン人。
テュルク系の民族で、トルコ語に近いアゼルバイジャン語を母語とする。
イランでは北西部のアゼルバイジャン地方を中心に居住し、人口の25パーセントを占める。

アゼルバイジャン(イラン領)

トルコやアゼルバイジャン共和国に接するイラン北西部の地域。
1828年にカジャール朝とロシアとの間に結ばれたトルコマンチャイ条約によりイラン領となった。
住民の多くはアゼリーで、幾度か独立を試みたことがある。

アゼルバイジャン(共和国)

イラン北西部に隣接する国で、正式な国名はアゼルバイジャン共和国である。
カスピ海西岸のコーカサス南東に位置し、北を大カフカス山脈、南を小カフカス山脈と接する。
国民の大半はイスラム教シーア派教徒たるアゼルバイジャン人(アゼリー)。
古くはゾロアスター教を信仰するイラン系民族が暮らしていたが、11世紀以降オグズ(トルクメン)やモンゴルが流入し、テュルク化・イスラム化が進んだ。
15世紀後半にはサファヴィー神秘教団がこの地を制し、多くのトルクメンがシーア派へ改宗したことによりアゼルバイジャン人が形成されていった。
16世紀からはイランの支配を受けたが、第一次・第二次ロシア・ペルシャ戦争の結果、その大部分がロシア領となった。
1918年、アゼルバイジャン民主共和国として独立するも二年足らずで崩壊し、22年にはアルメニア、ジョージアとともにザカフカス社会主義連邦ソヴィエト共和国としてソ連の構成国となった。1991年のソ連崩壊に伴いアゼルバイジャン共和国として再独立した。
豊富な地下資源を有す。
2010年に「アゼルバイジャンの絨毯文化」がユネスコの世界遺産に登録された。

アゼルバイジャン(共和国)
アゼルバイジャン(共和国)

アゾ染料

アゾ基を持つ化学染料で、アニリン染料に少し遅れて開発された。
安価で合成が比較的容易であり、色数が多く深みのある色が得られることから、現在でも流通している染料の半分以上を占める。
色によっては定着が悪い上、有害性物質を含むものもあることが報告されている。

アッバス1世(1571年~1629年)

サファヴィー朝第5代の君主(在位1588~1629年)。
強力な中央集権体制を敷き、国内の混乱を鎮めるとともに軍の近代化に努め、オスマン・トルコを破ってアゼルバイジャン、イラクを奪還した。
1598年にはカズビンからイスファハンへの遷都を行い、貿易を振興してサファヴィー朝の最盛期を築いた。 

アッバス1世(1571年~1629年)
アッバス1世(1571年~1629年)

アッバス朝

預言者ムハンマドの血縁者であるサッファーフ(アブ・アッバス)が、750年にクーファに樹立した王朝。
第2代カリフとなったマンスールはチグリス川西岸の村バグダッドに三重の城壁で囲まれた「マディーナ・アッサラーム」(平和の町)を築いて遷都するとともに、多くの非アラブ人改宗者を政治の中枢に登用。
『コーラン』が説くイスラムの統一に基づいた中央集権制を敷いた。
やがて『千夜一夜物語』にも登場する第5代カリフ、ハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎えるが、9世紀後半になるとカリフの力は弱まり、地方では戦乱が相次ぐようになる。
ブワイフ朝、セルジュク朝にバグダッドを占領されてその支配下に入り、モンゴル軍の襲来により1258年に滅亡した。

アッラー

イスラム教における唯一絶対にして全知全能の神。
アラビア語で神を意味するイラーフに定冠詞アル(英語のtheに相当)を付けたアル・イラーフが語源とされる。
イスラム教成立前のアラビア半島では様々な神が崇拝されていた。
アッラーはその至上神であったが、預言者モハンマドが受けた啓示により単一神であることが示された。
イスラム教のシャハーダ(信仰告白)は「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーのほかに神はなし)で始まる。
なお、アッラーの偶像化は厳禁である。
日本では「アラー」「アラーの神」ともよばれる。

後媒染(あとばいせん)

糸を染めたのち、媒染液に浸して染料を定着させる媒染法。
多くはこの方法を用いる。

アナトリア

アジアの西端に位置する半島。
黒海、地中海、エーゲ海に囲まれ、そのほとんどが高原地帯である。
11世紀頃よりトルコ人の居住地となり、現在でもトルコ領の97パーセントを占める。
小アジア。

アナトリア絨毯

アナトリアで産出される絨毯の総称。
ボスポラス海峡を越えたヨーロッパ側のトルコ領では絨毯が製作されていないため、実質トルコ絨毯と同義である。

 アナトリア絨毯
アナトリア絨毯

アニリン染料

アニリン(アミノベンゼン)から抽出される化学染料。
1856年に英国の化学者ウィリアム・ヘンリー・パーキンが、マラリアの特効薬であるキニーネを抽出中に発見した。
色数が少なく、発色が強烈な割に退色しやすいのが特徴である。
イランには1880年代に伝搬したが、1903年に輸入・使用が禁止された。

アハル

イラン北西部、東アゼルバイジャン州にある町。
アハル郡の郡都で、サバラン山の北麓、タブリーズの北東75キロに位置する。
この町における絨毯製作はヘリズ同様、タブリーズの職人の指導を受け19世紀末に始まったと考えられている。
作りはヘリズ産と同じでデザインもよく似ているが、ヘリズ産に比べると文様は曲線的である。
ヘリズ産同様その堅牢さから欧米で人気があり、大きなサイズが中心。

アフガニスタン

イラン中東部に隣接する国で、2021年8月19日以降の正式な国名はアフガニスタン・イスラム首長国である。
アジア大陸のほぼ中央に位置する内陸国であり、東部から中央部にかけてヒンドゥークシ山脈が連なる。
アフガニスタンは「アフガン人の地」を意味し、国民はアフガン人(パシュトゥーン人)が4割、タジク人が3割、ハザラ人とウズベク人が各1割、他に少数のトルクメン人やバルーチ人らがいる。
統一国家としての歴史は1747年にアフガン人のアフマド・シャー・ドゥーラニが、アフシャル朝イランから独立して興したドゥーラニ朝に始まる。
第二次アフガン戦争に敗れて英国の保護領となるが、1919年に再び独立してアフガニスタン王国となった。
73年のクーデターにより共和制に移行した後、78年に起こった四月革命で親ソ政権が誕生。
新政権による宗教弾圧に対するムジャヒディン(イスラム戦士)の蜂起を鎮圧すべくソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、アフガニスタン紛争が勃発した。
89年にソ連軍は撤退するが、今度は政府軍やムジャヒディン同士による内戦が始まり、96年にはタリバンが首都カブールを制圧した。
2001年の米国同時多発テロ事件への報復として米軍によるタリバン政権への攻撃が行われ同政権は崩壊したが、2021年に入って米軍の完全撤退が報じられるとタリバンは息を吹き返し、8月には再び全土を掌握した。
産業は農業中心である。

アフガニスタン
アフガニスタン

アフガン絨毯

アフガニスタン国内で産出される手織絨毯の総称。
北西部のヘラート近郊のシンダンドやアドラスカンでアフガン人(パシュトゥーン人)が製作する絨毯、北中部のアム川流域でトルクメン人が製作する絨毯、南西部の砂漠地帯でバルーチ人が製作する絨毯などがある。
大きなサイズのものは少なく、中型以下のサイズで濃赤や濃紺を用いた暗い色調のものが多い。
幾何学文様が一般的である。

アフガン絨毯
アフガン絨毯

アフシャル

イラン、トルコ、アゼルバイジャンに居住するトルコ系遊牧部族。
イランでは北西部のクルディスタン州、北東部のラザヴィ・ホラサン州、中南部のケルマン州にいる。
キジルバシュに参加しサファヴィー朝の成立に貢献するが、他部族との抗争を繰り返したためアゼルバイジャンからイラン各地に強制移住させられた。
現在ではそのほとんどが定住民となっている。

アフシャル朝

1736年にアフシャル出身のナーディル・シャーが興した王朝。
アフガニスタンからホラサンを奪還し、更にインドのムガール帝国に侵攻して首都デリーを占領した。
しかし、莫大な戦費により枯渇した国庫を重税で補ったり、スンニー派主導の政策を進めたりしたため国内は混乱。
ナーディルが暗殺されると急速に弱体化し、1796年にカジャール朝のアガー・ムハンマドによって滅ぼされた。

アフシャル・ビジャー

ビジャー絨毯の最高級品を表す名称。
クルディスタン州のビジャーの北東にはサファヴィー朝やアフシャル朝による強制移住を免れたアフシャルの子孫がいて、かつては彼らが製作するきわめて緻密な織りの絨毯をこうよんだ。
しかし今日、アフシャル・ビジャーとして取引される絨毯の生産の中心はアゼルバイジャン州のタカブ、ブカン周辺へと移っており、アフシャルの名はほぼ形骸化している。

アフシャル・ビジャー
アフシャル・ビジャー

アフシャン

総文様の意。
メダリオンを置かずフィールド一面を花葉で覆い尽くすデザインで、古くは16世紀のヘラート絨毯に見られる。
副次的に動物や雲のリボン等が配されることもある。

アフシャン
アフシャン

アブラシュ

絨毯の横方向に帯状となって現れる染め斑。
染色時における諸条件の違いにより、同じ染料を用いたとしても桛(かせ)ごとで染めあがりの色は僅かに異なる。
そのため製織の過程で桛糸が変わるたび、色に変化が生じるのが原因である。
ただしアブラシュは絨毯の色柄に彩りを添えるものとして、欧米の愛好家たちからは好まれる傾向にある。

アブラシュ
アブラシュ

アフラ・マズダ

ゾロアスター教の創造神にして最高神。
その名は「英知の主」を意味する。
世界の終末に悪を倒して最後の審判を下し、不滅の善の国を建設するとされる。
大きな翼を背にし、光の輪を携えた王の姿で描かれることが多い。

アフラ・マズダ
アフラ・マズダ

アフマド・シャー(1898~1930年)

カジャール朝第7代にして最後のシャー。
立憲革命により退位させられた父、モハンマド・アリー・シャーの跡を継ぎ、1909年に11歳で即位した。
第一次世界大戦の直前に親政を始めるが、フランスで病気療養中の1925年、クーデターにより実権を掌握していたレザー・ハーンによって退位させられた。

アフマド・シャー(1898~1930年)
アフマド・シャー(1898~1930年)

アマレ

カシュガイ部族連合に属する部族で、チャハルマハル・バクチアリ地方からファース地方へと移り住んだといわれる。
アマレは「奉仕」を意味し、もとは総長一家の警護や身辺の世話にあたる小部族であった。
その後、実質的な最大勢力として部族連合を支配するまでに成長し、カシュガイ総長はアマレ族のシェカルー家の男性から選ばれるのが慣例となっている。

アメリカン・ケルマン

1950年代から70年代にかけて、米国へ大量に輸出されたケルマン絨毯。
写実的な花柄をメダリオンとフィールドの外周に配したプレイン・デザインが特徴で、明確なボーダーを持たないものも多い。
陽気な米国人の気質に合わせたパステルカラーが主流である。

アメリカン・ケルマン
アメリカン・ケルマン

アメリカン・サルーク

1920年代から30年代にかけて米国向けに生産されたサルーク絨毯。
S・ティリアキアンという米国人が考案したもので、ローズ・レッドのフィールドにシダの葉のような花々を放射状に配したデザインである。
アメリカン・サルークは一世を風靡し、他の産地においても類似したデザインの絨毯が生産された。

アメリカン・サルーク
アメリカン・サルーク

アモグリ兄弟

20世紀前半に活躍したマシャドの絨毯作家の兄弟。
父親のモハンマドが開設した工房を兄のアブドルモハンマド(1870?〜1937年)が引き継ぎ、弟のアリーハーン(1892〜1957年)がサポートした。
デザインはサファヴィー朝期の絨毯をもとにアブドル・ハミド・サナートネガルらが作成。
それらは緻密無比なる織りによって実現され、サーダバード宮殿や国会議事堂などに納められた。
アブドルモハンマドの没後はアリーハーンが工房を引き継いだ。

アモグリ兄弟
アモグリ兄弟

アラブ

西アジアから北アフリカにかけて暮らすアラビア語を母語とする人々をいうが、もとはアラビア半島に居住するアラビア語を母語とするセム系民族を指した。
そのほとんどがイスラム教徒である。
アラブ諸国の総称としても用いる。

アラブ(部族)

ハムセを構成する部族の一つ。
人口は約20万人で、ハムセの中では最大である。
ササン朝の滅亡後、イラン高原に移り住んできたアラブ人の末裔とされ、ペルシャ語の単語が多く含まれたアラビア語の方言を話す。
シャイバニとジャバレの二つの支族を持つ。

アラベスク

アラビア風の装飾文様を指す語であるが、絨毯の場合、二股の鋭利な葉文様をいう。
蔓草の先端部に配されるほか、一対のアラベスクでパルメットを囲み「サモワール」と呼ばれる文様を構成することもある。
形状が龍の角を連想させることから「ドラゴン・ヘッド」ともよばれる。

アラベスク
アラベスク

アーリア人

アリアンともいう。
インド・ヨーロッパ語族系諸語を母国とする民族の先祖たる民族の総称として用いられることが多いが、正しくはその内インドとイランとに定住した民族を指す。
一説によると、かつてはコーカサス地方にいたが、紀元前1500年頃から移動を始めてイラン、アフガニスタンに入り、更にカイバル峠を超えてインダス川上流域に入ったとされる。
また別の説によれば、中央アジアのステップから南下してアフガニスタンに入り、カブール渓谷を越えてインド方面に進出した一派(インド・アーリア)と、ホラサンを抜けてイラン方面に進出した一派(イラン・アーリア)とに分かれたとされる。
アーリアは「高貴な」を意味するサンスクリット語。

アリザリン

西洋茜(セイヨウアカネ)の根から抽出される赤色の色素。
1868年にドイツの化学者カール・セオドア・リーベルマンとカール・ジェームス・ペーター・グレーべにより、天然色素としては初めて人工的に合成された。

アルケサス朝

セレウコス朝を脱した中央アジアの遊牧民が、紀元前247年にイラン東部に建設した国家。
「パルティア」ともよばれる。
前141年にはセレウコス朝の首都セレウキアを征服し、勢力拡大を図るローマ帝国と衝突を繰り返した。
王位継承をめぐる内乱が発生し、その隙に乗じたササン朝により224年に滅ぼされた。

アルデシール1世(生没年不詳)

ササン朝の初代君主。
226年にアルケサス朝パルティアを滅ぼし「シャー・ハン・シャー」(王の王)を称して即位した。
アケメネス朝の再興を目指し、ゾロアスター教を国教に定めた。

アルデシール1世(生没年不詳)
アルデシール1世(生没年不詳)

アルデビル

イラン北西部にあるアルデビル州の州都。半
サバラン山の麓に位置し、夏には避暑地として多くの観光客が訪れる。
人口は約65万人で、大半がアゼリーである。
サファヴィー朝を興すこととなるサファヴィー神秘教団発祥の地としても知られ、市内には教団の開祖シェイフ・サフィ・ウッディーンを祀る霊廟がある。
かつて、この町で産する絨毯は織りの粗い典型的なビレッジ・ラグであった。
第二次世界大戦中、コーカサスが油田地帯をめぐる独ソの激戦の舞台となり、そのためシルワン産をはじめとするコーカサス絨毯が市場から姿を消すと、コーカサス風の絨毯が製作されるようになった。
絹の産地として知られるだけあって、パート・シルクの技法を用いた作品も多い。

アルデビル絨毯

1539/40年にマクスド・カシャーニが製作した一対の絨毯。
この絨毯が納められていたシェイフ・サフィー・ウッディン廟がアルデビルにあることからそうよばれる。
縦11.52メートル、横5.34メートルの巨大なサイズで、絹の縦横糸に毛のパイルの組み合わせである。
1890年にイランに進出していた英国企業ジーグラー商会が購入した。
現在はヴィクトリア・アンド・アルバート美術館とロサンゼルス郡立美術館が所蔵している。

アルデビル絨毯
アルデビル絨毯

アルボルズ山脈

イラン北部にある山脈。
カスピ海南岸沿いを東西に走る延長約1000キロの山脈で、西部には3000メートル級の山々が連なっている。
最高峰は標高5671メートルのダマバンド山。
北斜面は豊かな降水量に恵まれた森林地帯で、平野部では米、茶、タバコなどの栽培が盛んだが、南斜面は雨量がきわめて少ない乾燥地帯である。
エルブルズ山脈ともよぶ。

アルメニア

アナトリアとカスピ海との間に位置する地域。
アルメニア共和国からトルコ北東部、イラン北西部に跨る高原地帯で、住民の大半がアルメニア人である。
古代から文明が発達したが、東西交通の要衝にあるため大国の支配を受け続けた。
アルメニア人は「ハイアスタン」とよぶ。

アルメニア教会

アルメニア地方に広まったキリスト教会の一宗派。
アルメニア王家の出身であるグリゴリウスにより開明されたことからグリゴリウス派ともいわれる。
グリゴリウスは280年頃から啓蒙を始め、アルメニア国王ティリダテス3世をはじめとする多くのアルメニア人を改宗させた。
ティリダテス3世は301年に世界に先駆けてキリスト教を国教に定める。
5世紀初頭にはメスロプ・マシトツがアルメニア文字を考案し、聖書のアルメニア語訳を完成させた。
ローマ・カトリック教会の三位一体論と相対するキリストの単性論を信奉する。

アルメニア人

アルメニアの住民で、ほとんどがキリスト教徒である。
イランではケメレ地方のリリアンやレイハンのほか、イスファハンのジョルファ地区にもいる。
彼らはサファヴィー朝のアッバス1世により、アルメニアから強制移住させられたアルメニア人の子孫である。

アルメニバフ

リリアンで産出される絨毯をいう。
アルメニバフは「アルメニア織り」の意だが、これはリリアンの住民の大半がアルメニア人であることに由来する。
シングル・ウェフトの構造で、パイルはペルシャ結びで結ばれたものとトルコ結びで結ばれたものとがある。

アルメニバフ
アルメニバフ

アンティーク

「古美術品」を意味するフランス語。
1934年、米国が通商関税法に「製造された時点から100年以上を経過した手工芸品・工芸品・美術品」と定義して以来、世界標準となっている。
世界貿易機関(WTO)でもこの定義が採用されており、アンティークであることが証明された場合、加盟国間における関税は免除されるのが通常である。

イグサリク

トルクメンが使用する、紡錘を収納するための袋。

イグサリク
イグサリク

意匠師

デザイナー。
方眼紙上に図案を描き、絨毯の意匠図を作成する。
最近はコンピューター・グラフィックスを用いることもある。
イランではタラーフとよぶ。

意匠図

絨毯の図案が描かれた方眼紙。
意匠紙とも。

意匠図
意匠図

イスタンブール

トルコ北西部にある同国最大の都市。
紀元前658年にギリシアの植民市ビザンチオンとして成立し、東ローマ帝国の時代には首都となってコンスタンチノープルと名付けられた。
オスマン帝国でも引き続き首都とされ、イスタンブールと改称される。
ボスポラス海峡を挟むアジアとヨーロッパの両大陸にまたがり、古来東西交易の結節点として栄えた。
19世紀にはタブリーズ商人が進出し、ヨーロッパへと輸出されるペルシャ絨毯の取引の拠点となった。

イースタンラグ

かつてイランで操業していた米国の絨毯メーカー。
本社はニューヨークにあり、イランに1890年頃に進出した。
ケルマンに工房を開設し、米国に向けた絨毯を生産していたが、1935年に撤退した。

イースト・ペルシャ

中国で製作されるペルシャ絨毯のコピー品。
イースト・ペルシャは日本における商品名で、高段数(こうだんすう)ともよばれる。

イースト・ペルシャ
イースト・ペルシャ

イスマイル1世(1487~1524年)

サファヴィー朝初代シャー。
サファヴィー神秘教団の開祖、シェイフ・サフィー・ウッディンの子孫としてアルデビルに生まれる。
キジルバシュを率いて白羊朝に勝利し、1501年タブリーズに入城して即位した。
1510年にはシャイバーニ朝を倒してイラン高原を統一し、シーア派第7代イマームであるムーサーの再来を自ら称して、シーア派の一派である十二イマーム派を国教に定めた。
スンニ派国家のオスマン・トルコと激しく争ったが、チャルディランの戦いで大敗を喫し、失意の中1524年に没した。

イスマイル1世(1487~1524年)
イスマイル1世(1487~1524年)

イスラム

610年にメッカのムハンマドにより創始された宗教。
唯一絶対神であるアッラーへの服従を意味し、アッラーの啓示を記した『コーラン』を経典とする。
信者は北アフリカから東南アジアまでを中心に分布しており、6億人ともいわれる。
ムハンマドの後継者問題をめぐりスンニ派とシーア派とに分かれた。
回教、モハメット教などともいう。

イスラム神秘主義

スーフィズムともいう。
スーフはアラビア語で羊毛のことで、これを奉じる信者たちが羊毛の粗衣を纏っていたことから名付けられたとされる。
禁欲・苦行により自我の意識を滅し、神との神秘的合一の境地を目指した。
8世紀後半に興り、12世紀後半から教団として組織化されていった。

イスラム暦

イスラム諸国で使用されている太陰暦。
預言者ムハンマドがメッカからメディナへと移住したヒジュラの年の元日(西暦622年7月16日)を起点とする。
一年を354日とし、30年に11回の閏年を置く。
ヒジュラ暦ともいう。

イスリム

蔓草(つるくさ)文様。
螺旋を描くように描かれる。
先端部にアラベスクを伴うのが一般的である。

イスリム
イスリム

緯打具(いだぐ)

横糸を固定させるための道具。
柄のついた鉄櫛で、横糸を通した後、これで強く叩いてしっかりと固定させる。
イランでは「ダフティーン」とよぶ。

一物多価(いちぶつたか)

同一商品を様々な価格で販売すること。
定価はなく、価格は売り手と買い手との交渉により決められるので、買い手ごとに支払う金額は異なる。
イランをはじめとする中東諸国には、この習慣が根強く残る。

イー・ティー・エフ・エー(ETFA)

イラン手織絨毯販売組合。
1987年に設立された農業聖戦省傘下の組織で、イラン手織絨毯生産組合のもとで生産された絨毯の販売に関わる諸業務を行う。
本部はテヘランにある。

糸繰車(いとくりぐるま)

紡錘によって紡がれた撚りの粗い毛糸を、用途に応じた固さに再び紡ぐための道具。
二つの糸束からそれぞれ毛糸を繰り出し、1本の撚糸にする。
縦糸用の糸は固く丈夫に、横糸用はは縦糸よりもやや柔らかく、パイル糸は横糸用よりも更に柔らかく撚ってゆく。
糸車とも。

糸繰車(いとくりぐるま)
糸繰車(いとくりぐるま)

糸杉

ヒノキ科の常緑高木で、南欧から中東にかけて自生する。
イランでは清廉潔白の象徴として、古くから庭園の植木として用いられてきた。
サファヴィー朝期に製作された絨毯にもその姿が見られる。

糸杉
糸杉

イマーム

アラビア語で「指導者」を意味する。
礼拝の導師や指導的学者をよぶこともあるが、スンニ派ではイスラム共同体・国家の指導者であるカリフを、シーア派では宗教的・政治的指導者を指す。

イマームザデ

イマームの子孫及び神聖さと高潔さに卓越する者、殉教を遂げた者に付される称号。
現在では彼らを埋葬した霊廟をいう。

イマームの広場

イスファハンにある広場で、イラン革命前は「王の広場」とよばれていた。
サファヴィー朝第5代君主であったアッバス1世の命により、1612年から数年をかけて造営された。
南北に510メートル、東西に160メートルの広大な敷地内にはイマームのモスク、シェイフ・ロトフォッラー・モスク、アリカプ宮殿などがある。
1979年にユネスコの世界遺産に登録された。

イマームの広場
イマームの広場

イマームのモスク

イマーム広場の南側に位置する壮麗なモスクで、イランにおけるイスラム建築の最高傑作とされる。
アッバース1世の命により1612年に建設が始まったが、18年後の完成を間近にして彼はこの世を去った。
四つのイワーンで囲まれた中庭と4基のミナレットを有し、高さ47メートルの礼拝堂の左右にはマドラサ(神学校)が併設されている。
かつては「シャーのモスク」とよばれていたが、イラン革命後に現在の名に改められた。

イマームのモスク
イマームのモスク

イマーム・レザー(766~818年)

シーア派十二イマーム派の第8代イマーム。
メディナで生まれた彼は799年、父イマーム・ムーサー・カーゼムの死去に伴いイマームとして即位した。
アッバス朝のカリフ、マームーンの招きによりメルヴに赴いたのち後継者に指名されるが、818年マシャドにおいて急死した。
シーア派はその死を毒殺によるものと信じ、彼を殉教者としている。

イマーム・レザー廟

マシャドにあるイマーム・レザーを祀った廟。
シーア派最大の聖地であり、国内はもとより海外からも多くの巡礼者が訪れる。
マシャドの町はこの廟を中心に発展した。

イマーム・レザー廟
イマーム・レザー廟

イラク

イランの西に隣接する国で、現在の正式な国名はイラク共和国である。
チグリス、ユーフラテス両川を擁し、メソポタミア文明の発祥地として知られる。
イランと混同されることがあるが、イラクはアラビア語を母語とするセム系のアラブ人の国であり、ペルシャ語を母語とするアーリア系のイラン人の国であるイランとは人種がまったく異なる。
ただし宗教についてはイランに同じく、イスラム教シーア派が多数を占める。
8世紀にアッバス朝が興り、首都バグダッドは世界最大の都市として大いに栄えた。
アッバス朝が衰退してからは異民族の支配を受け、16世紀にはオスマン帝国の属州となる。
第一次世界大戦後の1920年に英国の委任統治領となったが、32年にイラク王国として独立。
58年のイラク革命により王制が廃止され共和制となった。
1968年の7月17日革命によりバース党(アラブ社会主義復興党)の一党支配に入ったが、2003年のイラク戦争に敗れてバース党政権は崩壊した。
世界第3位の石油埋蔵量を誇る。

イラク
イラク

イラニアン・トルクメン

イラン国内に居住するトルクメンの総称。
北東部のゴレスタン州、北ホラサン州、ラザビ・ホラサン州を中心に分布する。
ギョクレンとヨムートが多数を占めるが、テッケやノクーリもいる。

イラン

「アーリア人の国」を示す語。
アーリア人はインド・ヨーロッパ語族のうちインド、イランに定住した民族で、アーリアはサンスクリット語で「高貴な」を意味するアリアに由来する。
アーリア人の国「アリアナ」が、音声置換を起こしてイランになったという。
イラン人は古来自らの国をイランとよんできたが、ヨーロッパではアケメネス朝発祥の地であるパールスに因んだペルシャが用いられた。
20世紀初頭の民族意識の高まりを受け、イラン政府は1935年3月21日から公式文書にイランを使用するよう諸外国に要請したが混乱を招き、59年にはイランの代替としてペルシャを用いることを認めた。
イラン革命によりイラン・イスラム共和国が成立し、正式な国名となる。

イラン・イスラム共和国

1979年のイラン革命により成立した国家。
イスラム教シーア派を国教とし、イスラム法学者が最高指導者として統治する。
最高指導者は終身制で行政、立法、司法の三権を司るほか、軍の最高司令官を務める。
行政府の長としては大統領がおり、議会は一院制である。

イラン・イラク戦争

イランとイラクとの間で、1980年から88年までの8年間にわたって行われた戦争。
シャット・アルアラブ川の領有をめぐる国境紛争に端を発し、イラン革命後の混乱に乗じたイラク軍のイラン領内への侵攻により全面戦争となった。
緒戦は準備に優るイラク軍の優勢をもって進んだものの、やがて膠着状態となり、82年には形勢が逆転してイラン軍がイラク領内へと侵攻した。
革命の輸出を恐れる西欧諸国やアラブの王国は挙ってイラクを支援したが、結局、88年夏までに国連安保理の停戦決議を両国が受け入れて戦争は終結した。

イラン・イラク戦争
イラン・イラク戦争

イラン革命

1979年に起きた革命で、パフラヴィー朝が打倒されイスラム共和国が樹立された。
反帝制を唱えてパリに亡命中のルーホッラー・ホメイニ師を誹謗中傷する記事が新聞に掲載されたことにより、クムで暴動が発生。
暴動はたちまちのうちに全国に拡大し、事態の収束を図れなくなったモハンマド・レザー・シャーはエジプトに亡命した。
入れ替わりにホメイニ氏が帰国し、政権を掌握した。

イラン系民族

インド・ヨーロッパ語族に属するイラン語派の言語を母語とする民族。
ペルシャ人のほか、クルド人、ルル人(ルリ)、バルーチ人、オセット人、パシュトゥーン人、パミール人、タジク人らがいる。

イラン高原

北をアルボルズ山脈、南と西とをザグロス山脈、東をヒンドゥークシ山脈に囲まれた三角形の高原。
標高は500~1500メートルで、そのほとんどは降水量の少ない極端な乾燥地帯である。
カビール砂漠とルート砂漠の二つの大砂漠を擁し、イランの国土の大半を占める。

イラン国立絨毯センター

→アイ・エヌ・シー・シー

イラン国立絨毯博物館

1976年にテヘランに建設された博物館で、16世紀から現代までの手織絨毯を所蔵する。
所蔵品はモハンマド・レザー・シャーの皇后であったファラのコレクションに、カジャール朝の元王族の寄贈品を加えたものが基礎となっている。
1階は常設展示場、2階は特別展示場で、合わせて3400平米の床面積を有す。

イラン国立絨毯博物館
イラン国立絨毯博物館

イラン国花

黄色の蔓薔薇(つるばら)とチューリップ。
園芸種の薔薇とチューリップのいずれもがイランを原産地とする説がある。

イラン国旗

現在のイランの国旗は上からイスラム教を表す緑、平和を表す白、勇敢さを表す赤の3色の横帯から成り、中央に剣と4つの三日月とを組み合わせてアッラーの文字、チューリップの花とした国章が描かれている。
白帯の上下には「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)の文句が11個ずつ、計22個配置されているが、これはイラン暦の11月22日にイラン革命が成就したことを示したものである。
帝制時代には太陽を背にし右前足に剣を持ったライオンが描かれていた。
ペルシャ絨毯には作者の銘とともに、簡素化されたイラン国旗が織り込まれているものがある。

イラン国旗
イラン国旗

イラン絨毯会社

→アイ・シー・シー

イラン手工芸協会

ペルシャ絨毯をはじめとする手工芸品に関わる技術指導と資金援助とを目的とし、旧産業省のもと1969年に設立された。
74年に産業省が工業省と商業省とに分割されてからは工業省に属していたが、2009年の省庁再編により新生産業省の傘下となった。
主要都市に直営店を有する。

イラン人

一般にイラン・イスラム共和国の国籍を持つ人をいうが、イラン系民族の意味としても用いられる。
(→イラン系民族)

イラン手織絨毯生産組合

1985年に設立された農業聖戦省に属する組織で、本部はテヘランにある。
革命により投資家を失った絨毯産業の保護と雇用の維持を目的として絨毯製作を行っている。

イラン手織絨毯販売組合

→イー・エフ・ティー・エー

イラン養蚕会社

イラン革命後の1980年、当時の農業農村開発省の主導により、ピレヴァール社とギラーン・シルク社とを統合して設立された国策会社。
ギラーン州のラシュトに本社を置き、総面積600ヘクタール以上に及ぶ四つの桑畑を有す。
年間20万箱の蚕種を生産し、ギラーン州、ラザビ・ホラサン州、マザーンダラーン州他の約7万件の養蚕家に供給している。
養蚕に関わる知識の普及と技術指導とを行うとともに、生繭を保証価格で養蚕家から買いあげて乾燥させた後、製糸工場に販売する。

イルハン朝

チンギス・ハンの孫であるフラグ・ハンがアッバス朝を倒して樹立した王朝。
モンゴル帝国の四ハン国の一つで、タブリーズを都とした。
第7代君主ガザン・ハンの時代にイスラム国家となり最盛期を迎えるが、第9代君主であったアブー・サイードの死後に後継者争いによる分裂によって弱体化。
1353年にティムール朝に吸収されて消滅した。

イワーン

イスラム建築に見られる半隧道型のホールのこと。
ササン朝期に原形が作られたが、イスラム建築に採用されるようになったのはセルジュク朝の時代に入ってからである。
ムカルナス(鍾乳石装飾)が施されたものもある。
エイワーンとも。

イワーン
イワーン

インディゴ

マメ目マメ科コマツナギ属に属する木本の植物で、青色の染料として利用される。
インドやイラン南部などで栽培されており、いくつかの種類があるが、とりわけインド南部原産のタイワンコマツナギが有名である。
紀元前2000年以前より染料として利用されていたが、アラブ商人により紀元前1000年代に中近東一帯から地中海沿岸へともたらされた。
インディカンという青色色素を豊富に含んでおり、葉を発酵させて沈殿法により色素を抽出するが、空気に晒すことで酸化し、美しい青色となる。
非水溶性で繊維が色素を吸収しにくく、そのため退色しやすいという欠点があるものの、それを味として楽しむ風潮もある。
インジゴともいう。

インディゴ
インディゴ

インド絨毯

インドで生産される手織絨毯。
自国ならではのデザインで製作されるものもあるにはあるが、その多くはペルシャ絨毯のコピーである。

インド絨毯
インド絨毯

インド数字

アラビア文字とともに使用される数字で、インドで考案されアラビアに伝わったことからそうよばれる。
のちにヨーロッパへと伝わり、アラビア数字へと変化した。
アラビア文字は右から左へと書くが、インド数字は左から右へと書く。
ペルシャ語では4、5、6の形が異なる。

インド数字
インド数字

ウィリアム・ヘンリー・パーキン(1838~1907年)

英国の化学者にして事業者。
ロンドンに生まれ、15歳で王立化学カレッジに入学してアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンに師事する。
1856年、アニリンからキニーネの合成を試みようとして偶然に赤紫色の化合物を発見。
それを「モーヴ」と名付け、染料として利用すべく特許を取得する。
パーキンは学校を辞めてグリーンフォードに工場を設立し、モーヴの生産を開始した。
1869年にはアントラセンからアリザリンを合成し、特許を申請したが僅か一日の差でドイツのグレーベらに先を越される。
1874年に化学者に戻り、モーヴ発見から50年目の1906年、ナイトの称号を授与された。

ウィリアム・ヘンリー・パーキン(1838~1907年)
ウィリアム・ヘンリー・パーキン(1838~1907年)

ウィリアム・モリス(1834~1896年)

英国の工芸家、詩人、社会運動家。
ロンドン近郊のウォルサムストーに生まれ、聖職者を志したのち工芸家となった。
産業革命によってもたらされた機械化時代、格差社会を批判し、中世への回帰を目指してアーツ・アンド・クラフツ運動を提唱した。

ウィリアム・モリス(1834~1896年)
ウィリアム・モリス(1834~1896年)

浮織(うきおり)

平織とパイル織とを組み合わせたもの。
パイル織の部分だけが浮きあがるので、文様が立体的になる。
16世紀から17世紀にかけて製作されたポロネーズ絨毯や、20世紀初頭に製作されたカシャーン産のシルク絨毯が有名である。
イランでは「スフ」という。

ウクバシュ

トルクメンがテントを収納する際、束ねた支柱の先端部に被せる袋。

ウール・ホワイト

染色が施されていない羊毛そのままの色。
ホワイトとはいうが、実際にはアイボリーに近いやや黄みがかった白である。
生成り色(きなりいろ)。

運命の鉤

部族民が製作する絨毯に見られるS字形もしくは逆S字形の文様。
鉤をかけて邪悪なものを閉じ込める、あるいは邪悪なものから身を護ることを意味するとされる。

運命の鉤
運命の鉤

永遠の結び目

結び目を意匠化した文様で、インドに起源を持つとされる。
一筆で描けることから「エンドレス・ノット」ともいう。
チベット密教では八つの吉祥の一つとされ、また中国においても結芸などの工芸に用いられてきた。
イスラム世界においても建築装飾などに取り入れられているが、部族の絨毯でいうこの文様は実際にはハシュト・ゴルである。

永遠の結び目
永遠の結び目

エヴィル・アイ

部族民が製作する絨毯に見られる、菱形を3~4層に重ねた文様。
不幸をもたらす妬みの視線を跳ね返すと信じられている。

エザーフェ

ペルシャ語の接続辞でイザーファともいう。
ある名詞に名詞、代名詞、形容詞が接続する場合、ある名詞の語尾に〜i、〜e、〜ye(語尾が母音で終わるとき)を付ける。
たとえば、シャリカト(会社)+セハーミー(株式の)+ファルシュ(絨毯)+イーラーン(イラン)なら、シャリカテ・セハーミーイェ・ファルシェ・イーラーン(イラン絨毯株式会社)となる。

エッジ

絨毯の左右端の部分で「サルベージ」「耳」ともいう。
平形と丸形の二つの仕上法がある。
イランでは「シラゼ」とよぶ。

エルサリ

トルクメンの部族の一つで、トルクメニスタン東部を主なテリトリーとする。
その大半はトルクメニスタンに居住するが、アフガニスタン、パキスタン、トルコ、イランなどにも一部が暮らしている。
総人口は約210万人といわれ、トルクメンの中では最大の部族である。
17世紀にカスピ海東岸のマンギシュラク半島からアムダリア川上流域へと移動した。

エンシ

トルクメンがテントのドア代わりに使用する絨毯。
出入口の外側から吊るされる。
フィールドは十字型に四分割されており、上部にはミフラブ(壁龕)が配されているものが多い。
ハッチカバー。

狼の口

部族民が製作する絨毯に見られる文様で、蟹のような姿で描かれることが多い。
狼から家畜を護る願いを込めたものであるとされる。
しばしば六角形の中に置かれる。

オー・シー・エム

ジ・オリエンタル・カーペット・マニュファクチュアズ(The Oriental Carpet Manufacturers)の略称。
かつてイランで操業していた英国の絨毯メーカーで、1908年にジェームズ・ベイカーにより設立された。
1911年イランに進出し、ハマダン、スルタナバード(現在のアラク)、ケルマンに絨毯工場を開設し、ヨーロッパへ向けて生産していた。
世界不況により1935年に撤退した。

オジーブ

二つの円弧を組み合わせて造る、頂部のとがったアーチのこと。
尖頭アーチ。

オジーブ
オジーブ

オスタード

仕事場で織師の指導・統率にあたる現場監督、ディレクター。
オスタードがカールファルマーを兼ねることもある。
棟梁。

オスターン

イランの行政区画の最上位にあるもので、「州」と訳されることが多い。
2021年現在、イランは31のオスターンにより構成されており、各オスターンは内務省に任命されたオスタンダール(州知事)が治める。
1983年に定められた行政区分法により、州の下にはシャフレスタン(郡)を置き、以下、バフシュ(地区)、シャフル(市)、デヘスタン(行政村)、デフ(村)の順で細分化される。

オスターンクッズ・ラザビ絨毯博物館

マシャドのオスターンクッズ・ラザビ(イマーム・レザーの聖域)内にある11の博物館の一つ。
2003年に建設が始まり、2011年に開館した。
4階建で、延床面積は8,987平方メートル。
1階はイラン東部と中部の絨毯、2階はイラン西部と部族の絨毯、3階はサファヴィー朝期の絨毯と大きなサイズの絨毯とに分けて展示されている。
これらの展示品はイマーム・レザー廟へ寄進された、いわゆる「シュライン・コレクション」を基礎としたものである。
4階には研修室がある。
(→シュライン・コレクション)

オスターンクッズ・ラザビ絨毯博物館
オスターンクッズ・ラザビ絨毯博物館

オスマン帝国

1299年にトルコ族のオスマン1世がアナトリアに建国したスンニ派イスラム国家。
君主であるスルタンがカリフを兼ねる体制をとり、第10代スルタンであったスレイマン1世の時代には、イランを除く西アジア、北アフリカ、東ヨーロッパを支配する大帝国となった。
シーア派国家であるサファヴィー朝とはたびたび衝突し一進一退を繰り返したが、17世紀末から徐々に衰退し始める。
第一次世界大戦に敗北した後、トルコ革命により消滅した。

オービュッソン

フランス中央部、クルーズ県にある町。
マシフ・サントラル(中央山地)の北西に位置し、クルーズ川に沿う。
15世紀にフランドル(フランダース)からタペストリーの技術が伝えられ、タペストリーの町として有名になった。
住民の多くがプロテスタントであったため、ルイ14世がナントの王例を廃止すると職人たちが国外に亡命。
一時衰退したものの18世紀に復興し、王立工房が設けられた。
1743年には絨毯の生産が始まり、当初はトルコ絨毯のデザインに倣ったが、のちにサボンネリエ様のシンプルなものとなった。

オービュッソン
オービュッソン

オマル・ハイヤーム(1048〜1131年)

セルジュク朝期の天文学者、数学者、詩人。
ニシャープールに生まれ、26歳でマリク・シャーの宮廷に登用された。
暦法改正に従事し、今日のイラン暦の元となるジャラール暦を制定したほか、二次方程式、三次方程式の幾何学的解法を考案した。
ペルシャ語の四行詩集である『ルバイヤート』を著したことでも知られる。
ウマル・ハイヤームとも。

オラッド

チャハルマハルの南西端にあるザグロス山脈に近いナグンに住む、ルリもしくはバクティアリの一族。
オラッドは「部族」「一族」を意味する語で、特定の部族を指したものではない。
この名で取引される絨毯はイスファハンのバザールで「パシュクヒ」ともよばれる。
パシュクヒは小ルリに属する支族の名であるが、実際にはパシュクヒが製作したものではない。

織師

織職人、織子。
手織絨毯の製織に携わる職人で、イランでは「バーファンデ」という。
女性の職としてのイメージが強いが、都市部における男女比は半々といわれる。
タブリーズではそのすべてが男性である。

オールド

製作されてから概ね50年を経たものをいう。

折れた枝

イランでは「シャーヘ・シェカステ」とよばれる幾何学的な唐草文様。
シャーフは「枝」、シェカステは「折れた」の意で、植物の茎が折れた枝のように見えることからそう呼称される。
ヘリズで産出される絨毯のデザインとして有名。

折れた枝
折れた枝

カ行

化学染料

芳香族化合物を原料とし、有機化学合成により人工的に作られた染料。
アニリン染料、アゾ染料、クローム染料などがある。
人造染料、合成染料ともいう。

カカベル

クルドの一部族で、クルディスタン州の州都であるサナンダジの北をテリトリーとする。
サナンダジやハマダンのバザールでいうカカベルは、サナンダジ周辺に暮らす部族民が製作した絨毯の総称で、カカベル以外の部族の作品も含まれる。

カシミール絨毯

インド北西部のカシミール地方で産出される手織絨毯。

カシミール絨毯
カシミール絨毯

カジャール朝

1796年にカジャール部族連合のアガー・ムハンマドがアフシャル朝を倒して樹立した王朝。
首都をテヘランに置き遊牧分封制に基づく統治を行ったが、ロシアとの二度にわたる戦争に敗れて南コーカサスを失った。
更に英国との戦争に敗れて東ホラサンを失い、以後英露による植民地化の波にさらされた。
こうした中、内乱が相次ぎ、内政は大いに混乱した。
1921年のクーデターにより実権を掌握したレザー・ハーンの画策により1925年に消滅した。

果樹園

13世紀のイランの詩人、サーディーが著した道徳書。
1257年に完成し、セルジュク朝の地方政権であったサルグル朝第6代君主、アブー・バクル・ビン・サードに捧げられた。
4000句の叙事詩からなり、次作の『薔薇園』とともにサーディーの代表作として名高い。
『ブースターン』ともいう。

カシュガイ

イラン南西部をテリトリーとするトルコ系部族連合。
チンギス・ハンの征西に参加して中央アジアからコーカサスに進出し白羊朝の成立に加わるが、白羊朝がサファヴィー朝に倒された後、イスマイル1世によりイラン南西部へ強制移住させられたとされる。
人口は40万人とも20万人ともいわれるが、中央の定住化政策に反し遊牧生活を続ける者も少なくない。

カシュクリ

カシュガイを構成する部族の一つ。
「大カシュクリ」(カシュクリ・ボゾルグ)と「小カシュクリ」(カシュクリ・クーチェ)とに分かれており、大カシュクリのほとんどは定住民であるが、小カシュクリには現在も遊牧生活を送る者が少なくない。
大カシュクリ、小カシュクリの何れもがカシュガイ絨毯の最高級品を製作している。

カタリナの輪

聖カタリナの象徴として描かれる釘打ちされた車輪のこと。
アレクサンドリアのカタリナは、ローマ皇帝であったマクセンティウスにキリスト教への迫害をやめるよう説いたため、釘打ちされた大きな車輪に括りつけられて転がされるという拷問を受けることになった。
しかし彼女が触れると、車輪は一瞬にして壊れてしまったという。
その車輪を連想させることからよばれるが、実際はロゼットの一種である。

カーディング

毛糸の紡績における工程の一つ。
採取した羊毛をくしけずり、不純物を取り除くとともに繊維を一定方向に揃える作業をいう。
梳毛(そもう)。

ガード

ボーダーの内外周に配された細い枠のことで、イランでは「ハーシエ・クーチェク」という。
内周のガードを内ガード(インナー・ガード)、外周のガードを外ガード(アウター・ガード)とよび分けることもある。

カーバ神殿

メッカのハラーム・モスク内にある神殿で、イスラム教徒にとってはもっとも神聖な建造物である。
カーバとは立方体を意味する如くほぼ立方体の形状をしており、一隅に大天使ガブリエルが運んだと伝えられる黒石がはめ込まれている。
コーランによればイブラヒムと息子のイスマイルが建設したとされ、地上で最初の聖地であったという。
イスラム教徒は一日5回(シーア派は3回)この神殿に向かって礼拝するほか、一生に一度の巡礼が義務づけられている。

カーバ神殿
カーバ神殿

ガービ

額縁文様。
コンパートメント文様(バンディ)に似るが、明確な枠組みが設けられているのが特徴である。

カビール砂漠

イラン北中部に広がる大砂漠。
面積は約4万7000平方キロで、ラザビ・ホラサン、南ホラサン、セムナン、イスファハン、クムの5州に跨る。
雨がほとんど降らず、塩分を多く含んだ湿地と塩の砂漠が延々と広がっている。
南部の一部を除くと動植物は生息しない。

花瓶文様絨毯

花瓶文様が織り出された絨毯であるが、特にサファヴィー朝のアッバス1世の時代に製作された一連の作品をいう。
もっとも有名なのはビクトリア・アンド・アルバート美術館が所蔵する一枚で、これはウィリアム・モリスが所有していたものであった。
産地についてはケルマンとする説やジョーシャガンとする説があるが定かではない。
トリプル・ウェフトの構造が特徴である。

花瓶文様絨毯
花瓶文様絨毯

カプ

トルクメンの女性が使用する小型の袋。
トルバよりも狭い幅で作られ、肩掛け用の紐が付いている。
鏡を仕舞うためのものはアニアカプと呼ばれる。

カプヌク

トルクメンが使用するテント飾り。
コの字の形状をしており、出入口の内側から吊るされる。
カプリックともよばれる。

ガブリエル

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の大天使の一人。
イスラム教ではジブリールといい、預言者ムハンマドに神の言葉である『コーラン』を伝えた最上位の天使とされる。

ガブリエル
ガブリエル

カーペット・イン・カーペット

絨毯の中に絨毯を置いたデザイン。
クムやヤラメの絨毯によく見られる。

カーペットベルト

古くから絨毯が製作されてきたと考えられる、アジアの東西に帯状に広がる地域。
トルコからイラン、中央アジアを経てモンゴルに至り、絹の道のルートにほぼ一致する。

唐草文様

植物の蔓や葉が絡み合いながら伸びる様を意匠化したもの。
起源については定かではないが、古代ギリシャのアカンサス文様とする説、エジプトの蓮(ロータス)文様とする説などがある。
偶像崇拝を禁じるイスラム世界においてはモスクなど宗教建築の装飾として著しい進化を遂げ、食器や絨毯などの工芸品のデザインとしても人気となった。
日本へは奈良時代に中国=唐から伝わったことから「唐草」とよばれる。

カラジャ

イラン北西部、東アゼルバイジャン州ヘリズ郡にある人口1000人ほどの小さな村。
州都タブリーズからは45キロほどで、タブリーズからアルデビルへと向かう途上に位置する。
この村で産する絨毯は典型的なビレッジ・ラグで、フィールドを大きな二種類のメダリオンと幾何学的な花葉文様で飾ったデザインが有名。
シングル・ウェフトの構造で、ときにハマダン地方の絨毯と間違われることがあるが、色はヘリズ産とほぼ同じである。
丈夫で耐久性があり、また安価であるため実用に向く。

ガラット

ペルシャ語で「普通でない」「珍しい」の意。
特定のパターンがある訳ではなく、ペルシャ絨毯における文様の分類から外れたデザインの総称である。

ガリ

大型の絨毯を指すペルシャ語で、一般にはキャレギよりも大きなサイズをいう。
部族民が製作する絨毯においては、テント内に敷かれるドザールからキャレギのものを指す。

カーリー・バーフィー

「絨毯織り」を意味するペルシャ語。

カルトゥーシュ

装飾枠飾りの意。
カルトゥーシュは銃の実包を意味するフランス語で、もとは古代エジプトの象形文字で記された王や神官の名を囲む枠線を指し、形状が似ていることからそうよんだ。
絨毯ではボーダーのデザインとして用いられるほか、銘を囲む枠飾りとして用いられる。

カールハネ

「工場」「製造所」を意味するペルシャ語。

カールファルマー

絨毯製作におけるプロデューサー。
絨毯製作を企画して出資し、製作工程のすべてを監督するほか、完成した絨毯を販売する。
資産家、地主、絨毯商などが務めることが多い。

ガンディール

吊ランプ。
ミフラブ文様に組み合わせられるほか、メダリオンの外周を飾る装飾あるいはメダリオンから延びるペンダントとして用いられる。

生糸(きいと)

蚕の繭から引き出した繭糸(けんし)を数本束ねて1本の糸にしたもの。
撚糸や精錬などの加工を施していないものをいう。

祇園祭(ぎおんまつり)

平安時代から続く京都、八坂神社の例祭。
東京の神田祭、大阪の天神祭と並び「日本三大祭り」の一つに数えらる。
869年に疫病退散を祈願して鉾(ほこ)66基を神輿とともに神泉苑に送ったのが起源とされ、室町時代になると山や鉾が登場し、江戸時代には 33基の山鉾に固定されたという。
7月1日の吉符入(きっぷいり)から 31日の境内社疫神社の夏越祓(なごしのはらい)まで 一月にわたって行われるが、ハイライトは17日の 山鉾(やまぼこ)巡行である。
山鉾の懸装品(かけそうひん)には17世紀から18世紀の中国の織物やベルギーのタペストリー、イランやインドの絨毯などが用いられており、そのため「動く美術館」とよばれる。

祇園祭(ぎおんまつり)
祇園祭(ぎおんまつり)

キシュラク

遊牧民の冬の宿営地。

キジルバシュ

サファヴィー神秘教団の指導者であったイスマイル1世が、信徒のトルクメン7部族をもって組織した騎馬軍団。
イスマイル1世を救世主として絶対的忠誠を誓い、サファヴィー朝の成立に大きく貢献した。
サファヴィー朝成立後、その有力者たちは中央の要職や地方の太守などに任じられたが、その後内部抗争を繰り返したため、第5代君主アッバス1世により追放された。
キジルバシュは「赤い頭」を意味するが、これは彼らが被っていた赤い帽子に由来する。
クズルバシュとも。

キジルバシュ
キジルバシュ

絹の道

ユーラシア大陸を横断して、中国と地中海沿岸地域とを結んだ古代の交易路。
中国の特産品であった絹がこの道を通って西方にもたらされたことから、ドイツの地理学者リヒトホーフェンが命名した。
紀元前2世紀末に開かれ、東西文化の交流に重要な役目を果たしたが、海上交通の発展により衰退した。
シルクロード。

キブラ

メッカ(サウジアラビア)のカーバ神殿の方向を指す語。
アラビア語の定冠詞であるアル(英語のtheに相当)をつけて「アル・キブラ」ともいう。
イスラム教徒はキブラに向かって礼拝する。

ギヤース・ウッディン・ジャミ(生没年不詳)

16世紀のイランの絨毯作家。
ミラノのポルティ・ペッツォーリ美術館が所蔵する「狩猟文様絨毯」の作者として知られる。

ギャッベ

カシュガイやルリが製作する、普段使いに用いられる絨毯。
色遣いにより「ナチュラル・ギャッベ」と「カラード・ギャッベ」とに大別される。
現代のギャッベは最近になってから現代人の趣向に合わせて作られたもので、伝統的なギャッベとは別物である。

ギャッベ
ギャッベ

ギャベ(映画)

1996年に製作されたイラン・フランス合作映画で、原題は『GABBEH』。
一人の娘の恋をギャッベを通じて幻想的に描く。
監督はイラン映画界の巨匠モフセン・マフマルバフで、主演はシャガイエグ・ジョタト。
著名な染色家であるアッバス・サヤヒがテントスクールの教師役で出演している。
日本では2000年に公開された。

ギャベ(映画)
ギャベ(映画)

キャメル・ハマダン

かつてハマダン周辺で製作されていた、駱駝色の羊毛をパイルに用いた絨毯。

キャメル・ハマダン
キャメル・ハマダン

キャメル・ヘア

駱駝の毛のことであるが、絨毯に用いられることは昔も今もほとんどない。
高価であるのと、脱色ができず染色に適さないのが理由である。
イラン人がいう「ショトリ」には駱駝の毛の意もないではないが、実際には駱駝色を示す語として使われることが多い。
つまり絨毯でいうキャメル・ヘアは、駱駝色の羊毛を指すものと考えてよい。

キャラバン・サライ

ペルシャ語で「隊商宿」の意。
西アジアを中心に見られる隊商や巡礼者のための宿泊施設であるが、商人の事務所や倉庫として使われることもあった。
街中にあるキャラバンサライは市場に隣接して建てられたものが多い。


キャラバン・サライ

キャレギ

ペルシャ絨毯のサイズの呼称の一つで、約200×約300(cm)のものをいう。
キャレギは「頭」の意。
イランでは部屋の中央にキャレギを敷き、その左右の側部にケナレ(ランナー)、上部にミアン・ファルシュ(幅が狭いキャレギ)を敷くのが本来であった。

宮廷工房

宮廷が直営する工房。
宮廷指定の民間工房を含めていう場合もある。

宮廷絨毯

宮廷の保護下において製作された絨毯の総称。
現存するものとしてはイランのサファヴィー朝、カジャール朝のほか、エジプトのマムルーク朝、オスマン帝国、ムガール帝国の宮廷工房あるいは宮廷指定の工房で製作されたものがある。

ギュル

トルクメンの部族の紋章で、絨毯のフィールドに連続して織り出される。
15世紀の細密画には既にこの様式の絨毯が描かれていることから、古くから用いられてきた文様であることがわかる。
ペルシャ語で花あるいは薔薇を意味する「ゴル」に由来するとも言われますが、定かではない。
トルクメン絨毯が「商品」として流通するようになった19世紀以降そのアイデンティティは薄れ、部族に関係なく売れるデザインのギュルを用いた絨毯が製作されるようになった。

ギュル
ギュル

矯正機

絨毯の歪みを矯正するための装置。
ストレッチャーともいう。

矯正機
矯正機

矯正ベルト

絨毯の左右端が裏側に丸まるのを矯正するために取り付けられるベルトのこと。
主にウール絨毯に使用される。
厚みのある合成皮革製のものが多い。
「ウェイト・ベルト」ともいう。

鋸歯文様(きょしもんよう)

三角形を一列に並べたもので、都市部においてはガードに使用される場合がほとんどだが、農村部や部族民の絨毯では、菱形や六角形のメダリオンの外周に配されることもある。
ティース・パターンともいう。

キリム

縦糸と横糸だけで構成される綴織の一種。
平織、スリット織、繋織、重ね繋織、曲線織等、いくつかの織り方がある。
キリムはペルシャ語のゲリーム、すなわち「粗い織布」に由来するといわれ、その単純な構造から絨毯よりも長い歴史を持つとされる。
イランではクルドやシャーサバン、カシュガイが製作している。
ソマックやジャジムも含めた綴織の総称として用いることもある。
絨毯の織り始めと織り終わりに作られる平織の部分もキリムとよぶ。

麒麟(きりん)

古代中国で生まれた想像上の動物。
鳳凰(ほうおう)、竜、亀と並ぶ四瑞の一つで、泰平の世の兆しとして現れるとされた。
一説によれば雄を麒、雌を麟という。
五色に輝く鹿のような体に馬のようなの蹄(ひづめ)と牛のようなの尾とを持ち、雄は頭に一本の角がある。
その姿には西洋のユニコーンの影響があるともいわれるが、イランには中国から伝わったことはほぼ間違いない。
16世紀前半に製作された「戴冠式絨毯」に鳳凰や龍とともに織り出された麒麟は、まさしく中国のものである。

金銀糸

金・銀を用いた糸の総称。
金襴(きんらん)の織物、刺繍など様々な装飾に使用される。
中国、朝鮮、日本では箔糸(はくいと)にしたものを用いるが、ヨーロッパ、西アジアでは切金(きりかね)を用いる。
切金を用いる方法としては、細断した切金をそのまま糸とする方法と絹糸などに巻きつける方法がある。
浮織りの絨毯やキリムに使用されるのは後者である。

空間の恐怖

ラテン語のhorror vacuiの訳。
隙間がないように文様で埋め尽くすことをいう。
イスラム美術において顕著である。

草木染

植物染料を用いて行う染色のことであるが、貝紫やコチニールなどの動物染料や鉄などの鉱物染料(顔料)による染色を含めることもある。
天然の色相による柔らかで暖かみある色調が魅力だが、日光・洗濯堅牢度に欠け褪色しやすいという欠点がある。
植物染とも。

クーフィー体

アラビア文字の書法の一つ。
名はアッバス朝草創期の首都であったクーファに由来し、アラビア文字では最古の書法である。
直線による幾何学的な字体が特徴で、建築・工芸のデザインとしても用いられた。

クーフィー体
クーフィー体

雲のリボン

15世紀初頭に中国から伝わったたとされる文様で、その異国情緒と優雅な姿から写本の装丁やペルシャ絨毯のデザインによく用いられた。
Ω形のものがよく知られるが、他にも様々な形状がある。
「瑞雲文様」「クラウド・バンド」ともいう。

クラーク・サイクル・リーフ絨毯

17世紀中頃にケルマンで製作されたとされる縦2.67メートル、横1.96メートルの絨毯で、米国の上院議員で鉱業家、銀行家でもあったウィリアム・A・クラークが所蔵していたことからこの名でよばれる。
サイクル・リーフは鎌状の葉のことである。
2013年にワシントンで開催されたサザビーズのオークションに登場し、絨毯としては史上最高額の3370万ドル(約32億円)で落札された。

クラーク・サイクル・リーフ絨毯
クラーク・サイクル・リーフ絨毯

鞍敷(くらしき)

鞍壺 (くらつぼ) の上に敷く敷物。
馬氈 (ばせん) 、上敷 (うわしき) ともいう。

鞍敷(くらしき)
鞍敷(くらしき)

鞍袋

馬や驢馬、駱駝等の背に掛けて使用する袋で、イランでは「ホルジン」とよぶ。
ペアの袋を向かい合わせた形状になっており、家畜の種類によってさまざまなサイズがあるが、形状は同じである。
絨毯だけでなくキリムやソマックを表面に用いたものもあり、最近ではバイクの荷台に使用する例も見られる。

クリムゾン

色名の一つで、やや青味を帯びた濃くて明るい赤色を指す。
古くはケルメス・カイガラムシから、のちにコチニール・カイガラムシから得られるようになった染料の色。
単に赤色の意味で用いられることも多い。

クリムゾン
クリムゾン

クルディスタン

クルド人が居住する地域で、イラン、イラク、トルコ、シリアの国境が接する山岳地帯にある。
40万平方キロに及び、2千数百万人のクルド人が暮らす。
「クルドの地」を意味するクルディスタンが正式に地名として定められるのはセルジュク朝第8代君主であったアフマド・サンジャルの時代のことで、サファヴィー朝の時代にはオスマン帝国との争奪戦の舞台となった。
第一次世界大戦後に独立が承認されたが、オスマン帝国を倒して成立したトルコ共和国の反発により独立は白紙に戻された。

クルディスタン州

イラン北西部にある州(オスターン)で、州都はサナンダジ。
人口は135万人で、多くがクルド人である。
第二次世界大戦後の1946年には、ソ連の支援を受けてクルディスタン人民共和国(マハーバード共和国)として独立したが、僅か一年で消滅した。

クルド

主にクルディスタンに暮らすイラン系民族で「国家を持たない世界最大の民族」といわれる。
起源は古代グティウム王国に遡り、アケメネス朝の時代には「カルダカイ」とよばれていたが、7世紀のアラブ人の侵攻以降、クルドとよばれるようになった。
ジャフ、ヘルキ、カカベル、ギャッルース、グラニ、コリアイ、センジャビ、ハリバイ等の部族に分かれる。

クローム染料

クローム塩などの金属化合物を媒染剤として用いる科学染料。
媒染剤との化学結合によって繊維に染着するため、退色しにくいのが特徴である。
手織絨毯は1940年代に使用されはじめ、その後主流となった。

毛刈(けがり)

羊の毛を刈り取ること。
剪毛(せんもう)ともいう。

ケナレ

細長い絨毯。
ケナレは「端」の意で、ガリの左右にペアで敷くのが本来の敷き方である。
ランナー。

ケミカル ・ウォッシュ

希釈した硫酸等を用い、絨毯のパイルを黄変させて人工的に古色をつける技法。
ヨーロピアン・ウォッシュともいう。

ゲルド

円形の絨毯。

ケルマニ種

イラン中西部のケルマンシャー周辺に在来する羊の種。
毛は東部のホラサニ種に次いで良質とされる。

ケルマン・アフシャル

ケルマン地方に居住するアフシャルが製作する絨毯。
主な産地としてはシルジャン、シャハレババク、ダハジなどがある。

ケルマン・アフシャル
ケルマン・アフシャル

ケルマン・コーラニ

アメリカン・ケルマンと同時期に製作されたケルマン絨毯の一種。
コーランの表紙を模したデザインであることからこうよばれる。
プレイン・デザインではあるが文様は枠組みの中に厳格に納められており、自由奔放なイメージのアメリカン・ケルマンとは対照的である。
色についても赤や濃紺、濃緑を基調とした荘厳さを感じさせるものが多い。

ケルマン・コーラニ
ケルマン・コーラニ

ケルマン式織機

竪型巻取式織機。
織りあがった部分をローラーで巻取りながら作業を進められるため、大きなサイズやランナーの製作に適している。
前で巻取るタイプと後ろで巻取るタイプの二つがある。

ケルマン・ラバー

ケルマン絨毯の最高級品に用いられる呼称。
かつてケルマン市北方のラバーで、きわめて高品質な絨毯が製作されていたことに由来する。
今日ケルマン・ラバーとして取引される絨毯の多くはラフサンジャンやマハンで製作されている。

ケルマン・ラバー
ケルマン・ラバー

ゲレ

「結び」を意味するペルシャ語。

ゲレ・ノホディ

団子結び。
フリンジの処理の仕方の一つ。
ノホディはヒヨコマメの意。

絹紡糸(けんぼうし)

生糸にできない繭や製糸の工程で発生する副蚕物(きびそ)、屑繭(ビス)等を製錬して綿状にし、それを紡績して造られた絹糸。
生糸に比べると光沢や滑らかさに劣るが、ふっくらとした柔らかさがある。
マラゲで生産される絨毯に使用される。
スパンシルク。

工場制手工業

マニュファクチュアともいう。
資本家が設備を整えた工場に数名から数十名の賃金労働者を集め、手工業的技術に基づきながらも分業と協業の体制の下で生産を行う。
(→工房)

合成染料

→化学染料

構造

絨毯の構造は経糸、横糸、パイル糸の三つから成る。
横糸の本数によりシングル・ウェフト、ダブル・ウェフト・トリプル・ウェフトに分類され、更に縦糸の重なり具合によりシングル・ノット、セミ・ダブル・ノット、ダブル・ノットに分類される。

工房

手織絨毯の製作を行う工場、あるいは製作に関わる人的組織。
前者は多数の小生産者を一つの仕事場に集め、同一資本の管理下に置いて賃金を支払い生産に従事させる工場制手工業(マニュファクチュア)によるもので、タブリーズなど一部の産地において見られる。
後者は商人(問屋)である絨毯作家が材料、道具、生活費等を貸し付けて労働者や農民などの小生産者に生産させ、生産物をすべて買い取る問屋制家内工業によるもので、多くはこの形態をとる。

コーカサス

黒海とカスピ海とに挟まれた地域で、北はクママヌイチ凹地から南はトルコとイランの国境までをいう。
コーカサス山脈を境に北側を前コーカサス、南側を後コーカサスとよぶが、前コーカサスはロシア連邦、後コーカサスはかつてソ連に属したジョージア、アゼルバイジャン共和国、アルメニア共和国の3国からなる。
古くから東西あるいは南北の交通路となり、様々な民族、言語、文化が交錯した。
近世以降はオスマン帝国、イラン、ロシアの争奪戦の舞台となり、19世紀にはロシア領となる。
石油、天然ガス、石炭、鉄鉱石など豊富な地下資源を有する。
カフカスともいう。

コーカサス絨毯

コーカサス地方で産出される絨毯の総称。
16世紀末ごろからクバ地方を中心に発達した。
主な産地としてはクバのほか、カザク、カラバグ、シルヴァン、タリシュ、ダルバンドなどがある。
大胆で鮮やかな幾何学文様が多い。

コーカサス絨毯
コーカサス絨毯

ゴガルジン

イラン北西部、クルディスタン州ビジャー軍にある村。
ビジャーの東に隣接し、フィールドにヘラティ文様を配したメダリオン・コーナー・デザインの絨毯を産する。
ビジャー産によく似るが、やや武骨なのが特徴である。

黒羊朝(こくようちょう)

イルハン国の流れを汲むジャイラル朝の配下にあったトルクメンのバイラム・ホジャが、1378年にイラク北部のモスールを中心とするディヤルバクル地方に樹立した王朝。
第3代君主カラ・ユースフの時代、ティムール朝の侵攻により領土を失ったが、ティムールの死を好機としてアゼルバイジャンを奪い、更にイラクに進んでバグダッドを占領してジャイラル朝を滅亡させた。
1420年、ティムール朝のシャー・ルフはアゼルバイジャンまでの東方の地域を黒羊朝から奪還。
第4代君主ジャハーン・シャーにアゼルバイジャンを統治させる代わりにティムール朝の総主権を認めさせた。
シャー・ルフの没後、ティムール朝は混乱し、その機に乗じたジャハーン・シャーはイラン高原中部からホラサン地方に侵攻して勢力を拡大する。
67年、白羊朝を討つべく進撃中にジャハーン・シャーが戦死したことにより黒羊朝は分裂し、白羊朝に吸収された。

古代ペルシャ語

アケメネス朝期に用いられた楔形文字。
古代ペルシャ語を書き表すため、ダリウス1世以前の時代に考案された。
一つの音素または単音を一字で表わす音素文字である点、行政記録などの実用に供されることはなく、歴代君主の事績を記録するためだけに使用された点が他の楔形文字と大きく異なる。
ペルセポリス、スーサ、ハマダンなどの遺跡に残るが、もっとも知られているのはケルマンシャーにあるベヒストゥン碑文である。

コチニール(カイガラムシ)

カメムシ目コチニールカイガラムシ科コチニールカイガラムシ属に属する昆虫。
中南米原産で、アステカ帝国の時代から染料だけでなく薬や化粧品などにも用いられていたが、大航海時代以降この地を支配したスペインにより世界に広められた。
色素を持つのは雌だけで、卵を産む前二倍ほどに膨れ上がったところを採取し、殺虫・乾燥させた後にすり潰して染料とする。
やや青味がかった赤色を染める。

コチニール(カイガラムシ)
コチニール(カイガラムシ)

コチニール・レッド

鮮やかな紫みの赤。
コチニールカイガラムシから得られる赤。
洋紅。

コチニール・レッド
コチニール・レッド

ゴート・ヘア

山羊(やぎ)の毛のこと。
絨毯のパイルに使われることはないが、部族民が製作する絨毯では縦糸やエッジのかがり糸として用いられることがある。
イランの部族民が飼育するのはマンバー種の山羊で、毛は黒くて硬い。
丈夫であるためテントやロープなどにも使用される。

ゴート・ヘア
ゴート・ヘア

コーナー

フィールドの四隅もしくは上方の二隅に設けられる三角形の小間。
スパンドレルともいう。

コーラン

イスラム教の根本聖典。
正しくはクルアーンといい、アラビア語で「読むべきもの」の意である。
114の章から成り、唯一絶対神であるアッラーへの服従と信徒が従うべき戒律・掟とを説く。
610年から632年までの間に教祖ムハンマドがアッラーから下された啓示をまとめたもので、第3代カリフであったウスマーンの時代に定本が定められた。

コーラン
コーラン

ゴル

「花」もしくは「薔薇」を意味するペルシャ語。

コルク・ウール

絨毯のパイルに用いられる柔らかな羊毛の総称。
羊の肩から脇にかけての毛のほか、子羊の毛(ラム・ウール)、オーストラリアやニュージーランドから輸入した羊毛も含まれる。
かつては英国マンチェスターから輸入したメリノ種の羊毛をコルクとよんだ。

ゴルダニ

ペルシャ語で「花瓶」の意。
花瓶文様はイルハン朝やティムール朝の時代に、中国から伝わった花器や水差しのデザインをもとに考案されたといわれる。
サファヴィー朝期に製作された花瓶文様絨毯は有名であるが、現在でも豊穣のシンボルとして多くの絨毯に採用されている。
ミフラブ文様や樹木文様などと組み合わせられるほか、フィールド一面に連続して配置された「ジリ・スルタニ」とよばれる文様もある。

コルトク

イラン北西部、ザンジャン州ザンジャン郡にある人口約1300人の村。
10の村々が集まるデスターン・コルトク(コルトク農業地帯)にあり、住民の大半がクルドのハリバイ族である。
ビジャー産に似た幾何学文様の絨毯を産する。

ゴル・ファランギ

ペルシャ語で「ヨーロッパの花」の意で、写実的に描かれた花々を束ねたデザインをいう。
フランスのオービュッソンやサボネリエで製作された絨毯のデザインに倣ったもので、19世紀後半になってから登場した比較的新しいで文様である。
ブーケ・デザインともよばれる。

ゴロ・ボルボル

写実的に描かれた花々や鳥たちをフィールド一面に配した文様。
イスファハンの意匠師であったホセイン・モッサバル・アルモルキが考案したものとされる。
ゴルは花もしくは薔薇を、ボルボルはナイチンゲール(サヨナキドリ)を意味するペルシャ語である。

ゴンバド

「ドーム」を意味するペルシャ語。
ドーム状の屋根を持つ廟などもこの名でよぶ。

ゴンバド
ゴンバド

サ行

細密画

写本などの挿絵や装飾として描かれた緻密な描法による小さな絵のこと。
手写本彩色画、ミニアチュールともいう。
イランにおいてはアッバス朝の時代からビザンチン・ヘレニズムの影響を受けた細密画が制作されていたが、モンゴルの征西により中国絵画の描法が伝わると、それらを融合させる形で独自の進化を遂げた。
ティームール朝の時代にはベフザードらの細密画家が登場し、頂点を極めた。

細密画
細密画

彩釉タイル

表面に釉薬が施されたタイルのこと。

先染め

羊毛を先に染めてから糸に紡ぐこと。
染料を多く必要とするためコストが高くつくが、深みのある色を得ることができる。
ケルマンなどで採用されている。

ザグロス山脈

イラン南西部にある山脈。長さ900キロ、幅240キロに及び、3600メートル以上の峰が続く。最高峰は海抜4548メートルのザルド山。

ササン朝

224年にアルデシール1世がアルケサス朝を倒して樹立した王朝。
アケメネス朝の再興を目指し、ゾロアスター教を国教とした。
第21代君主ホスロー1世の時代に最盛期を迎え、ユーフラテス以東のオリエントを支配する大帝国を築く。
ホスロー1世が没すると徐々に衰退し、イスラム軍との戦いに敗れて651年に消滅した。

サーダバード宮殿

テヘラン北部のアルボルズ山麓にある宮殿。
パフラヴィー朝の夏の宮殿として利用された。
110ヘクタールの敷地内にはシャーの住居であった「白の宮殿」や皇后の住居であった「緑の宮殿」をはじめとする、いくつもの宮殿が点在する。
イラン革命以降は現代美術館、歴史博物館、軍事博物館等になっている。

サーダバード宮殿
サーダバード宮殿

サーディー(1213?~1292年)

イランの四大詩人の一人。
シラーズに生まれ、バグダッドのニザーミア学院に学んだのち、20年余に渡りインドから北アフリカまでを放浪する。
1256年に郷里に戻ってからは地方政権であるサルガル朝の王子やイルハン朝の太守の知遇を受け、不朽の名作となる『果樹園』『薔薇園』を著した。

サナンダジ

サナンダジはイラン北西部にあるクルディスタン州の州都で、人口は約44万人。
住民の大半はイスラム教スンニ派を信仰するクルド人だが、シーア派教徒のイラン人やキリスト教徒のアルメニア人もいる。
かつてはセネとよばれたが、やがて「山裾の城」を意味するサナンダジとよばれるようになった。
この町が建設されたのはサファヴィー朝期の17世紀初頭のことで、サファヴィー朝第6代君主であったサフィー1世の命により、帝室に連なるティムール・ハーン・アルダランの息子、スレイマーン・ハーン・アルダランがハサナバードからクルディスタンの拠点を移したのが始まりである。
スレイマーン・ハーンは城塞を建設し、住居や浴場、バザール、モスクを設けて町の基礎を整えた。
周辺は豊かな穀倉地帯で、産業は農業、手工業が中心である。
サナンダジで産する絨毯は「タフト・バフト」とよばれる構造による薄くて柔らかな仕上りが特徴であった。
しかしイランイラク戦争時、イラクとの国境付近に位置する同地の住人たちが内陸に近いビジャー周辺に逃れたため、以後製作されたものはビジャー産に似た厚くて硬い作りになっている。
なお絨毯の産地としては、いまだにセネの名でよばれることが多い。

サファヴィー朝

サファヴィー神秘教団のイスマイル1世が、白羊朝を倒して樹立した王朝。
タブリーズを首都にイスラム教シーア派の一派である十二イマーム派を国教に定めるが、スンナ派を信奉するオスマン帝国と争いタブリーズを奪われた。
イスマイル1世の息子、タハマスプ1世は首都をカズヴィンに移し、コーカサス南部に侵攻。
第5代君主アッバス1世の時代にはオスマン帝国からアゼルバイジャンとイラクとを奪還して最盛期を迎えた。
アッバス1世は1597年にイスファハンに遷都するとともに貿易を振興し、「イスファハンは世界の半分」といわれるほどの繁栄を築いたが、彼が没すると王朝は衰退。
1722年、ミール・マフムード率いるアフガン人にイスファハンを占領されて消滅した。

サフラン・ウォッシュ

絨毯をサフランの染液に浸して黄化させ、古色をつける方法。

サボンネリエ

パリ市内西部のシャイヨにあった絨毯工房。
サボン(石鹸)工場跡に置かれたので、この名がある。
1615年にピエール・デュポンにより開設され、1768年までフランス王室の管理下にあった。
ここで製作された絨毯はパイルに羊毛が用いられており、一部に絹が使用されている。
初めはペルシャ絨毯のデザインに倣っていたが、やがて花瓶や籠に入った花を写実的に描いたフランス流のデザインに変わっていった。
1826年にサボンネリエの工房は、王室用の織物や家具、衣服の製作を行ったパリのゴブランへと移された。

サボンネリエ
サボンネリエ

サモワール

一対のアラベスクでパルメットを囲んだ文様。
ヘラティ文様の絨毯のボーダーによく用いられる。
サモワールはロシアで開発された紅茶を煎れるための湯沸かし器で、19世紀に普及しロシアの南下とともに西アジア、中央アジアに広まった。
形状が似ていることからそうよばれる。

サモワール
サモワール

サライ

「家」や「宿」を意味するペルシャ語。

サラブ

イラン北西部、東アゼルバイジャン州サラブ郡の郡都で人口は約4万5000人。
サバラン山とボズクーシュ山の狭間に位置し、アゼルバイジャン地方最古の町の一つとされる。
1747年にはシャカーキ族のアリー・ハーンが樹立したサラブ・ハン国の首都となるも、第一次ロシア・ペルシャ戦争の末、カジャール朝の支配下に置かれて1828年にサラブ・ハン国は消滅した。
19世紀にこの町で製作された絨毯は「セラピ」とよばれたが、以後キャメル・ヘアをパイルに使用した絨毯が多く生産された。
最近ではマシャエキ・サルークに似たヘラティ文様の絨毯を製作している。
(→セラピ)

サリク

トルクメンの部族の一つ。
トルクメニスタン南東部のグシュギ、タグタバザル、ヨロテン及びムルガプの中心部に暮らす。

ザール

イランで用いられる度量の一つ。
1ザールは106.4センチ。

サルーク

イラン中西部マルカジ州にある村だが、絨毯でいうサルークはアラク地方で生産される絨毯のうち、もっとも品質の高いものを指す。
これはかつてサルークの村において、きわめて高品質な絨毯が製作されていたことに由来するものである。
現在サルークとして取引される絨毯の多くはサルークに隣接するギアサバドや、アラクの東に位置するマハラトで製作されている。

サルーク
サルーク

サルベージ

→エッジ

ザロチャラケ

ペルシャ絨毯のサイズの呼称の一つで、長手が1ザールと4分の1。
約80×約120(cm)のものをいう。

ザロニム

ペルシャ絨毯のサイズの呼称の一つで、長手が1ザールと2分の1。
約100×約150(cm)のものをいう。

サロール

トルクメンの部族の一つ。
ボハラの西方とムルギャブ川の左岸からイランとの国境付近にかけて暮らす。
かつてはトルクメン最大の勢力を誇ったが、1852年にカジャール朝との戦いに敗れ、更にテッケやサリクとの領地争いにも敗れて弱体化した。

産業革命

1760年代に始まった技術革新による産業の変革と、それがもたらした経済、社会構造の変化をいう。
英国における紡績機械の改良を契機とし、1830年代以降ヨーロッパ諸国、米国、日本へと広がった。
工場制機械工業による大量生産が可能になったことで工業が経済の中心となり、近代資本主義が確立された。

産業省

イランの省庁の一つ。
1872年にナセル・ウッディン・シャーにより設立された。
1974年には工業省と商業省とに分割されたが、2009年に再編・統合され産業省が復活した。

サングスコ絨毯

リトアニアのパウエル・キャロール・サングスコ・ルバートウィックス王子の旧蔵品をはじめとする一連の絨毯。
サファヴィー朝のアッバス1世の時代に製作されたもので、十数枚が現存するといわれる。
産地についてはケルマンとされてきたが、首都であるイスファハンから遠く離れたケルマンに宮廷直営の工房があったとは考えにくいとして、イスファハンもしくはカシャーンとする説もある。
その最高傑作とされる一枚は1995年に日本の神慈秀明会が約10億円で購入し、滋賀県甲賀市のミホ・ミュージアムに収蔵した。

サングスコ絨毯
サングスコ絨毯

ザンジャン

イラン北西部にあるザンジャン州の州都。
人口は約52万人で、ほとんどがアザリーである。
カフラン山脈の南に位置し、種なし葡萄の産地として、またイラン有数の手工芸品の産地として知られる。
歴史は古く、プトレマイオスの地理書には「アガンザナ」として登場するが、ササン朝のアルデシール1世が再建し、その後「ザンギャン」とよばれるようになったという。
この町で産出される絨毯はクルドの影響を受けたものが多く、ビジャー産に似た堅固な作りのヘラティ文様や薔薇文様をよく見かける。
1980年代末からはクム産のシルク絨毯のコピー品が製作されるようになった。

ザンジャン・ビジャー

ザンジャンとビジャーとの間の地域で製作された絨毯。
色は暗めでザンジャン産に似るが、作りは堅固でビジャー産に似る。

ザンジャン・ビジャー
ザンジャン・ビジャー

産地

ペルシャ絨毯の産地はイラン全土に点在し、小さな村をも含めると数百にも上るといわれる。
通常は同じ素材とデザイン、構造を持つ絨毯を産する村々は纏めて一つの産地として数えるが、それでも100箇所を優に超える産地が存在する。
大きく都市部、農村部、部族の三つに分類され、それぞれに産出する絨毯の性質が異なっている。
都市部の絨毯は販売を目的とし、絨毯商(絨毯作家)の資本のもと工程のすべてが専門職人の分業制により製作される。
織りはきわめて緻密でデザインは主に曲線により構成される。
農村部の絨毯は販売を目的に製作され、絨毯商の資本のもと分業制で製作されるのは同じであるが、織りは農民の内職として行われる点や、都市部の絨毯ほど細かくはなくデザインは幾何学文様が主流である点が異なる。
これらに対して部族の絨毯は現金収入を得ることを目的とするほかに、自家用として製作されることも多い。
工程は一貫して部族民により行われ、完成した絨毯を販売する際は彼ら自身によってバザールに持ち込まれる。
概して織りは荒く、幾何学文様が用いられる。

ザンド朝

ザンド族の族長、カリーム・ハーンがイラン南部のシラーズを都として起こした王朝。
カリーム・ハーンはアフシャル朝のナーディル・シャー暗殺後の混乱に乗じ、最後のサファヴィー朝君主アッバス3世の孫、イスマイル3世をシャーに擁立し、自らは摂政となって傀儡支配を行った。
アフシャル朝が支配するホラサン地方を除いたイランを領有し、アゼルバイジャン、イラク南部にも進出した。
シラズ、イスファハンの復興を進めるとともに農業や英国との貿易を振興して繁栄を見せたものの、カリーム・ハーンが没すると後継者争いが起こり弱体化。
幽閉されていたシラズを脱したアガー・ムハンマド・ハーンが興したカジャール朝によって1795年に滅ぼされた。

ザンブリ

斜め格子結び。
フリンジの処理法の一つで、ゲレ・ノホディもしくはド・ゲレの結び目を半分ずつずらしながら2列以上重ねる。
正確にはルネ・ザンブリといい、ペルシャ語で「蜂の巣」を意味する。

シーア派

スンニ派と対立するイスラムの宗派。
「アリーの党」を意味するシーアット・アリーの略称で、第4代カリフのアリーとその子孫こそがムハンマドの正統後継者であると主張する。
全ムスリムの一割ほどと数の上ではスンニ派に大きく引けを取るものの、イラン、イラク、アゼルバイジャンやバンレーンなど、信者が国民の多数を占める国もある。
32の分派があるが、イランの国教ともなっている十二イマーム派が主流である。

シェイフ

「老人」「長老」を意味するアラビア語だが、部族・氏族の長や、教師・学者、宗教指導者などの称号としても用いられた。
シャイフともいう。

シェイフ・サフィー・ウッディン(1253〜1334年)

サファヴィー神秘教団の開祖。
シーア派第7代イマームであったムーサー・アルカージムの子孫と伝えられる。
アルデビルの聖職者の家に生まれ、クブラビー教団系のシャイフ・ザーヒド師の後継者となって教団を設立した。

シェイフ・サフィ・ウッディーン廟

サファヴィー神秘教団の開祖シェイフ・サフィ・ウッディーンを祀る廟で、イラン北西部のアルデビルにある。
1334年に息子のサドル・ウッディーン・ムーサーが建設した。
シェイフの墓所への順路は、神との合一に至る7つの段階を7つの部屋で示し、そのための8つの心構えを8つの扉で表現している。
サファヴィー朝初代君主であったイスマイル1世らの廟のほか、図書館や学校、病院、バザールなどを併せ持つ。
2010年にユネスコの世界遺産に登録された。

シェイフ・サフィー文様

1539/40年にマクスド・カシャーニが製作し、アルデビルのシェイフ・サフィー・ウッディン廟に納められた「アルデビル絨毯」のデザインで、円形のメダリオンを16個のオジーで取り囲み、更にそれを四分割してコーナーに置いたもの。

シェイフ・ロトフォッラー・モスク

イマームの広場の東側にあるモスク。
帝室専用のモスクとしてアッバス1世治世下の1601年に建設が始まり、18年に完成した。
大衆を迎えるものではないため中庭やミナレットを持たないのが特徴で、黄色を基調とした柔らかな色調の彩釉タイルで覆われている。
シェイフ・ロトファッラーはタハマスプ1世がレバノンから招いた聖職者の名。

シェイフ・ロトフォッラー・モスク
シェイフ・ロトフォッラー・モスク

シェカールガー

「狩猟」を意味するペルシャ語。

シオセ・ポル

イスファハンの中心部を流れるザーヤンデ川に架かる橋の一つ。
アッバス1世の宰相であったアッラーベルディ・ハーンにより建設されたことからアッラーベルディ・ハーン橋ともいう。
シオセは「33」、ポルは「橋」の意で、33アーチ橋と訳される。

シオセ・ポル
シオセ・ポル

シグムント3世(1566〜1632年)

ポーランド・リトアニア共和国第4代国王にしてスウェーデン第4代国王。
スウェーデンではシギスムント3世という。
スウェーデン国王ヨハン3世と、ポーランド国王ジグムント1世の娘で妃のカタジナ・ヤギェロンカの長男として生まれ、幼くしてポーランドに預けられる。
1587年の国王自由選挙でポーランド国王に選出され、92年には父親の死によりポーランドの王位に就いたままスウェーデン国王を継承したが、99年に退位させられた。
1601年にアルメニア商人セフェル・ムラトヴィッツをサファヴィー朝イランのカシャーンに送り、ポーランド王家の紋章入りをはじめとする数々の絨毯を注文したことが知られている。
これらの絨毯のうちの幾枚かは1867年に開催されたパリ万博に出展され、ポーランド製であるとの誤解を生むきっかけとなった。
(→ポーランド絨毯)

シグムント3世(1566〜1632年)
シグムント3世(1566〜1632年)

ジーグラー商会

かつてイランで操業していた英国企業。
マンチェスターに本社を置く綿布商で、1883年にイランに進出した。
タブリーズとスルタナバード(現在のアラク)に支社を開設し、英国に向けて自社工場で製作した絨毯を輸出していた。
ドイツ系英国人のオスカー・シュトラウスが総支配人となり、最盛期には2500台の織機を有したが、世界不況により1935年に撤退した。

獅子と太陽

帝制時代のイラン国旗に描かれた、太陽を背にし、右前足で剣を持ったライオン像。
12世紀に用いられ始め、サファヴィー朝の時代に国家の2つの柱である皇帝(太陽)と宗教(ライオン)とを表すものとして意味づけられた。
カジャール朝第2代シャーとなったファトフ・アリーは、皇帝の権威を発揚するため、これに剣を加えた。
イラン革命後は使用が禁じられていたが、改革派であったハタミ政権が誕生により緩和された。

獅子と太陽
獅子と太陽

シシボルキ

カシュガイを構成する部族の一つで、イラク北部に住むイラク・トルクメンの分派とされる。
イラク北部からイラン北部へと移動した後、ファース地方へ移り住んだといわれる。
シシボルキの名はイラン北部カラジェスタンの「ボルケ・シシ」に由来するとした説があるが定かではない。

シティーラグ

都市部において製作される絨毯の総称。

シムルグ

ペルシャ神話に登場する霊鳥。
イラン北部のアルボルズ山脈に住む鳥の王で、犬の頭にライオンの脚、鷲の羽と孔雀の尾を持ち、象を掴めるほどに巨大であるとされる。
『王書』では、英雄サームの息子として生まれるも、生まれながらにして白髪であったために捨てられたザールを拾って育てたとされており、その羽根にはあらゆる傷を癒す力があったと記されている。
シームルグ、サムルクなどともいう。

シムルグ
シムルグ

シャー

イランの支配者を表す語。
ペルシア語で「偉大な」「すぐれた」「君主」などの意で、古代ペルシア語のフシャーヤシヤに由来する。
日本語では「王」と訳されることが多いが、古来イランの支配者たちはシャーハンシャー(諸王の王)を称しているので「皇帝」が正しい。
彼らは神から帝国の統治権を授かった絶対専制君主として君臨した。
ペルシア語がイスラーム圏で宮廷用語となると、シャーの称号はトルコやインドなどでも用いられた。

シャーサバン

イラン北西部、アルメニア共和国及びアゼルバイジャン共和国との国境付近に暮らす遊牧系部族連合。
構成部族の多くは11世紀に西南アジアを席巻したトルコ系民族、オグズに起源を持つものとされ、人口は10万人から12万人と推定される。
遊牧生活を営む一部は、アゼルバイジャンのモガン平原の冬の宿営地(キシュラク)と、サバラン山の南から約150マイル周辺の夏の宿営地(ヤイラク)の間を移動する。

ジャジム

平織の地に柄糸を組み込んでゆく織り方。
柄糸は縦糸に絡ませるため、刺繍のような立体感が出る。
トルクメンやバルーチが製作している。

シャー・ナーメ

フェルドーシーが著した長編民族叙事詩。
30年以上の歳月をかけて1010年に完成し、ガズナ朝のスルタン、マフムードに献呈された。
神話、伝説、歴史の三部構成で、天地創造からササン朝滅亡までに至る歴代50人の王の治世を約6万対句を用いて語る。
わが国では『王書』と訳される。

シャハル・バフト

ハマダンで製作される緻密な織りの絨毯。
周辺の町や村で製作される絨毯とは異なり、洗練された都会的なデザインである。

シャハル・バフト
シャハル・バフト

ジャフ

約400万人を擁するクルド最大の部族で、イランのクルディスタン州、ケルマンシャー州からイラクのスレイマニア州にかけて居住する。
「ジャフィ」とよばれるソラニ語(クルド語の方言)を話し、クルドの中では教育の行き届いた知的な部族として知られる。
もとは遊牧民だったが、現在はそのほとんどが定住し農民となっている。

シャムサ

アラビア語で「太陽」の意。
放射状に光を放つメダリオンをいう。

シャーリング

剪毛(せんもう)。
剪毛刀や電動鋏を用い、絨毯のパイルを刈り揃える作業をいう。

ジャン・シャルダン(1643~1713年)

フランス人の商人にして旅行家。
パリの宝石商の家に生まれ、生涯二度にわたりイランへ旅行した。
著書の中で17世紀後期の絨毯産業について触れており、それによれば当時の絹産業はカシャーンを中心としていたこと、宮廷の畜舎で刈り取られた羊毛はイスファハンに運ばれ選別されてから各都市の官営工房に送られたこと、官営工房では時間が許す限り一般の注文にも応じていたことなどが記されている。
二度目の旅行から帰国後にナントの王令が廃止され、プロテスタントであった彼はルイ14世の迫害から逃れるべく渡英した。
英国では王室御用達の宝石商となり、チャールズ2世からナイトの称号を授与された。

ジャン・シャルダン(1643~1713年)
ジャン・シャルダン(1643~1713年)

集積地

ある地域内で生産された絨毯が、流通の過程において一時的に集められる場所。
当該地域内の主要都市にあるバザールがその役目を果たすことが多い。

絨毯

広義には敷物全般をいうが、狭義にはパイル織りの敷物を指す。
「絨緞」とも書き、英語では「カーペット」(carpet)あるいは「ラグ」(rug)とよぷ。
カーペットとラグの違いについては、英国では小さなサイズのものをラグ、大きなサイズのものをカーペットというのに対し、米国では手織のものをラグ、機械織のものをカーペットという。
フランス語では「タピ」(tapis)、ドイツ語では「テピヒ」(teppich)、トルコ語では「ハル」、ペルシャ語では「ファルシュ」とよぶ。

絨毯作家

→カールファルマー

十二イマーム派

イスラム教シーア派における最大宗派。
第4代カリフであったアリーを初代とし、彼を含めた12代のムハンマドの子孫たちをイマームとして認める宗派である。
第12代イマームのムハンマド・ムンタザルは874年に身を隠し、世界の終末にメヒディ(救世主)として再臨するものと信じる。
サファヴィー朝の時代からイランの国教となった。

宿営地

遊牧民が移動の拠点とする場所。
夏の宿営地(ヤイラク)と冬の宿営地(キシュラク)とがある。
もとは軍隊の営所、野営地を意味する語。

ジュバル

トルクメンがテントの横フレームに掛けて使用する大きな袋。
袋類の中ではもっとも大きく、ペアで製作されるのが通常である。
寝具、衣類、その他日用品等を収納する。

ジュフティ

双子の意。
ペアで製作された絨毯をよぶ。

ジュフティ結び

本来2本の縦糸に絡めるべきパイルを4本の縦糸に絡める「ごまかし」の技法。
完成までの日数を短縮することができるが、耐久性は大きく損なわれる。
イスファハン、ナイン、タバス、ケルマン、ビルジャンドなどで用いられる。

ジュフティ結び
ジュフティ結び

主文様(しゅもんよう)

絨毯のフィールド部分において、もっとも優勢な文様をいう。

シュライン・コレクション

シュラインは「聖地」「聖堂」の意。
マシャドのイマーム・レザー廟に寄進された絨毯の総称で、アッバス1世をはじめとする歴代のシャーや時の有力者たちの寄進品を含む歴史学的にも貴重なコレクションである。
その質は世界最高ともいわれてきたが、長きにわたり公開されることがなかった。
2011年にイマーム・レザーの聖域内に絨毯博物館が開館したことにより、その一部を観覧することができるようになった。

狩猟文様絨毯

狩猟文様を織り出した絨毯のことだが、とりわけ16世紀に製作された同文様の作品を指すこともある。
もっとも有名なのは1522/23年にギヤース・ウッディン・ジャミが製作したもので、産地はタブリーズといわれる。
1870年にローマのクイリナーレ宮殿で見つかり、のちにミラノのポルティ・ペッツォーリ美術館に収められた。

狩猟文様絨毯
狩猟文様絨毯

織機(しょっき)

絨毯を製作するための装置で、水平型と竪型とに大別される。

シラゼ

→エッジ

ジリ・スルタニ

フィールド一面に花瓶を連続させた文様をいう。
アバデの絨毯のデザインとして有名。
名はカジャール朝のナセル・ウッディン・シャーとムザッファル・アッディーン・シャーのもとで、長きに渡り太守を務めたジリ・スルタンに由来する。

ジリ・スルタン(1850〜1918年)

マスード・ミールザ・ジリ・スルタン。
ナセル・ウッディン・シャーの長男としてタブリーズに生まれたが、母親のエファト・オッド・ダウレがカジャール王家の血統でなかったためシャーの位に就けなかった。
13歳でマーザンダラーンの知事となり、続いてトルクメンサラ、セムナーン、ダムガンの知事を歴任。
1872年にはイスファハンの知事に任じられ、以後35年間を同地で過ごした。
1907年から翌年までファースの知事を務めた後、イスファハンで没した。
40年余に渡って太守の職にあり、「政府の右腕」とよばれた。

ジリ・スルタン(1850〜1918年)
ジリ・スルタン(1850〜1918年)

シルクロード

→絹の道

ジル・ハキ

「土の中」を意味するペルシャ語で、土中から出土した壺や器、水差し等を意匠化した文様をいう。
タブリーズやカシュマールで産出される絨毯によく見られる。

シングル・ウェフト

1本の太い糸を横糸として用いたもの。
イラン北西部から中西部にかけて産出される絨毯に多い。

シングル・ノット

縦糸が水平に並ぶ構造をいう。
絨毯は薄くなるものの、堅牢さはルール・バフトやニム・ルール・バフトに劣る。
パイルを絡めた縦糸の列がすべて露出するため、ノット数は縦糸の列の半分となる。
イランでは「タフト・バフト」という。

スカラベ

フンコロガシのこと。
この昆虫が動物の糞で作る球体が太陽を連想させることから、古代エジプト人は太陽神ケペリの化身として、また復活の象徴として崇拝し、形どって護符としていた。
カシュガイが製作する絨毯にこれを連想させる文様が見られ、話の面白さもあって関連づけて語られることが多いが、実際はまったく関係がない。

スカラベ
スカラベ

スキタイ

紀元前8世紀から前3世紀にかけて、ユーラシア内陸部の草原地帯を支配したイラン系遊牧民族。
前6世紀には黒海北岸に王国を建設してギリシャ植民都市と交易した。
高度な金属文化を持ち、その文化は「草原の道」(ステップ・ロード)を経て東方にも及んだ。
前3世紀頃、中央アジアから西進したサルマートに追われて衰退した。
アケメネス朝では「サカ」とよばれた。

スーザニ

中央アジアのウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンなどで製作される刺繍布をいうが、イランでは綴織の一種であるソマックをこうよぶ。
スーザンは縫い針の意。
(→ソマック)

スーザニ
スーザニ

ステップ

東ヨーロッパ南部からシベリア南西部に続く草原地帯を指す語であるが、半乾燥気候下の樹木のない草原地帯の総称としても用いられる。
ステップは「草原」を意味するロシア語で、日本語では「温帯草原」あるいは「荒草原」と訳される。

ストレッチャー

→矯正機

スーフィズム

→イスラム神秘主義

スルタナバード

イラン中西部の町、アラクの旧称。

スルタン

スンニ派イスラム王朝の君主が用いた称号。
もとは「権威」を表すアラビア語であるが、セルジュク朝を興したトゥグリル・ベクがアッバス朝のカリフ、カーイムから授与されたのが始まりである。
イランでは地方知事の称号として使用された。

スルメイ

イラン女性が化粧に用いるアイラインのことだが、紺色の意味でも使われる。

スンニ派

イスラム教の最大宗派で、全ムスリムの9割を占める。
スンナは預言者ムハンマドの言行に基づく範例・慣行で、それを収めた『ハディース』はコーランに次ぐ聖典とされる。
スンニとはスンナに従う者の意で、信徒は自らを「スンナと共同体の民」とよぶ。
モハンマドの後継者となった4人の正統派カリフとウマイア朝以降のカリフを認めている。
スンナ派とも。

西域

古代中国人が中国の西方にある地域を総称した語。
「さいいき」とも読む。
もとは東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)を指したが、のちに概念が拡大されて中央アジアから西アジア、ときにインドやエジプトまでをも含めるようになった。

セイエド

預言者ムハンマドの直系子孫と一部の傍系親族を指す尊称。
具体的にはムハンマドの娘であるファーティマと、カリフ・アリーの息子であるハサンとホセインの男系の後裔をいう。

整経(せいけい)

織機に縦糸を張ること。

整経師

整経を専門とする職人のこと。
イランではチェッレ・ケシという。

整経師
整経師

生命の樹

古来、樹木は世界随所において信仰・崇拝の対象とされてきたが、とりわけ西アジアではこれを生命の源泉、豊穣の象徴とみなす思想があった。
『旧約聖書』には、アダムとイヴとがその実を口にした智恵の樹と並んで生命の樹が登場する。
生命の樹は左右に各一頭の動物を伴う姿で描かれ、各地へと伝搬していった。
それはやがてナツメヤシやブドウの樹へと具象化され、イスラム化後は再び想像上の樹として描かれるようになった。
16世紀から絨毯の文様として副次的に用いられてきたが、これを主題とした絨毯が製作されるようになったのは19世紀末のことである。

セイヨウアカネ(西洋茜)

リンドウ目アカネ科アカネ属に属する多年草で、赤色の染料として利用される。
蔓状の小さな棘のある茎を持ち、托葉を含めた6枚の葉があることからムツバアカネともよばれる。
アカネは「赤根」に由来するがごとく、赤い根にはアリザリンやププリン、ルミアジンといった赤系の色素が含まれており、古代エジプトの時代から染料や顔料として利用されてきた。
地中海東部から西アジアにかけての地域が原産地といわれ、イランでは全土に分布するが、とりわけ砂漠地帯で育ったものは高品質とされる。
秋の終わりに根を掘り出して乾燥させ、すり潰して染料にする。

セイヨウアカネ(西洋茜)
セイヨウアカネ(西洋茜)

セオドア・チュードック(1888~1983年)

ルーマニアの絨毯修理職人・絨毯作家で稀代の贋作師として知られる。
1920年代から50年代にかけて、15世紀から17世紀のアナトリア、コーカサス、イランの絨毯の精巧な贋作を製作した。
それらの一部はビクトリア・アンド・アルバート美術館やメトロポリタン美術館をはじめとする世界各地の美術館に真作として収蔵されていた。

石油危機

オイル・ショックともいう。
1973年に勃発した第四次中東戦争に際し、イスラエルを支持する西欧諸国への制裁措置としてアラブ石油輸出機構(OAPEC)が石油の減産と禁輸とを行い、イランを含む石油輸出国機構(OPEC)は石油価格の4倍引上げを行った。
これにより先進工業国は経済的大打撃を受け混乱に陥ったが、これを第一次石油危機という。
1979年には当時世界第2位の石油輸出国であったイランでイスラム革命が起こり、石油の供給が停止した。
石油輸出国機構が再び石油価格を約2倍に引上げたことにより第二次石油危機が生じたが、第一次のときのような混乱には至らなかった。

セ・トランジ

三つの菱形のメダリオンを縦方向に連結させた文様。
部族民が製作する絨毯に見られる。

セ・トランジ
セ・トランジ

セネ

→サナンダジ

セミ・アンティーク

製作されてから概ね80年を経たものをいう。

セミ・ダブル・ノット

パイルを絡めた2本の縦糸が少しずれて重なる構造。
イランでは「ニム・ルール・バフト」という。
ビレッジラグやトライバルラグの多くはこの構造である。

セーラフィアン家

イスファハンで三代続く絨毯作家の一族。
1939年に金融業者であったレザー・セーラフィアンが工房を開設したのが始まりで、レザーの7人の息子たちが後を継いだ。
現在は9人の孫たちにより運営されている。

セーラフィアン家
セーラフィアン家

セラピ

19世紀にイラン北西部のサラブで製作された絨毯。
それらが英国に輸入された頃、1876年にウェールズ公が軍艦セラピス号に乗艦してインドに旅行したことから、サラブの形容詞形であるサラビがセラピと呼ばれるようになった。
明るい色に特徴があり、キャメル・ヘアを使用したものを多く見かける。

セラピ
セラピ

セ・ランゲ

3色に染め分けたパイル糸を用いて文様を織り出した絨毯。

セ・ランゲ
セ・ランゲ

セルゲイ・イワノビッチ・ルデンコ(1885~1969年)

ソ連の人類学者、考古学者。
ウクライナ北東部のハリコフに生まれる。
1921年から54年までレニングラード大学教授を務め、42年からはソ連科学アカデミー考古学研究所上級研究員を兼任した。
外バイカル、アルタイ、カザフスタン、パシュキリア、チュコトカなどにおける発掘調査に関わったが、1947年から54年にかけて行われたパジリク古墳群の発掘調査はとりわけ有名である。

セルゲイ・イワノビッチ・ルデンコ(1885~1969年)
セルゲイ・イワノビッチ・ルデンコ(1885~1969年)

セルジュク朝

トルコ系遊牧民オグズ族の一派であるセルジュク家のトゥグリル・ベクが、1037年にホラサン地方のニシャープールに樹立した王朝。
トゥグリル・ベクは1055年、アッバス朝カリフの救済を名分にブワイフ朝を排してバグダッドに入城し、スルタンの称号を授かった。
第3代君主マリク・シャー1世の時代に全盛期を迎えるが、ビザンツ帝国と対峙し、十字軍が派遣されることになる。
12世紀半ばを過ぎると分裂が始まり、イルハン朝に吸収され1157年に消滅した。

繊維

糸の素材となる細くて長い物質のこと。
天然繊維と化学繊維(合成繊維、人造繊維)とに分けられる。
広義には細くて長い物質すべてを繊維というが、糸にするためには不揮発性かつ難溶性で、紡績に耐えられる強さ、伸び、弾性を持つことが不可欠である。
この性質を備えたものを特に「紡織繊維」(ぼうしょくせんい)という。

センジャビ

クルドの一部族で、ケルマンシャーの北東に暮らす。
1730年代にファースやルリスタン、シャーリズル、ディムラからマヒダシュト・ケルマンシャー近くの渓谷に移り住んだ人々と、クルドのグラニ族に属するゼンゲネ族の農民とが連合し結成された。

染色家

絨毯作家の注文に応じ、意匠図に沿ってパイル糸の染色を行う。
とりわけ天然染料による染色には地域ごとに特有の染色法があり、また染料や媒染剤の量、煮沸する際の温度や時間等々、技術と経験とが必要とされるため、染色家の持つレシピは門外不出とされる。
イランでは「ラングラズ」という。

剪毛(せんもう)

絨毯のパイルを刈り揃えること。
シャーリング。

剪毛刀(せんもうとう)

織りあがって機から下ろした絨毯を剪毛するための道具。
扇状またはバターナイフのような形状で、利き手で柄を握り、もう片方の手を添えてパイルを刈ってゆく。

剪毛鋏(せんもうばさみ)

絨毯の剪毛に用いる大型の鋏。
刃の隙間を螺子で調整することにより、パイルを好みの長さに刈ることができる。

剪毛鋏(せんもうばさみ)
剪毛鋏(せんもうばさみ)

草原の五畜

アジア大陸の遊牧民により飼育される五種類の家畜のこと。
羊、山羊、牛、馬、駱駝(らくだ)をいう。
すべての遊牧民が草原の五畜のすべてを飼育している訳ではなく、地域や部族により飼育する種類や方法は異なる。
なお、単に五畜という場合には鶏、羊、豚、牛、馬を指すことが多い。

綜絖(そうこう)

織機を構成する部品の一つ。
縦糸を引き上げて、横糸を通すための杼道(ひみち)を作る。
中筒、ヘルドともいう。

繰糸(そうし)

蚕の繭を煮て繭糸(けんし)を膠着させているセリシンを溶解・除去し、ほぐした繭糸を数本束ねて生糸(きいと)にすること。

ソフレ

食卓布。
部族民が食事の際に使用する長細いキリムのこと。
これの上に料理を並べ、それを取り囲んで食事をとる。
ナン(パン)をこねたり保存する際に使用する正方形のキリムもソフレという。

ソマック

綴れ織りの一種。
縦糸と横糸とを交互に重ね合わせた平織の地に、横方向に柄糸を絡ませて文様を作る。
絡ませる向きの違いにより「一方絡み」と「二方絡み」の二つがある。
シャーサバンやアフシャルが製作している。
スーマクともいうが、イランでは「スーザニ」あるいは「ゲリム・スーザニ」の呼称が用いられる。

染め斑(そめむら)

→アブラシュ

梳毛具(そもうぐ)

梳毛(カーディング)に用いる器具。
木製の台座に金属製の櫛が垂直に取り付けてある。

梳毛具(そもうぐ)
梳毛具(そもうぐ)

ゾロアスター教

古代イランに興った宗教で、ゾロアスターを開祖とする。
現世は光明神(善神)アフラ・マツダと暗黒神(悪神)アーリマンとの戦いの場であり、最終的に勝利するアフラ・マツダにより善の国が創られると説いた『アベスタ』を根本経典とする。
ササン朝の時代には国教に定められたが、イスラム教に呑まれて衰退した。
アフラ・マツダの象徴である火を崇拝し、鳥葬を行う。
マツダ教、拝火教とも。

タ行

戴冠式絨毯(たいかんしきじゅうたん)

サファヴィー朝第2代君主であったタハマスプ1世の時代に製作された一対の絨毯。
そのうちの一枚が英国王エドワード7世の戴冠式に使用されたたことから名付けられた。
フィールドには流れる水を表す青いカルトゥーシュと花々で満ちた樹木や糸杉、中国から伝わった龍、鳳凰、麒麟が織り出されており、その様から「パラダイス・ガーデン・カーペット」ともよばれる。
戴冠式に用いられたものは現在ロサンゼルス郡立美術館が所蔵し、別の一枚はベルリン美術館が収蔵している。

戴冠式絨毯(たいかんしきじゅうたん)
戴冠式絨毯(たいかんしきじゅうたん)

タヴァッエフ

部族のこと。

タウクナスカ

トルクメン語で「鶏文様」の意。
トルクメニスタン北部を主なテリトリーとするチョドル族の紋章で、ギュルの中心を囲む文様が鶏に似ているとしてそう呼称される。
エルサリ、ヨムート、チョドル、アラバチのトルクメン各部族の他、ウズベキスタンやカラカルパクスタンで産出される絨毯にも見られる。

タウクナスカ
タウクナスカ

ターコイズ

トルコ石あるいはトルコ石のような緑がかった明るい青色のこと。
トルコ石の中でも青みの強いトルコ石の色をターコイズブルーという。
緑みの強いものについてはターコイズグリーンとよばれるが、ターコイズといえば通常はターコイズブルーを指す。
トルコ石はトルコではほとんど産出せず、イランで産したものがトルコを経由してヨーロッパに運ばれたことからこの名がついた。
イランのホラサン地方はエジプトのシナイ半島、米国南西部36と並び、古くからトルコ石の産地として有名である。
トルクメンやバルーチが製作する袋類の中にはトルコ石のビーズで装飾したものが見られる。

縦糸

絨毯の縦方向に通っている糸。
木綿が一般的であるが、都市部で製作される高級品には絹を用いたものもある。
部族民が製作する絨毯では毛が用いられたものも多い。

建染染料(たてぞめせんりょう)

そのままでは水に溶けないことから、アルカリで還元させて水溶性にし、繊維に染着させる。
この還元作業を「建てる」あるいは「バット」という。
染着した染料は空気に触れて酸化し、不溶性に戻って本来の色に変化する。
インディゴ系染料が代表格で、木綿、羊毛、絹などの染色に使われる。
バット染料ともいう。

タフマスプ1世(1514~1576年)

サファヴィー朝第2代君主。
初代君主であったイスマイル1世の息子で、父親の死を受け10歳で即位した。
シャイバニ朝のホラサン侵攻を退け、またキジルバシュの暴動を抑えて権力基盤を固めるも、1533年にオスマン帝国との間に始まった第一次オスマン・サファヴィー戦争により首都タブリーズやイラクを奪われた。
オスマン・サファヴィー戦争は第二次、第三次へと続くが、その間カズビンへの遷都を行い、ジョージアに侵攻してこれを支配下に置く。
タブリーズは55年に結ばれた講和条約(アマスィヤ条約)により回復された。
自ら絵画を嗜み芸術を振興したが、やがて狂信的な宗教政策に明け暮れるようになり、後継者問題も絡んで妻の手により毒殺されたと伝えられる。

タブリーズ式織機

竪型回転式織機。
竪型固定式織機を改良したもので、作業の進行に合わせて上下の梁(ビーム)を回転させる。
座る位置を一定に保つことができる上、同じ大きさの固定式に比較すると2倍の長さの絨毯を製作することが可能である。

ダブル・ウェフト

1本の太い糸と1本の細い糸、もしくは2本の同じ太さの糸を交互に掛けたもの。
前者は太さの違いによる張力差からルール・バフトもしくはニム・ルール・バフトの構造になり、後者は張力の差がないためタフト・バフトの構造となる。

ダブル・ノット

パイルを絡めた2本の縦糸がほぼ上下に重なる構造をいう。
露出している縦糸の列の奥にもう1列縦糸が隠れており、二重構造となっているため堅牢で耐久性に優れている。
シティーラグはこのルール・バフトが一般的。

ダブル・フェイス

両面がパイル織りになった絨毯。
表と裏とでは違うデザインを採用したものが多い。

タブロー

「絵画」を意味するフランス語あるいはペルシャ語で、絵画や写真を忠実に織り出した絨毯をいう。
主にタブリーズ近郊のサルドルードで製作されている。

タペストリー

広義には壁掛け、椅子の背当てや敷物として使用される室内装飾用の織物あるいは染織工芸品をいうが、狭義には平織の一種である綴織を指す。
タピスリーともいう。

ダラクバシュ

トルクメンが緯打具(の金属部分に被せる袋。
ドクメダラクともいう。

ダリウス1世

アケメネス朝第3代君主で、ダレイオス1世ともよばれる。
522年に即位し、国内で相次ぐ反乱を鎮圧。
更にインドとスキタイへも遠征し、北西インドからトラキア、マケドニアまでに至る広大な地域を支配下に収め、アケメネス朝の最盛期を築いた。
領土を二十余の属州に分割してサトラップ(州総督)を置き、スーサとサルディスとを繋ぐ「王の道」を整備するとともに、新都ペルセポリスを建設した。

ダリウス1世
ダリウス1世

タルハ

「デザイン」「図案」「模様」を意味するペルシャ語。

ダレシュリ

カシュガイを構成する部族の一つ。
もともとファース地方にいた部族で、カシュガイの傘下に入ったのはザンド朝の時代、18世紀後半になってからとされる。
古来、狩猟に長けていることで知られ、馬の保有と育種にかけては部族連合内随一である。
パフラヴィー朝を興したレザー・シャーはダレシュリ族長であったホセイン・ハーン・ダレシュリの力を借りてファース地方を平定した。

緞通(だんつう)

手織絨毯全般を指す語であるが、中国製の手織絨毯をいうこともある。
中国語の「毯子」(タンツ)が語源。

胆礬(たんばん)

媒染剤に用いられる硫酸銅のこと。
繊維を選ばずに使用でき日光堅牢度と洗濯堅牢度とを高めるが、硫酸銅と希釈した酢酸を使用すると繊維への吸収度がより高まる。
ただし毒性があるので、取り扱いには注意が必要。
染めあがりは緑色か茶色がかった色になる傾向がある。

チェルシー絨毯

サファヴィー朝の第2代君主であったタハマスプ1世の時代に製作されたと考えられている絨毯で、1877年にロンドン南西にあるチェルシー街の美術商からサウス・ケンジントン美術館(現ビクトリア・アンド・アルバート美術館)が購入したのが名の由来である。
デザインがティムール朝期の細密画に描かれた総文様の絨毯に似ていることから、メダリオンのある狩猟文様絨毯やアルデビル絨毯より古いとする説がある。
また産地についてもイラン北部か中部かで意見が分かれている。
アルデビル絨毯を上回る72万ノットの緻密な織りを持つ。

チェルシー絨毯
チェルシー絨毯

チャハル・イワーン

4イワーン。
中庭の四方にイワーンを配したモスクのこと。

チャハル・イワーン
チャハル・イワーン

チャハル・バーグ

四分庭園。
噴水を中心に、四方に設けた水路によって庭を四分割する様式をいう。

チャハル・バーグ
チャハル・バーグ

チャハル・ファスル

四季文様。
フィールドを四つのグリッドに分け、それぞれに春夏秋冬の風景を織り出したもの。
トルクメンのエンシのデザインをもとに、セイエド・ホセイン・ミールモスール・アルジャンギが考案した。
タブリーズの絨毯作家であったイジャディの作品が有名である。

チャハルマハル・バ・バクチアリ州

イラン中西部にある州。
北をケルマンシャー州、南をコルギールーイェ・ブーイェ・アフマド州、西をフゼスタン州、東をイスファハン州に接する。
州都はシャハレコレド。
ザグロス山脈上に位置し、山脈の最高峰であるザルド山(標高4221メートル)を頂く。
ザルド山に水源を持つザーヤンデ川、カールーン川の二つの河川があり農業が盛んであるが、20世紀初頭に州内において原油が発見されてからは石油関連の工場が建設された。
古くからバクチアリ人が居住し、独自の文化を築いてきた。
主な絨毯産地としては、シャハレコレド、チャハルショトゥール、サマン、シャラムザー、ボルダジ、フェリダンがある。

直接染料

媒染剤を使用せずとも繊維に色素を固着させることができる染料のこと。
タンニンを豊富に含む植物が多く、スマックやナラのように、そのほとんどの部位を染色に用いることができるものもある。

綴織鳥獣文陣羽織(つづれおりちょうじゅうもんじんばおり)

京都市東山区にある臨済宗鷲峰山(じゅぶさん)高台寺が所蔵する陣羽織で、豊臣秀吉が着用したものと伝えられる。
高台寺は秀吉の菩提を弔うため、正室であった北政所(きたのまんどころ)によって建立された寺院で、秀吉の遺品が多く遺ることで有名。
おそらく17世紀初頭にカシャーンの宮廷工房で製作されたキリムを裁断して作られており、様々な動物やパルメットが絹と金銀糸とを用いて織り出されている。
南蛮貿易により渡来し、長崎の商人から幾人かの元を経て秀吉に献上されたものであろう。
よくペルシャ絨毯を素材にしたものと語られるが、パイル織ではない。
国の重要文化財に指定されている。

綴織鳥獣文陣羽織(つづれおりちょうじゅうもんじんばおり)
綴織鳥獣文陣羽織(つづれおりちょうじゅうもんじんばおり)

ツデシケ

イラン中央部のイスファハン州にある人口約4000人の町。
イスファハンとナインの中間に位置し、1900年代から40年代までの間、きわめて高品質な絨毯が生産されていた。
やや暗めの赤と紺とを基調とする複雑無比なる唐草文様が特徴である。
アミン・サデキらの絨毯作家が登場し、数々の名品を残した。

帝王の絨毯

16世紀にヘラートで製作されたといわれる一対の絨毯。
サファヴィー朝期のホラサン地方では「ヘラート・カーペット」とよばれる流麗な文様を持つ絨毯が製作されたが、そのうちもっとも有名なのがこの絨毯である。
赤いフィールドをパルメットや、雲のリボン、鳥や動物などで飾ったデザインはきわめて東洋的であり、中国美術の影響を受けたことは明らかとされる。
ニューヨークのメトロポリタン美術館とウィーンの工芸博物館が所蔵する。

帝王の絨毯
帝王の絨毯

ティース・パターン

→鋸歯文様(きょしもんよう)

ティムール朝

モンゴル帝国を構成するチャガタイ・ハン国から分かれた西チャガタイ・ハン国の部将、ティムールにより1369年に樹立された王朝。
ティムールはホラズムを征服して中央アジア一帯を支配し、その後ムザッファル朝倒してイラン全土を制圧した。
続いてインドへ侵攻してデリーを占領し、更にマムルーク朝からイラク、シリアを奪った後、アンカラの戦いでオスマン帝国を破ってオリエント一帯を支配する大帝国を築いた。
明への遠征中にティムールが病死すると、後継をめぐる内紛が発生。
1409年にサマルカンドを征服したシャー・ルフはホラサン地方のヘラートを拠点にティムール朝の再統一に乗り出した。
シャー・ルフの治世下においては明との通商が開かれイスラム文化が発展したが、彼の死後またもや内紛が起こってサマルカンド政権とヘラート政権とが分立する状態となり、1500年にトルコ系遊牧国家のシャイバニ朝によって滅ぼされた。

ティーレフ

部族(タヴァッエフ)に属する支族のこと。

テッケ

トルクメンの部族の一つで、トルクメニスタンの南東部を主なテリトリーとする。
人口は約160万人でトルクメニスタンの人口の三分の一以上を占めるが、一部はイラン、アフガニスタンにもいる。
一説によれば13世紀のモンゴルの征西に参加し、その後サファヴィー朝の成立に貢献したトルクメンの集団キジルバシュから派生した部族であるとされる。
18世紀後半以降アハル地方を拠点に略奪行為を繰り返すが、カジャール朝との戦いに敗れてマリーへ移動した。

鉄の絨毯

堅固なことで知られるビジャー絨毯を形容する語。
アイアン・カーペット。

手紡ぎ(てつむぎ)

紡錘(ぼうすい)を用いて糸を紡ぐこと、あるいはそれで紡いだ糸。
(→紡錘)

手鋏

絨毯製作に用いられる鋏で、イランでは「ゲイチー・ダスティー」とよぶ。
柄の部分が突出した形状になっており、パイルを数列結び終える毎に、これで短く刈る。

テュルク系民族

チュルク系民族ともいう。
東シベリアからアナトリアまでに至るユーラシア内陸部を中心に居住し、テュルク系諸語を母語とする民族の総称。
もとはモンゴロイドでモンゴル高原周辺にいたが、のちに西進し、6世紀半ばにはその一派である突厥(とっけつ)が中央ユーラシアのほぼ全域を支配した。
これに伴い、中央アジアからから黒海北岸にかけて先住していたコーカソイドの多くがテュルク化することになる。
突厥の消滅後はテュルク系国家が乱立したが、その中の一つであるカラハン朝はテュルク系最初のイスラム国家となった。
10世紀になるとモンゴロイドとコーカソイドの混合種であるオグズ(トルクメン)が勢力を拡大し、イランを征服して1038年にセルジュク朝を興す。
セルジュク朝はビザンチン帝国からアナトリアを奪い、アナトリアがテュルク化・イスラム化するきっかけを作った。
やがてセルジュク朝が弱体化するとアナトリアにはテュルク系諸族が流入。
ギリシャ人をはじめとする先住民族との一体化が進み、オスマン帝国の基盤となった。

テラコッタ・レッド

やや茶みがかった赤。
赤煉瓦色(あかれんがいろ)。

テラコッタ・レッド
テラコッタ・レッド

テント

遊牧民が用いる組み立て式の簡易住居で、開放型と閉鎖型(被覆型)の二種類がある。
開放型はイラン南部からアラビア半島、北アフリカにかけて見られる開口部を大きくとったテントで、ヤギの黒い毛を素材にすることから「ブラック・テント」とよばれる。
一方、閉鎖型は中央アジアからモンゴルにかけて見られる開口部を最小にしたテントで、柳のフレームにフェルトを被せて設置する。
どちらもイランでは「チャドル」とよぶ。

電動鋏

剪毛に用いる機械。
電動バリカンと掃除機とを一体化させたものといえばわかりやすい。
刃先を回転させてパイルを削ると同時に、削りカスを吸引する。
イランでは「ゲイチー・バルキー」という。

電動鋏
電動鋏

天然繊維

天然に産する繊維の総称。
羊毛・絹などの動物繊維(蛋白繊維)、木綿・麻などの植物繊維(セルロース繊維)、アスベストなどの鉱物繊維がある。

天然染料

植物性染料と動物性染料の総称で、鉱物を加工した顔料を含めることもある。
そのほとんどが植物性染料で、明礬などの金属塩を媒染剤として用いる媒染染料が大半である。
天然染料には耐光性や耐水性に劣るものが多く、染色は複雑で手間がかかるという欠点がある。
しかし天然染料ならではの趣を好む向きも多く、現在でも一部の高級絨毯などに用いられている。

ドゥーキ・レッド

古いサルーク絨毯に見られる淡い赤色。
茜を染料に用い、水に溶いたヨーグルトを媒染剤に使用することにより得られる。

同時媒染

染色と一緒に媒染を行うこと。

トゥーラン

ペルシャ語で中央アジア付近の地域を指す語。
トゥーランは「トゥールの地」の意で、ペルシャ神話に登場する英雄フェリドゥーンの次男であるトゥールがこの地を治めたことに由来する。
イランに対比する語として用いられた。

トゥリード

「生産」を意味するペルシャ語。
銘に絨毯作家の名前に付随して「トゥリード・〇〇」あるいは「トゥリーディー・〇〇」(〇〇の生産)と織り込まれることがある。

ドゲレ

フリンジの処理法の一つ。
ドは数字の「2」、ゲレは「結び」で、いわゆる二(ふた)結びのこと。
外れにくく見た目も美しいことから主流になっている。

ドザール

ペルシャ絨毯のサイズの呼称の一つで、長手が2ザール。
約140×約200(cm)のものをいう。

ドフタレ・カジー

バルーチの部族の一つで、ドフタレ・カジーは「判事の娘」の意。
玉葱形あるいは菱形を頂く首の長いミフラブ文様もこの名でよぶ。

ドフタレ・カジー
ドフタレ・カジー

トライバル・ラグ

部族絨毯。
部族民が製作する絨毯で、狭義にはパイル織りの敷物を指すが、広義にはキリムやソマックなど平織の敷物をも含める。

トランジ

メダリオンを指すペルシャ語。
農村部や部族の絨毯に見られる菱形や六角形のメダリオンもトランジという。(→メダリオン)

トリプル・ウェフト

ダブル・ウェフトの進化形で、3本の横糸を用いたもの。
サファヴィー朝期に製作された花瓶文様絨毯やサングスコ絨毯、ポロネーズ絨毯などがこの構造であるが、現在はほとんど用いられていない。

トルクメニスタン

イラン北東部に隣接する国で、現在の正式な国名はトルクメニスタン共和国である。
中央アジア南西部、アム川とカスピ海との間に位置し、カラクム砂漠が国土の大半を占める。
国民の約七割がトルクメン人で、他にウズベク人、ロシア人、カザフ人などがいる。
この地には10世紀頃からトルクメン諸族が暮らしていたが、統一国家を持つことはなかった。
19世紀末にロシアの支配下に入り、1924年にトルクメン・ソビエト社会主義共和国としてソ連の構成国となる。
91年のソ連崩壊とともにトルクメニスタン共和国として独立。
初代大統領となったテッケ族出身のサパルムラト・ニヤゾフによる独裁体制のもとで鎖国状態が続いたが、2006年にニヤゾフが没すると、同じくテッケ族出身のグルバングリ・ベルディムハメドフが新大統領に選出され、独裁体制は緩和された。
首都はアシガバット。

トルクメニスタン
トルトルクメニスタン

トルクメン

トルクメニスタンを中心にウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、イラン、イラク、アフガニスタン等の国々に居住する民族。
トルコマンともいう。
テュルク系民族と中央アジアの先住民との混血により形成されたと考えられており、ラシッド・ウッディンが著した『集史』によれば、中央アジア北部にあったオグズの24支族の子孫であるとされる。
オグズは10世紀以降南下してトルクメンと呼ばれるようになり、西アジアに大帝国を築くセルジュク朝やオスマン朝はトルクメンから興った。

トルコ絨毯

トルコ国内で生産される手織絨毯の総称。

トルコマン

→トルクメン

トルコマンチャーイ条約

1828年にタブリーズの南東のトルコマンチャーイにおいて締結された、第二次ロシア・イラン戦争の講和条約。
敗戦国となったイランはアラス川以北の南コーカサスを失い、巨額の賠償金を支払うこととなった。
また、カスピ海におけるロシア軍艦の独占通行権やイランに住むロシア人の治外法権が認められ、ロシアの貿易品に課される関税は5%以下に抑えられた。
これを契機にイランは他の西欧列強とも不平等条約を結ぶことになる。

トルコ結び

「左右均等結び」「閉鎖型結び」「ギョルデス結び」ともよばれ、トルコ、コーカサス地方、イラン西部を中心に用いられる。
鉤針を使用して結ぶため、ペルシャ結びに比べて製作期間を大幅に短縮できる。

トルバ

トルクメンが使用する袋の一つで、ジュバル同様ユルタの横フレームにかけて使用される。
ジュバルとほぼ同じ幅だが、より浅いのが特徴。
作りもジュバルと同じである。

トルバッティ・ヘイダリ

イラン北東部、ラザビ・ホラサン州にある町。
トルバッティ・ヘイダリ郡の郡都で人口は約8万人である。
かつてはザーベとよばれたが、13世紀にこの地で没したクトゥブ・ウッディーン・ヘイダルの墓があることから現在の名でよばれるようになった。
標高1320メートルに位置し、周辺は肥沃な農業地帯で大麦・小麦の栽培、牧畜が盛ん。
イランでもっとも良質な羊毛を産することで知られる。

問屋制家内工業

問屋(資本家)が多くの零細な家内労務者に生産を委託する企業体制をいう。
(→工房)

ナ行

中筒(なかづつ)

→綜絖(そうこう)

ナスタリク体

アラビア文字の書体の一つ。
14世紀後半にイランの書道家であったミールアリー・タブリーズィーが、ナフス体とタリク体とを組み合わせて考案した。
右上から左下へと斜めに流れる曲線が特徴で、その美しさから「文字の花嫁」とよばれる。
15世紀以降のイランではこの書体を用いた写本が多く制作された。
現在はイランをはじめ、アフガニスタン、パキスタン、インドなどでよく用いられている。

ナスタリク体
ナスタリク体

ナーディル・シャー(1688~1747年)

アフシャル朝の初代君主。
ナーディル・クリー・ベグと称し、アフシャル部族連合を率いてホラサンに一大勢力を築いた。
ホラサンに落ち延びたサファヴィー朝の後継者タフマスプ2世に仕え、アフガン人をイランから駆逐してイスファハンを奪還。
オスマン帝国との戦いに敗れたタフマスプ2世を追放し、アッバス3世を即位させて摂政となるが、1736年に自らシャーとして即位した。
38年に東征を始め、
アフガニスタンを占領。
更にインドに侵攻してムガール帝国の首都であるデリーを陥落させたが部下に暗殺された。

ナフス体

アラビア文字の書体の一つ。
アッバース朝の3人のカリフのもとでワジール(大臣)を務めたアブー・アリー・イブン・ムクラにより、10世紀初頭に考案された。
ナスフはアラビア語で「転写」の意で、彼は文章をスムーズかつ美しく転写するため、すべての文字を均等な比率になるよう調整してそれを成分化した。
初めは日常の筆記に使用されていたが、やがて『コーラン』や『ハディース』の写本にも用いられるようになり、11世紀以降はそれまでのクーフィー体に代わって主流となった。
アラビア・ペルシャ語圏においては、これを改良したモダン・ナフス体が印刷物の活字として使われている。
ナスヒー体ともいう。

ナフス体
ナフス体

ナマクダン

塩袋。
岩塩を保存するための袋で、凸型の形状である。
開口部を最小限にし、家畜たちが悪戯できないようにしている。

ナマーズ

「礼拝」を意味するペルシャ語。

涙壺(なみだつぼ)

カラーの花茎のような形状をした頸の長いガラス壺。
出征した夫を待つ妻が涙を溜めるものであるといわれるが、1930年代初めまではイマーム・ホセインの追悼行事において参列者が流した涙を溜めて霊薬にしたという。

涙壺(なみだつぼ)
涙壺(なみだつぼ)

南蛮貿易

16世紀中頃から17世紀初頭にかけて、日本とポルトガル、スペインの商船(南蛮船)との間に行われた貿易。
1543年にポルトガル船が種子島に漂着したことを契機とする。
以後、ポルトガル船は平戸、長崎、府内などに来航し、84年からはスペイン船が加わった。
これらの商船には宣教師が同乗し、キリスト教の布教を行った。
17世紀に入るとオランダ、イギリスの商船(紅毛船)も来航を始め、また幕府によるキリスト教取締りが強化され、1639年の鎖国令により終焉した。
ペルシャ絨毯はこの南蛮貿易により日本に伝わったとされる。

ニザーミー(1141~1209年)

中世イランの詩人。
アゼルバイジャンのガンジャに生まれ、神秘主義の教養を積んだ。
生涯については謎に包まれているが、郷里においてセルジュク朝の地方政権であるエルディグズ朝の君主の求めに応じて作詩したという。
代表作は『ハムセ』(5部作)の名で知られる長編叙情詩。
とりわけ第2作『ホスローとシーリーン』、第3作『レイラとマジュヌーン』、第4作『7人像』はロマンス詩の最高傑作として名高い。

ニスバ

「関係」「つながり」「帰属」を意味するアラビア語で、姓のこと。
出身地や出身部族、職業などを名の後に加える。
イランでは1930年に制定された創姓法により普及した。
ニスバの語尾は「〜の息子(子孫)」を表す〜ザデ、〜プール、〜ネジャード、「〜家の」を表す〜アン(正しくは~ヤン)となることがある。

ニム・ルール・バフト

→セミ・ダブル・ノット

ニュー・カステル

かつてイランで操業していたイタリアの絨毯メーカー。
ケルマンに工房を設け、19世紀末から20世紀初頭にかけて主に自国に向けた絨毯を生産していた。

ニュー・ラグ

製作されてから20年に満たない絨毯をいう。

農業聖戦省

イランの行政機関の一つで、日本の農林水産省に概ね該当する。
「ジハーディ」と略されることもあるが、聖戦=ジハードは本来「努力」や「奮闘」を表すアラビア語で、異教徒との戦いだけを意味するものではない。
傘下にイラン手織絨毯生産組合とイラン手織絨毯販売組合(ETFA)とを擁し、絨毯産業を推進することにより農村の復興を支援している。

ノット数

絨毯の織りの密度を表す数値。
国別に様々な表し方があるが、ヨーロッパでは1平方メートル中のノット(結び目)の数をして「〇〇万ノット」、米国では1平方インチ中の数をして「〇〇KPSI」(Knots Per Square Inch)と表す。
イランではラジ、ヘフト、ラーを用いる。

ハ行

媒染

染色の過程において、染料を繊維に定着させる工程をいう。
染色の前に行う「先媒染」、染色と同時に行う「同時媒染」、染色の後に行う「後媒染」の三つがある。

媒染剤

染料を繊維に固着させる接着剤としての役割を果たす薬剤のこと。
代表的なものとしてはアルミ、鉄、銅などの金属化合物がある。
これらの水溶液に繊維を浸して媒染する。

媒染染料

媒染を必要とする染料のこと。
天然染料の多くはこれに分類される。

パイル

絨毯の表面を覆う立毛。

ハカーマネシュ

→アケメネス朝

パキスタン

イラン南東部に隣接する国で、正式な国名はパキスタン・イスラム共和国。
国土はインダス川の流域と北部の山岳地帯とから成り、国民の人種構成は複雑で言語も多種にわたるが、ウルドゥー語を公用語としている。
パキスタンはウルドゥー語で「清浄なる地」の意である。
8世紀初めにウマイア朝が進出して以降、ガズナ朝、デリー・スルタン朝、ムガール帝国などの支配を受けイスラム化した。
英国植民地時代にはヒンドゥー教徒との間に深い確執を生じたが、ガンディー指導下の独立運動においては協調路線をとった。
1947年のインド独立に際しインドから分離・独立して英国の自治領となり、56年にはイスラム教を国教とする共和国として完全に独立する。
インドをはさみ東パキスタンと西パキスタンに分かれていたが、71年に東パキスタンがバングラデシュ人民共和国として独立した。
産業は農業主体で,小麦,綿花・サトウキビなどを産する。
首都はイスラマバード。

パキスタン
パキスタン

パキスタン絨毯

パキスタンで産する手織絨毯の総称。
パキスタン絨毯はムガール帝国の時代に製作された、いわゆるムガール絨毯に起源を持つ。
今日では様々な種類の絨毯が製作されており、ペルシャ風の唐草文様を主体にした「パク・ペルシャ」、トルクメン風のデザインを用いた「ボハラ」や「ジャルダー」、イランのモダン・ギャッベを模倣した「パク・ギャッベ」、天然染料によって染色された糸を使用した「チョビ」などがある。
製織に携わる職人にはアフガニスタンからの避難民が多くいる。

パキスタン絨毯
パキスタン絨毯

パク・ギャッベ

パキスタンで製作されるモダン・ギャッベ風の手織り絨毯。
パイルには天然染料で染色された手紬の毛糸が用いられる。
ペルシャ結びで製織されたものとトルコ結びで製織されたものの両方がある。

パク・ギャッベ
パク・ギャッベ

白色革命(はくしょくかくめい)

パフラヴィー朝第2代君主であるモハンマド・レザー・シャーが行った、上からの近代化政策。
農地改革、国営工場の払下、労働条件の改善、女性参政権、教育の向上などからなり、1963年の国民投票によって承認された。
米国の支援を受けつつ進められたが、急速かつ強引な改革は混乱を招くとともに、貧富の差を拡大させた。
これに対する国民の不満は積りに積もり、やがてイラン革命へと発展する。
白は皇帝や国王を意味する色。

バクチアリ

イラン中央部のチャハルマハル・バクチアリ州を中心に、イスファハン、ルリスタン、ブーシェフルの各州の一部をテリトリーとする部族連合。
ペルシャ語系ルリ語のバクチアリ方言を話し、人口は30万人から40万人といわれる。
もとは大ルリ(ルリ・ボゾルグ)に属する一部族であったが、16世紀のサファヴィー朝期に袂を分かった。
主にハフト・ラング、チャハル・ラングの二つの集団からなり、数で勝るハフト・ラングはババディ、ディナルニア、ドゥラキ、バクチアルバンドの4部族により構成されている。
大半が定住民となっているが、少数がイスファハン西方のザグロス山中にある夏の宿営地とフゼスタンにある冬の宿営地との間を移動する遊牧生活を送る。

パク・ペルシャ

パキスタンで製作されるペルシャ絨毯のコピー品。
パキスタン絨毯の中では高級品であるダブル・ノットのものが多い。
ペルシャ結びを用いて製織される。

パク・ペルシャ
パク・ペルシャ

白羊朝(はくようちょう)

トルクメンのバヤンドル族で、ティムール朝の下でディヤルバクル(アナトリア東部)を支配していたカラ・ユルク・オスマンが1378年に樹立した王朝。
ティムールの死後、ティムール朝に敗れて弱体化していた同じトルクメンの黒羊朝が再び勢力を拡大させる。
第5代君主ウズン・ハサンは黒羊朝とティムール朝との争いに乗じて勢力を拡大し、1467年にはモガン平原で黒羊朝のジャハーン・シャーを殺害し、黒羊朝の領土を次々と併合した。
更にティムール朝のアブー・サイードを破ってイラン西部の支配権を確立し、アナトリア東部からイラク、アゼルバイジャン、イラン西部を支配下に収めて最盛期を築いた。
ウズン・ハサンの死後、王位をめぐって内紛が起こり弱体化すると、アルデビルに興ったサファヴィー朝に首都タブリーズを奪われ1480年に滅亡した。

バザール

ペルシャ語で「市場」の意。
都市部においては住宅地から独立した区画の中に存在し、屋根を持つアーケード式の建物内に数多の店舗が密集している。
日用品から貴金属に至るまでの雑多な品が商われているが、店舗は業種別に固まっているのが特徴である。

バザール
バザール

ハジ

イスラム暦の12月(ズールヒッジャ)に行われるメッカへの巡礼のこと。
イスラム教徒の義務の一つで、これを終えた者にはハジ(女性はハジャ)の称号が与えられる。

ハジ・アフマド

アフマド・アジャミの作品に見られる、複雑に絡み合うアラベスクで構成された大きなメダリオンをいう。
アフマド・アジャミは20世紀前半に活躍したイスファハンの絨毯作家。

ハジ・ジャリリ(生没年不詳)

セイエド・モハンマド・サデク・ジャリリ。
1880年にタブリーズ郊外のマランドで絨毯製作を始めたと伝えられる。
サファヴィ朝期のペルシャ絨毯のデザインに着想を得た宮廷風のデザインを、オレンジとブルー、ゴールドとグレーなどの明るい色を組み合わせて織り出した独特の作品で名を馳せた。
神秘主義哲学を履修していたとされ、作品にはその影響が垣間見られる。

ハジ・ハヌミ

小さなロゼットを整然と並べたデザインで、ゴルパイガンやクムなどで産出される絨毯によく見られる。
古いテヘラン産やカシャーン産などでは、ミフラブ文様と組み合わせた花瓶文様に取り入れられたものもある。

バシャダル絨毯

1954年にソ連の考古学者であるセルゲイ・ルデンコが、アルタイ山中のバシャダル古墳群で発見した絨毯の断片。
鞍敷として使用されていたもので、紀元前430年から前380年頃に製作されたものと推定される。
ペルシャ結びで、1平方メートル中約49万ノットという緻密さを持つ。

バシャダル絨毯
バシャダル絨毯

ハージュ橋

サファヴィー朝の首都であったイスファハンにある橋。
市内ザーヤンデ川に架かる11の橋の一つで、シオセ・ポルの2キロ下流に位置する。
1655年に完成したとされるこの橋は全長133メートル、幅メートル。
橋脚の間に21の堰があり、上流側の水位が調整できるようになっている。
橋は二層構造で、橋の中央には王侯貴族の憩いの場となった大きなアルコーブがある。
イランではもっとも美しく、もっとも優れた橋といわれている。


ハージュ橋

ハシュト・ゴル

8つのペイズリーを組み合わせて花状にした文様。

バシリ

ハムセを構成する部族の一つ。
イラン系の遊牧部族で、ルリ語系の方言を話す。
キュロス2世に従いアケメネス朝の成立に参加したパサルガデアン族に起源を持つとされ、やがてササン朝が成立するとイラン南部のカルヤンをはじめとするいくつかの地域に居住するようになった。
バシリの名はササン朝期に庶民を意味した「ワスタリョーシャン」に由来するものという。
ワイシとアリー・ミルザイの二つの大きな支族がある。

パジリク絨毯

紀元前260~250年頃に製作された推定される縦183センチメートル、横200センチメートルの絨毯で、1949年にソ連の考古学者であるセルゲイ・ルデンコが、アルタイ山中のパジリク古墳群から発掘した。
フィールドの文様がニネベ(イラク)にあるアッシリア王宮の床装飾に、またボーダーの人馬像がペルセポリスのスキタイ人を描いた彫刻に酷似するなどしていることからアケメネス朝ペルシャで製作されたものといわれてきたが、最近の研究で中央アジア説が有力となった。
トルコ結びで1平方メートル中約36万ノットを有す。

走る犬

鉤のついた三角形を横に並べたデザインで、「ランニング・ドッグ」ともよばれる。
由来については定かではないが、魔除けとなる火をイメージしたものとの説がある。
ガードに用いられることが多い。

バスマラ

「ビスミ・(ア)ッラーヒ・(ア)ッラハマーニ・(ア)ッラヒーム」(慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において)の略。
第9章を除くコーランの各章の冒頭に記されている文句で、イスラム教徒は礼拝時はもとより、様々な状況においてこれを唱える。
アラビア(ペルシャ)書道においてはもっとも好まれる一句である。

ハタム・カーリー

イラン伝統の寄木細工。
色が異なる木、真鍮、駱駝の骨などを寄せ合わせて接着し、幾何学文様の種板(たねいた)にした後、薄くスライスして木製品の表面に貼り付ける。
寄木細工の技法は中国より伝わり、サファヴィー朝期に流行した。
現在もイスファハンやシラーズの特産品となっている。

ハチュリ

トルクメンが製作するエンシのうち、十字形によりフィールドを四つに分けたデザインのもの。

バッグ・フェイス

部族民が使用する袋類の表面に使用される絨毯。

パディシャー・キリム

16世紀後期にイスファハンの宮廷工房もしくは宮廷指定の工房で製作されたといわれるキリム。
鳥やパルメットを配したフィールド上には、鳳凰と龍とが戦う姿を織り出したメダリオン、麒麟を織り出したコーナーが配置されている。
ボーダーは獅子や虎、パルメットを内包するカルトゥーシュを並べたデザインで、サングスコ絨毯に似る。
ベルリンのイスラム美術館が所蔵している。

ハディース

アラビア語で「伝承」の意。
預言者ムハンマドの言行(スンナ)を記録したもので、『コーラン』に次ぐ聖典とされる。
マトン(本文)とイスナード(伝承経路)から成り、『コーラン』に記されていない信仰や日常生活に関わる所作や是非を判断する基準となっている。

バードギール

イラン中部の熱帯乾燥地帯、南部の熱帯湿潤地帯を中心に見られる自然換気用の伝統建築。
バードギールは「風を捕まえるもの」の意で、英語では「ウインド・キャッチャー」、日本語では「採風塔」「風の塔」などと訳される。
ケルマン式(単一風向型)、アルデカン式(ドーム状多風向型)、ヤズド式(角柱状多風向型)に大別されるが、いずれも屋上に設えられ、心地よい風を建物内に導く役目を果たす。

パート・コットン

パイルの一部に白い木綿糸を用いる技法。
パート・シルクに代わり、ナインやタバスにおいて用いられるようになった。

パート・シルク

パイルの一部に絹糸を用いる技法。
主に都市部で製作される絨毯に見られる。

バーバー・タイプ

色の異なる羊から得た毛糸を染色せずにそのまま用いて、文様を織り出した絨毯。
イランでは古いギャッベやフェルドースで産した絨毯などに見られる。

バハルル

キジルバシュから派生したといわれるトルコ系部族で、現在その多くがファース地方のダラブ周辺に居住している。
バハルルの一部は14世紀にチャハルマハル・バクチアリ地方のシャハレコレド周辺に移住したとされ、彼らの子孫にはバクチアリやカシュガイとの混血が多くいる。
ハムセの中ではもっとも高品質な絨毯を製作する。

ハビビアン家

ナインの絨毯作家の一族。
1921年頃、モハンマドとファットラーの兄弟が、父親が経営していたアバー(イラン風外套)織りの工房を引き継ぎ絨毯製作を始めた。
モハンマドとファットラーの死後、モハンマドの息子のモハンマドレザーとファットラーの孫のアリーレザー、マスード、マフムード・レザーが引き継いだ。

バーファンデ

→織師

ハーフェズ(1326?~1390年)

イランの四大詩人の一人で、ハーフィズともいう。
ハーフェズはコーランの暗記者に付される称号で、ハージェ・シャムスッディーン・モハンマド・イブン・バハーウッディーン・ハーフェズ・シラーズィーが正しい名である。
シラーズに生まれ、ファースを統治したインジュー朝のアブー・イスハークや、ムザッファル朝のシャー・シュジャーに仕えた。
酒、恋愛、美女などを主題とし、それらを象徴的に歌いあげることにより叙情詩の究極形を完成する。
故郷を愛し、シラーズを離れることなく同地で没した。

バフト

ペルシャ語で「織り」の意。

パフラヴィ・クラウン

パフラヴィ朝初代君主であるレザー・シャーの即位式に用いられた冠。
ササン朝期のデザインに基づいて製作されており、3000個のダイヤモンドが散りばめられている。
第二代君主となったモハンマド・レザー・シャーもこれを用いた。
現在はイラン国立宝石博物館に収蔵されている。

パフラヴィ・クラウン
パフラヴィ・クラウン

パフラヴィ朝

ペルシャ・コサック旅団長であったレザー・ハーンが、1925年にカジャール朝を廃して樹立した王朝。
即位後レザー・シャーとなった彼は強力な中央集権を敷き、国の近代化を目指すとともに、1935年には国名をイランに変更した。
しかし、第二次世界大戦で枢軸国寄りの姿勢を示したため英ソの圧力により退位させられ、息子のモハンマド・レザーがシャーを継承した。
モハンマド・レザー・シャーは父親の政策を引き継ぎ、米国の後ろ盾を得て「白色革命」を断行するが、貧富の差を拡大させる結果を招いた。
1979年にイラン革命が起こるとエジプトに亡命し、王朝は消滅した。

ハムセ(部族連合)

イラン南西部のファース地方をテリトリーとする部族連合。
ハムセはアラビア語で「5」を意味し、アラブ、バハルル、バシリ、イナンル、ナファルの五部族により構成される。
イラン南部で猛威を振るうカシュガイを抑えるため、1861年から62年にかけて、カジャール朝第4代君主であったナセル・ウッディン・シャーの命により、カヴァム・アルモルキ家のもとに結成された。

ハムセ(文学作品)

12世紀イランの詩人ニザーミーの代表作。
約3万句からなる長編叙事詩である。
『神秘の宝庫』『ホスローとシーリーン』『レイラとマジュヌーン』『七王妃物語』『イスカンダルの書』の五部作で成る。
『五部作』あるいは『五宝』と訳される。

薔薇園(ばらえん)

13世紀のイランの詩人、サーディーが1258年に著した書籍。
『果樹園』とともにサーディーの代表作として知られる。
20年余に渡る旅の経験で得た教訓、警句、逸話などを、散文に詩を織り交ぜて綴る道徳規範書である。
『ゴレスターン』『グリスターン』ともいう。

ハラキ

小型のランナー。

波斯(ハルシャ)

江戸時代の日本におけるイランの呼称。
波斯という漢名は中国から伝わった。

バルーチ

イラン系のバルーチ語を母語とする遊牧民族。
人口は推定800~900万人で、大半はパキスタン南西部からイラン南東部に跨るバルーチスタンに居住するが、一部はアフガニスタン北西部、トルクメニスタンにもいる。
かつてはケルマン地方にあり、セルジュク朝に追われて東進した後、ガズニ朝との戦いに敗れてバルーチスタンに逃れたとされる。
イスラム教スンニ派を信仰する者が多いが、イラン領内のバルーチはシーア派に改宗している。
勇猛果敢で忍耐強く、忠誠、もてなしを美徳とする民族として知られる。

ハルチャンギ

蟹(かに)文様の意。
イラン北西部やコーカサスの絨毯に見られる、やや幾何学的な花葉文様のこと。
蟹を連想させることからこの名でよばれる。

パルデ

ペルシャ絨毯のサイズの呼称のひとつで、約160×約260(cm)のものをいう。
パルデはカーテンの意。

パルティア

→アルケサス朝

パルティアン・ショット

背後に向けて騎射する姿。
パルティア(アルケサス朝)の兵士がササン朝の軍勢に追われて逃げる姿に由来したものといわれる。

パルメット

花の側面形を意匠化したもので、花の種類については百合の花と説明されることが多いが、正しくは蓮の花である。
蓮は水に浮くことから、古来イランやインドでは豊穣のシンボルとされた。
イランでは「シャー・アッバシー」とよばれ、ペルシャ絨毯のデザインとしては最も多く用いられている。
シャー・アッバシーはサファヴィー朝第5代君主であったアッバス1世の名に由来する。

パーレビ国王

モハンマド・レザー・シャーに対する日本での通称。
(→モハンマド・レザー・シャー)

ハーン

遊牧民族の族長の称号。

ハンズ・オン・ヒップ

部族民が製作する絨毯に見られる文様で、腰に手を当てた女性の姿を意匠化したもの。
もとは地母神を描いたものともいわれる。
子孫の繁栄を意味する。

杼(ひ)

縦糸の間に横糸を通すための道具で「シャトル」ともいう。
細長い形状をしており、綜絖により開かれた杼口に通し、先端のフックに横糸を引っ掛けて引き出す。
ペルシャ語では「シーク・プーデケシー」。

ビクトリア・アンド・アルバート美術館

ロンドンにある世界最大級の工芸美術館。
ロンドン万博で得た収益をもとに1852年、産業博物館として開館した。57年に現在地に移転してサウス・ケンジントン美術館となり、その後増改築が施されて1909年にビクトリア女王と亡夫アルバート公の名を冠した美術館となった。
英国はもとより世界各国の美術工芸品、産業製品などを幅広く収集し、その数は400万点にも及ぶ。
16世紀に製作されたアルデビル絨毯、チェルシー絨毯をはじめとするアンティーク絨毯の名品の数々を所蔵することでも知られる。

ビクトリア・アンド・アルバート美術館
ビクトリア・アンド・アルバート美術館

ヒジュラ暦

→イスラム暦

ピスタチオ・グリーン

ナイン絨毯に見られるくすんだ緑色。

羊の角

雄羊の角。
部族民が製作する絨毯やキリムに使用されるモチーフで、幾何学的な螺旋をもって描かれる。
男性のシンボルとされ、力強さや子孫の繁栄を願うものといわれる。

羊の角
羊の角

ビード・マジュヌーン

柳文様。
ビードはペルシャ語で柳のことだが、マジュヌーン(狂人)はイラン人が愛してやまない『レイラとマジュヌーン』の主人公、カイスのことである。
レイラに恋焦がれてマジュヌーンとなってしまったカイスが、ふらふらと揺れて歩く様を風に靡く柳の枝に例えたもの。

ビビ・バフト

「お婆さんの織り」の意で、きわめて緻密な織りを用いて製作されたバクチアリ絨毯の最高級品をいう。

ビフザード(1455年?〜1530年代)

ティムール朝、サファヴィー朝の時代に活躍した細密画家。
ヘラートに生まれ、宮廷画家で帝室図書館長のミーラク・ナッカーシュに育てられた。
ピール・サイイド・アフマド・タブリーズィーらに師事して画力を磨き、ティムール朝の君主のフサイン・バイカラに認められてミーラクの後継となる。
ヘラートがサファヴィー朝の支配下に入ってからは、君主イスマーイール1世の保護を受け、1522年には宮廷工房長に任じられた。
イスラム世界ではもっとも名を知らる細密画家の一人である。

平織

→キリム

ビレッジラグ

農村部で製作される絨毯の総称。
定住した部族民が製作した絨毯のうち産地である村が特定できないものについては、部族名を産地としトライバルラグに分類することがある。

ファース

イラン南西部、ザグロス山脈の南端からペルシャ湾岸に至る地域の歴史的呼称。
ファースの名は騎馬者を意味するパールスに由来し、古代にはパールサとよばれた。
このパールサのギリシャ語形ペルシスがペルシャの語源である。
アケメネス朝、ササン朝はこの地において創建された。

ファース州

イラン南西部にある州(オスターン)。
北をコフギールイエ・ブーイエ・アフマド州とイスファハン州、南をホルムズガーン周、西をブーシェフル州、東をヤズド州とケルマン州に接する。
人口は約440万人で、州都はシラーズ。
産業は農業中心だが、観光資源にも恵まれている。

ファラ・ディーバ(1938年~)

モハンマド ・レザー・シャーの3番目の皇后。
テヘランの国軍将校の家に生まれ、フランスに留学して建築を学んだ。
パリのイラン大使館で開催された会合でシャーと出会い、1959年に結婚し皇后となる。
政治に関わることはなかったものの、女性の社会進出や文化の振興に関わる活動を積極的に行った。
国外に流出していたイランの美術品や西洋美術の名品を買い集め、いくつもの美術館・博物館を建設したのは彼女の功績である。
イラン革命によりシャーとともにエジプトへ亡命し、夫の没後米国へ移住した。

ファラ・ディーバ(1938年~)
ファラ・ディーバ(1938年~)

ファルシュ

絨毯を意味するペルシャ語。

フィグドール・キリム

17世紀初頭にカシャーンの宮廷工房あるいな宮廷指定の工房で製作されたといわれるキリム 。
ルガノ(スイス)のティッセン・ボルネミッサ財団が所蔵する。
木綿の縦糸に絹と銀糸の横糸を用い、菱形やカルトゥーシュに内包された様々な動物や鳥たちが織り出されている。
京都の高台寺が所蔵する豊臣秀吉の陣羽織に酷似していることから、同じ工房で製作されたとする見方もある。
同種のキリム は世界に数枚が現存するのみである。

フィールド

ボーダーの内側にある長方形もしくは正方形の空間。
イランでは「ザミネ」という。

フィルフィル・ナマキ

2色の単糸を撚り合わせて1本の撚糸とし、それをパイル糸に使用して霜降り様のパイル面を作る技法。
ペルシャ語でフィルフィルは「胡椒」、ナマクは「塩」を意味する。

フィルフィル・ナマキ
フィルフィル・ナマキ

フェラハン・サルーク

1890年頃から1920年頃までフェラハン地方で製作されていた絨毯。
当時は「サルーク」とよばれていた。
トルコ結び・ダブルウェフトで、ペルシャ結び・シングル・ウェフトの「フェラハン」とは異なる。

ブラク

『夜の旅』で預言者ムハンマドを天上界へ運んだとされる羽の生えた白馬。
人間の顔をして描かれることが多い。
ブラクはアラビア語で「稲妻」の意だが、英語のtheにあたる定冠詞を付け「アル・ブラク」とよばれることもある。

ブラク
ブラク

フリンジ

絨毯の上下端から露出する縦糸のこと。
房(ふさ)。

プレイン・デザイン

フィールドを無地にしたデザインのこと。
古くからアナトリアの礼拝用絨毯に用いられてきたが、イランでは19世紀末にイスラム神秘主義者でもあったハジ・ジャリリがこれを採用した。
1940年代以降は米国に輸出される絨毯に多く使用された。
ペルシャ語で「カフサデ」という。

ベイジー

楕円形の絨毯。

ベイズリー

先端が屈曲した涙滴形で「松毬文様」あるいは「勾玉文様」と訳される。
起源はイランにあるといわれ、ゾロアスター教徒が拝む炎を意匠化したとする説、風に揺れる糸杉に由来するとした説等、様々な説がある。
イランからインドに伝わり、やがてカシミール地方で産出されるショールのデザインとして定着。
その後イランに逆輸入されケルマン地方のショールの文様になったとされる。
産業革命以降、英国スコットランドのペイズリー市でこの文様の織物の製作が盛んになったことから、この名でよばれるようになった。
イランでは「ボテ」という。

ヘシュティ

パネル文様。
ヘシュトは日干煉瓦の意で、規則正しく配置された正方形がそれに見えることから名付けられた。
サファヴィー朝期の庭園文様が進化し、18世紀に入ってから現在の形になったという。
もとはバクチアリが製作する絨毯のデザインであったことから「バクチアリ・デザイン」ともよばれる。
バクチアリのほか、クムやビルジャンドで製作される絨毯に多い。

ヘバトゥルー

カシュガイに属する部族の名だが、カシュガイやアバデの絨毯の文様としてよく知られる。
ヘバトゥルー文様は六角形のフィールド上に菱形のメダリオンを配し、メダリオンと各コーナーに「ハシュト・ゴル」とよばれる八つのペイズリーで構成された花文様を置いたデザインをいう。

ヘバトゥルー
ヘバトゥルー

ヘフト

イスファハンで用いられる絨毯の織りの密度を示す単位。
1ヘフトは縦方向のノット列が100列で、1メートル中のヘフトの数をして「○○ヘフト」と表す。
「サタイ」ともいう。

ヘラティ

ロゼットを囲った菱形の四方をパルメットとアカンサスの葉で飾った文様。
イランではアカンサスの葉の形状が魚に似ていることからそれを指す「マヒ」とよばれる。
ヘラティの起源についてはアナトリア高原やクルディスタンとする説もあるものの、一般にはホラサン地方と考えられており、その名はかつてホラサン地方の中心都市であったヘラートに由来する。
18世紀のナーディル・シャーの遠征によりイラン各地に拡がった。

ヘラート

アフガニスタン北西部にある町で、ヘラート州の州都。
住民の多くはイラン系民族のタジク人であり、古来イランとの関わりが深い。
東西交通の要衝に位置し、アレキサンダー大王はこの地に「アーリアのアレキサンドリア」を建設したと伝えられる。
15世紀にはティムール朝の首都となり、シャー・ルフや息子のウルグ・ベクのもとでトルコ・イスラム文化が開花した。
1510年から1716年まではサファヴィー朝の支配を受けた。

ヘルキ

ジャフに次ぐクルド第二の勢力をもつ部族。
イラク北部のモスールからエルビルに至る地域を中心に、イラン西部のクルディスタン州及び西アゼルバイジャン州、トルコ東部のヴァン湖周辺に暮らす。
メンダ、サイダ、セルハティの三つの支族があり、「クルマンジ」とよばれるクルド語の方言を話す。

ペルシャ

古くからヨーロッパで用いられてきたイランの別称。
カスピ海西岸に興った西イラン族は、ザグロス山脈に沿って南下を始め、やがてイラン南西部のファース地方へと落ち着いた。
自らをパールサと称した彼らは新天地をパールスとよび始めるが、そこにアケメネス朝が樹立されるとパールスは同王朝を指す名として周辺諸国から認識されるようになる。
パールスはギリシャ人によってペルシスと音写され、更にローマ人によりラテン語化されてペルシアとなった。
20世紀初頭の民族意識の高まりを受け、1935年のノールーズ(イラン暦元日=3月21日)からペルシャの呼称をイランに改めるようイラン政府から諸外国に要請が出された。
ペルシアともいう。

ペルシャ・クーデター

1921年、ペルシャ・コサック旅団のレザー・ハーン大佐が麾下2500名の兵を率いてテヘランを占拠した事件。
これにより彼は国の実権を掌握し、パフラヴィー朝樹立への足掛かりを築いた。

ペルシャ語

インド・ヨーロッパ語族イラン語派に属する言語でイランの公用語。
歴史的にはアケメネス朝期の古代ペルシャ語、10世紀頃までの中期ペルシャ語、それ以降の近代ペルシャ語に分けられるが、一般にいうペルシャ語は近代ペルシャ語を指す。
7世紀半ば以降イランはアラブの支配下にあり、アラビア語が公用語として用いられたことから、近代ペルシャ語にはアラビア語からの借用語が数多く見受けられる。
また文字についてもアラビア文字を採用している。

ペルシャ絨毯

イランで生産される手織絨毯の総称。

ペルシャ結び

「左右非均等結び」「開放型結び」「セネ結び」ともよばれ、西部を除くイラン、トルクメニスタン、カザフスタン、アフガニスタン、ウズベキスタン、パキスタン、インドなどで用いられる。
トルコ結びよりもタイトになるので曲線を織り出すのに向くとされる。
「左開き」と「右開き」とがある。

ペルシャ文字

アラビア語のアルファベット28文字にペルシャ語特有の4文字を加えた、計32文字のアルファベットからなる。

ペルシャン・ブルー

「ペルシャの青」の意で明確な定義がある訳ではないが、一般には瑠璃色(るりいろ)、すなわち紫みを帯びた濃い青をいう。
瑠璃は半貴石のラピスラズリのことで、これを粉砕したものを顔料として用いたが、この石がイランで産出されたことからそうよばれるようになったと考えられる。
瑠璃色とよく似た色に紺青色(こんじょういろ)があり、こちらは「プルシャン・ブルー」ともよばれる。
1704年にドイツの化学者ヨハン・ヤコブ・ディースバッハが赤色の顔料を合成中に偶然発見したことから、当時の国名であるプロイセンにあやかりプルシャン・ブルーとよばれるようになった。
呼称もよく似ているため混同されることが多いが、両者の由来はまったく異なる。

ペルセポリス

イラン南西部、シーラーズの北東約70キロにあったアケメネス朝の首都。
紀元前 518年にダリウス1世が建設に着手し、続く二代の王により増改築された。
切石を積み上げた東西約300メートル、南北約450メートルのテラス上に巨大な建築群が立ち並び、大帝国の首都たる威容を誇ったが、行政はスーサを中心に行われた。
ペルセポリスは儀式や祝祭などを催行する聖域であったというのが通説である。
前331年、アレキサンダー大王により破壊され衰退した。
ペルセポリスは「ペルシャ人の都市」を意味するギリシャ語で、イランでは「タフテ・ジャムシード」(ジャムシード王の玉座)という。
遺跡は1979年にユネスコの世界遺産に登録された。

ペルセポリス
ペルセポリス

ペンダント

メダリオンの上下に連なる装飾文様。
しばしばカルトゥーシュを伴う。
イランでは「サル・トランジ」(メダリオンの頭)とよぶ。

鳳凰(ほうおう)

古代中国で麒麟(きりん)、亀(き)、竜とともに四瑞(しずい)として尊ばれた想像上の霊鳥。
鳳は雄、凰は雌をいい、前は麟、後ろは鹿、首は蛇、尾は魚、顎(あご)は燕、嘴(くちばし)は鶏に似る。
五色の羽を持ち、梧桐(ごとう)に宿って竹の実を食べ、醴泉(れいせん)の水を飲む。
徳の高い君子が天子の位に就くと現れるとされ、後漢の時代から竜とともに皇帝の象徴として装飾や文様に用いられてきた。
モンゴルの征西により西アジアに伝来したと考えられており、イルハン朝の遺跡であるタフテ・スレイマーンには中国のそれを完全に模倣した鳳凰像がタイルに描かれている。
混同されることが多い西洋のフェニックスとはまったくの別物であることがわかっているが、ペルシャ神話に登場するホマとは共通する部分があり、同一起源説を唱える神話学者もいる。
また鳥の王として語られる霊鳥シムルグについては鳳凰の姿で描かれることが多い。
(→シムルグ)
(→ホマ)

紡績

糸を紡ぐこと。
綿花、羊毛、麻、蚕糸屑などの比較的短い繊維を加工して長い糸にすること。

紡錘(ぼうすい)

毛糸を紡ぐための道具で、心棒をクルクルと回転させながら解した羊毛を少しずつ指先で撚って巻き付けてゆく。
羽根車式と弾み車式の二つがある。

ポシュティ

ペルシャ絨毯のサイズの呼称で、約60×約90(cm)のものをいう。
ポシュティはペルシャ語で「クッション」を意味し、本来はクッションに加工するためのものであった。

ホスローとシーリーン

ニザーミーが著した『五部作』のうちの第二作で、1177年から81年にかけて詩作された。
ササン朝の王ホスロー2世とアルメニアの王女シーリーンとの恋を6500句をもって描く宮廷ロマンス叙事詩である。
同名の物語は『王書』にも収録されているが、ニザーミーは歴史に関する記述を最小限にとどめ、純粋なロマンス文学としてこれをセルジュク朝のアルスラーン1世に献呈した。
その悲しい結末はイラン人たちの胸を打ち、多くの細密画のモチーフとなった。

ホスローの春

ササン朝の最盛期を築いた第21代君主ホスロー1世の治世下において製作されたと伝えられる、四季をテーマにした4枚の絨毯のうちの1枚。
アッバス朝期のイスラム法学者であったアブー・ジャーファル・タバリーが著した『諸使徒と諸王の歴史』によれば、絹の地に金糸や銀糸、様々な宝石を用い花々が咲き乱れる春の景色が織り出されていたという。
ササン朝の首都であったクテシフォンの王宮の謁見室に吊り下げられていたが、637年にイスラム軍の侵攻を受けクテシフォンが陥落した際、王宮に乱入したアラブ人によりバラバラに切り刻まれて持ち去られたとされる。
「バハレスタン」(春の国)ともいう。

ホセイン・イブン・アリー(625〜680年)

シーア派第3代イマーム。
第4代カリフ、アリーと預言者ムハンマドの娘ファーティマとの間に生まれた第2子。
680年に第5代カリフでウマイア朝創設者でもあったムアーウィアが没し、その息子のヤジードがカリフを継承すると、クーファでは反乱の気運が高まった。
収拾を図るべく少数の兵を率いてクーファに向かったが、カルバラにおいてウマイア朝軍と衝突し戦死した。
シーア派はホセインの死を殉教と見なし、毎年ムハッラム月の最初の10日間にその死を悼む殉教祭(アーシューラー)を行う。
フセイン、フサインともよぶ。

ボーダー

絨毯のフィールドを取り巻く太い枠のこと。
内外周にガードを伴う。
イランでは「ハーシエ・ボゾルグ」という。

ボテ

→ペイズリー

ホマ

ペルシャ神話やギリシャ神話に登場する伝説上の動物。
ライオンの胴体に鷲の頭と翼とを持ち、幸福をもたらすという。
西洋では「グリフォン」「グリュプス」などとよばれる。

ホマ
ホマ

ホラサニ種

イラン東部のホラサン地方に在来する羊の種。
その毛は柔らかくて張りがあり、イランの羊の中ではもっとも良質とされる。

ホラサン

イラン東部からタム川以南、ヒンドゥークシ山脈以北に至るまでの地域の歴史的呼称。
中世ペルシャ語で「陽の昇る地」を意味する。
中央アジアからイラン高原へと至る要衝にあり、いくつもの王朝が興亡した。
1221年のモンゴル軍の侵攻により壊滅的被害を受けたが復興し、ティムール朝の時代には西部のヘラートに首都が置かれてイスラム文化が開花する。
18世紀以降はイランとアフガニスタンとによる争奪戦の舞台となり、英国の介入により1857年にはアム川以南、ヒンドゥークシ山脈以北の地域がアフガニスタン領として確定された。
イランでは1934年の行政区分法により行政区となり、1950年には州に昇格。
しかし広大であったことから、2004年に北ホラサン州、ラザビ・ホラサン州、南ホラサン州の三つに分割された。

ポーランド絨毯

サファヴィー朝第5代君主であったアッバス1世の時代に製作された一連の絨毯。
金銀糸のキリム(綴織)と絹のパイル織とを組み合わせた装飾性の高いもので、イスファハンもしくはカシャーンの宮廷所縁の工房で製作されたとするのが定説である。
ポーランドで製作されたものと信じられてきたのが名の由来であり、そうした誤解を生んだのは同国にはキリム織りの伝統があることに加え、ポーランドの王侯貴族の紋章が織り出されていた幾枚かが存在していたからであった。
ウィーン万博のポーランド館に展示された際にも、それに疑念を抱く者はいなかったといわれるが、のちにポーランド王ジグムント3世が娘アンナの嫁入り道具とするため1601/02年にサファヴィー朝ペルシャに注文したことを示す記録が見つかり、イラン製であることが判明した。
230枚ほどが現存しているといわれ、そのうちの一枚は京都の南観音山保存会が所有している。

ポーランド絨毯
ポーランド絨毯

ホーリ

バクチアリが製作する絨毯のうち、シングル・ウェフトの低級品の総称として用いる。

ポルティコ

柱で支えられた屋根のある突出部のこと。
「ポルチコ」「ポーチ」ともいう。

ポルトガル絨毯

サファヴィー朝第二代君主であったタハマスプ1世の時代に製作された、ポルトガル船とポルトガル人とが織り出された一連の絨毯。
インドで製作されたとする説もあるが、イラン北東部のホラサン地方で製作されたとするのが定説となっている。

ポルトガル絨毯
ポルトガル絨毯

ホルジン

→鞍袋(くらぶくろ)

ポロ

馬に乗った競技者がマレット(長柄の木槌)で 木球を打ち合い、相手のゴールに入れて得点を争う競技。
騎馬民族の軍事訓練,あるいは競技として始まったもので,古代イランで盛んに行われた。
イランからアラビア、チベット、インド、中国などへ伝わり、19世紀にはインドから英国へと伝わって近代スポーツとして確立された。
ポロは球を意味するチベット語の「プル」に由来する。

ポロネーズ絨毯

→ポーランド絨毯

マ行

マク種

イラン北西部のアゼルバイジャン地方に在来する羊の種。
毛は脂肪分を多く含んでおり良質ではあるが、やや粗い。
マクは西アゼルバイジャン州にある町の名。

マクスド・カシャーニ(生没年不詳)

1539/40年に製作されたアルデビル絨毯の作者。
カシャーニは「カシャーンの人」を表す姓であるが、父祖から受け継いだものであるがゆえ、マクスドがカシャーン出身であるか否かは不明である。

マージュラン・サルーク

1920年代に製作されたサルークの一種。
アメリカン・サルーク同様、シダ状の植物文様を上下左右対称に配したデザインであるが、デザインはシンプルで、フィールドの地色には赤だけでなく濃紺を使用したものも多い。
アラク近郊のマージュランで製作されたとする説や、アメリカン・サルークの原形とする説などがあるが定かではない。
アーサー・セシル・エドワーズが遺した記録には見当たらず、そのためアメリカン・サルークの変種とする見方もある。

マージュラン・サルーク
マージュラン・サルーク

マスジェド

「モスク」を意味するペルシャ語。

末端部

絨毯の上端(織り終わり)と下端(織り始め)の部分。
キリムやフリンジとして処理される。

マドラサ

「学びの場」を意味するアラビア語だが、通常はウラマー(イスラム法学者)を養成するための高等神学校をいう。
モスクに併設され、ワクフ(寄進財)により運営されることが多い。
859年に設立されたフェズ(モロッコ)のアルカラウィーン大学が世界最古のマドラサとされるが、11世紀にセルジューク朝のニザーム・アルムルクが制度化してからはイスラム諸国に広がった。
中庭を2階建の学生寮と4つのイワーンとが囲む構造が一般的で、講堂はなく講義は主にイワーンで行われる。
20世紀に入り、近代高等教育が整備され始めると衰退していった。
メドレセともいう。

マハル

アラク地方で産出される絨毯のうちサルークよりも品質が劣るものをいう。
マハルはアラクの南東70キロにあるマハラトに由来した名であるが、マハラトではサルークのみが製作されているのが実際である。

マハル
マハル

マヒ

→ヘラティ

マフラシュ

いわゆる寝具袋で、カシュガイやシャーサバン、トルクメンなどが使用する。
横長の形状で、キリムとパイル織りもしくはソマックを組み合わせて製作される。
衣装袋としても用いられる。

マフラシュ
マフラシュ

マララン

タブリーズ市内の東にある地区。
かつてはヘラティ文様の作品をはじめとするタブリーズ絨毯の高級品が製作されていたが、1960年代に始まる工業化の波に押されイラン革命後の1980年代には生産を終えた。

マララン
マララン

マリッジ・カーペット

部族民や農村部において、花嫁が嫁入り道具として持参する絨毯。
結婚が決まると女性親族総出で製作に当たった。
エッジ部分に等間隔で色とりどりの玉房が縫い付けられているものが多い。

マー・ワラー・アンナフル

中央アジア南部のオアシス地帯を指す歴史的呼称。
「トランス・オクシアナ」「トランス・オキジアナ」ともいう。
かつてはソグディアナ(ソグド人の地)とよばれたが、中央アジアに侵攻したアラブ人がアム川(オクソス川)以北をアラビア語で「川の向うの地」を意味するマー・ワラー・アンナフルとよぶようになった。
8世紀初頭にウマイア朝がこの地を制すると急速にイスラム化され、875年には初のイラン系イスラム国家であるサーマン朝が建国される。
サーマン朝が初のテュルク系イスラム国家となったカラハン朝に滅ぼされた後は、中央アジアのテュルク化が進んだ。
その後のモンゴルの支配を経て、1370年に興ったティムール朝ではサマルカンドが首都となり、テュルク・イスラム文化が開花した。
マー・ワラー・アンナフルとよばれる地域は時代とともに変化したが、通常はアム川からシル川にかけてをいい、現在そのほとんどをウズベキスタンとタジキスタンとが占める。

マンギスタウ半島

カスピ海東岸に大きく張り出した半島で、現在はカザフスタン領。
かつてはトルクメンの居住地であったが、1639年にモンゴル系のカルムイク人がこの地を支配するとトルクメンは東方へと逃れた。
マングシュラク半島ともいう。

マンギスタウ半島
マンギスタウ半島

マンチェスター・カシャーン

1990年頃から1940年頃にかけて製作された、輸入品のメリノー種の羊毛をパイルに用いたカシャーン絨毯。
英国マンチェスターの貿易商から素材を仕入れていたためこの名が付いた。
「コルク・マンチェスター」ともよばれ、美しい光沢と滑らかな肌触りを持つ。

マンチェスター・カシャーン
マンチェスター・カシャーン

ミッシャン・マラヤー

19世紀後半から20世紀初頭にかけて製作されたマラヤー絨毯の最高級品をいう。
ミッシャンはマラヤーの南東20キロにある村で、当時きわめて質の高い絨毯を産出していた。
ヘラティ―やペイズリーを用いたデザインが多く、黒に近い濃紺や鮮やかなオレンジに特徴がある。

ミッシャン・マラヤー
ミッシャン・マラヤー

ミナハニ

ロゼットを菱形で囲い四方にロゼットとパルメットを配した文様。
ヘラティ文様に似ているがアカンサスの葉はないのが特徴である。
ベラミンで産出される絨毯の代表的文様として知られるが、バルーチ等の部族民もこの文様を用いる。ただし、部族民のそれは曲線を用いない幾何学文様である。

ミナレット

モスクに付設される高塔。
ムアッジン(呼集係)が信徒に礼拝の時間を告げるアザーンを行うためのもの。
上部に節状のバルコニーが付き、内部には螺旋階段がある。
初めは1堂に1基であったが、やがて権威の象徴として増え始め、最大規模のモスクになると6基を有するものがある。
アラビア語では「マナーラ」、ペルシャ語では「ミナール」という。
「尖塔」「光塔」と訳される。

ミナレット
ミナレット

ミニアチュール

→細密画

ミフラブ

モスクの内壁に設けられたアーチ形の窪みのこと。
キブラ(メッカの方向)を示すもので、これに向かって礼拝する。

ミフラブ
ミフラブ

→エッジ

明礬(みょうばん)

硫酸アルミニウム、硫酸アルミニウムカリウム(生ミョウバン)、硫酸アルミニウムアンモニウム(焼ミョウバン)を総称したもの。
いずれも無色透明の正八面体結晶で水によく溶け、古代ギリシャの時代から媒染剤としてだけでなく、医薬品や顔料、皮なめし剤、水の清澄剤等々、広い用途に用いられてきた。
毛や絹などの動物繊維にもっとも使われる媒染剤で、日光・洗濯堅牢度を高め明るく澄んだ色を生み出す。

明礬(みょうばん)
明礬(みょうばん)

ミール

「松ぼっくり」の意で、ペイズリーを簡素化し更に小型化したものをいう。
西洋梨のようなズングリとした形状が特徴である。
セラバンド地方の絨毯のデザインとして有名。

ミール・セラバンド

19世紀から20世紀初頭にかけて製作されたセラバンド絨毯で「サルーク・ミール」ともいう。
ミールやアカンサスの葉を並べたフィールドに「シェカーリ」とよばれる文様の細いボーダーをあしらったデザインで、幾重にも連なるガードが巡らされている。

ミール・セラバンド
ミール・セラバンド

ムガール絨毯

ムガール帝国の時代にインド・パキスタンで製作された絨毯。
第3代君主であったアクバルが、サファヴィー朝イランから技術者を招聘し、宮廷用の絨毯を織らせたのが起源とされる。
ラホール、アグラ、ジャイプール、ファテープル、シークリーに工房が開設され、イスファハン職人の指導によりペルシャ様式の絨毯が製作された。
ペルシャ様式はやがて土着の文化と融合し、第5代君主シャー・ジャハーンの時代には写実的な花文様を織り出した一方柄が主流となる。
しかし18世紀に入ると輸出品として製作されることが多くなり、品質は低下していった。

ムガール絨毯
ムガール絨毯

ムガール帝国

1526年にティムールの子孫バーブルが北インドに樹立したイスラム国家。
フェルガナ太守であったパープルは、ロディー朝をパーニーパットに破り、デリーを奪取して帝位に就いた。
北インド全域を支配下に収め、中央集権制を確立した第3代君主アクバルにより帝国の基礎が固められ、領土を南インドにまで広げた第6代君主アウラングゼープの時代に最盛期を迎える。
しかし、アウラングゼープの専制と宗教的狂信性は各地における反乱を招き、同皇帝の死後、急速に衰退した。
1739年にはアフシャル朝イランのナーディル ・シャーに首都デリーを破壊され、もはや帝国は名目上存在するだけとなった。
1858年に起こったインド大反乱を機に、英国によって完全に滅ぼされた。

ムカルナス

鍾乳石の丸天井を意味するアラビア語で、尖頭形の窪みを多層に積み重ねた建築装飾をいう。
10世紀中頃にイラン北西部や北アフリカ中央部において発展した。
一定の幾何学的な規則に基づいてデザインされており、主にドームの内側や、ミナレットの径が変化する部分などに用いられる。

ムカルナス
ムカルナス

ムスリム

イスラム教徒のこと。
厳密には男性信者をいい、女性信者については「ムスリマ」とよぶ。

絨毯作家の名や産地などを織り込んだもので、カルトゥーシュの中に置かれることが多い。
19世紀までは王侯貴族や土地の有力者らから注文を受けた場合などに限って入れられたが、20世紀に入ると徐々に増え始め、1990年代頃からは都市部で製作される絨毯の多くに見られるようになった。
したがって古い絨毯を除けば、銘の存在が絨毯の価値を左右するものでは決してない。

ムハンマド(570?~632年)

イスラム教の開祖で、正しくはアブー・(ア)ルカーシム・ムハンマド・イブン・アブド(ア)ッラー・イブン・アブド(ア)ルムッタリブ・イブン・ハーシムである。
メッカのクライシュ族の名門ハーシム家に生まれるが孤児となり、羊飼いや隊商として貧しい暮らしを送った後、25歳で年長の寡婦ハディージャと結婚した。
610年、ヒラー山中で瞑想中にアッラーから啓示を受け、これを説いて信者を集めたが、偶像崇拝を否定したため大商人たちに迫害され、信徒たちとともに622年にメディナに移住した。
基盤を固めたのち630年にメッカを占領。
やがてアラビア半島全域を支配下に置くが、シリア遠征の途中で没した。
アブラハム、モーセ、イエスに続く最後の預言者とされる。
モハメット、マホメットとも。

ムフロン

イラン及び地中海の島嶼部を原産とする野生種の羊。
小型だが、雄雌ともに渦巻状の大きな角を持つ。
ユリアルとともに家畜化された羊の原種と考えられている。

メイダーン

「広場」を意味するアラビア語もしくはペルシャ語。

メダリオン

「メダル」から派生した語で、円形の装飾や文様を指す。
フランス語の「メダイヨン」もよく使われる。
絨毯のデザインとしては15世紀末から16世紀初頭にかけて用いられ始めたようだが、由来については写本の表紙のデザインから採用されとする説や仏教の曼陀羅に着想を得たとする説がある。
都市部で製作される絨毯には円形や楕円形、檸檬形のメダリオンが用いられるが、農民や部族民が製作する絨毯には菱形や六角形を用いたものが多い。
イランでは「トランジ」とよぶ。

メダリオン
メダリオン

メダリオン・コーナー・デザイン

フィールドの中心にメダリオンを置き、四隅にコーナーを配したデザインのこと。
15世紀後半に写本の装丁を元に考案されたと考えられている。

メムリンクのギュル

階段状の菱形の周りを直角にカーブした鉤状の飾りで囲った文様のこと。
15世紀後半に活躍したベルギーの画家で、初期フランドル派を代表する画家の一人でもあるハンス・メムリンクの『聖ヤコブと聖ドミニコの間にいる聖母マリアとその子』(1488〜1490年作)にこの文様を織り出した、おそらくアルメニア産であろう絨毯が描かれていることから名付けられた。
クルドやルリ、バルーチの絨毯などに見られる。

モガン平原

イランとアゼルバイジャン共和国との国境を挟んで広がる平原。
モガン・ステップともいう。

モザイク・タイル

様々な色の単色彩釉タイルを型紙に沿って切り、それらを貼り寄せて文様を描いたもの。
ファイアンス・モザイクともいう。

モスク

イスラム教の礼拝堂。 アラビア語ではマスジドといい「平伏す場所」を意味する。
中庭を広くとった方形の回廊を基本形とし、キブラ(メッカの方向)に堂を、堂の左右に礼拝の呼びかけを行うミナレット(尖塔)を、中央に身を清めるための水場を置く。
堂の内部は奥壁中央部にミフラブ壁龕)が、その向って右脇にミンバル (説教壇))が置かれているだけで、祭壇の類はない。
金曜日に集団礼拝が行われる各都市の大規模なモスクはジャーミ (金曜日または会衆の意) などとよばれる。

モストフィ

一対の渦巻状のイスリムをゴル・ファランギの花束に連結させた文様。
19世紀末から20世紀初頭にかけてサルークに近いメイガンで製作された絨毯のデザインとして知られている。
モストフィの呼称は19世紀後半にタブリーズからアラク地方にやってきた絨毯商の名に由来するという。

モダン・ギャッベ

1980年代から製作され始めた絨毯で、ギャッベとはいうが伝統的なそれとは趣や性質を異にする。
モダン・ギャッベについてはカシュガイやルリの遊牧民が、牧歌的な生活の中で自給自足により製作するものとして語られることが多い。
しかし、実際は工程のすべてが絨毯商のプロデュースのもとに分業制で行われており、デザインやサイズについても現代人の趣向に合わせたものが採用されている。
絨毯商より提供された意匠図と素材とを用い、ファース州の農民たちが製織したものを工場に集めて仕上げを施すが、これは町や村で商業用に製作される絨毯とまったく同じである。
パイルは天然染料により染色され、長めにカットされている。

モダン・ギャッベ
モダン・ギャッベ

モフタシャン(1886~1956年)

カジャール朝期を代表するカシャーンの絨毯作家。
彼の工房で製作された絨毯は「モフタシャン・カシャーン」とよばれる。

モハラマティ

ペルシャ語で「ストライプ文様」の意。
人類が最初に考案したデザインの一つとされる。
アッバス朝期の細密画にはストライプ文様を用いた椅子や寝具、カーテンなどが描かれており、また1434/35年に描かれたニザーミーの『ハムセ』の写本挿絵には同文様の絨毯が描かれている。

モハラマティ
モハラマティ

モハンマド・レザー・シャー(1919~1980年)

パフラビー朝の第2代にして最後のシャー。
レザー・シャーの長男で1925年に皇太子となり、1941年のレザー・シャーの退位に伴い即位した。
石油国有化運動を巡っては首相のモサッデクと対立し国外へ避難したが、米英の策謀によりモサッデクが失脚したことにより帰国した。
60年代には秘密警察サバック(SAVAK)を使い独裁体制を強化するとともに、上からの改革である「白色革命」を断行。
70年代に入ってからは莫大なオイル・マネーを背景に急速な近代化を進めるが、1979年のイラン革命によりエジプトへ亡命し、カイロで没した。
パフラヴィー2世ともよばれる。

モハンマド・レザー・シャー(1919~1980年)
モハンマド・レザー・シャー(1919~1980年)

ヤ行

ヤイラク

遊牧民の夏の宿営地。

ヤラメ

イスファハン南方のアリアバドやタルカンチェの西に暮らす部族。
隣接するバクチアリと同じくルリから派生した部族とみられているが、カシュガイとの共通点も多いため、カシュガイから派生したとする説もある。部族のものとしては質の高い絨毯を製作している。

遊牧民

家畜群を伴い、一定の牧草地帯を季節的に移動して生活する部族のこと。
イランにはアフシャル、カシュガイ、クルド、シャーサバン、トルクメン 、バクチアリ、ハムセ、バルーチ、ルリなどがいる。
ただし、これらの部族に属してはいても、定住生活を送っているものは遊牧民とはいわない。

ユリアル

中央アジア原産の野生種の羊。
イランの羊はこの種と別の野生種であるムフロンとが交雑したものと考えられている。

ユリアル
ユリアル

横糸

絨毯の横方向に通っている糸で、ウェフトともいう。
本数により「シングル・ウェフト」「ダブル・ウェフト」「トリプル・ウェフト」に分けられる。

ヨムート

トルクメンの一部族。
トルクメニスタン西部のカスピ海東岸を主なテリトリーとするが、一部はイランのゴルガン周辺、ウズベキスタンのヒヴァ周辺にもいる。
とりわけイランのトルクメンの中ではギョクレンとともにその大半を占める。
18世紀にはテッケを破り、またヒヴァを占領するなど勢力を誇ったが、その後は離散して衰退した。
イラン国内のヨムートは1924年に独立運動を起こすが、イラン国軍により鎮圧された。

撚り

1本ないし複数本の糸をねじり合わせること。
糸に必要な強度や独特の風合いを与え、目的の太さの糸にする。
撚りのかかっていない一本ないし複数本の糸に最初の撚りをかけることを「下撚り」(したより)といい、下撚りした糸を複数本合わせて下撚りと反対方向に撚りをかけることを「上撚り」(うわより)という。
また、撚りをかける方向により「S撚り」(右撚り)と「Z撚り」(左撚り)とがある。

夜の旅

『コーラン』の第17章で語られる、預言者ムハンマドの天上界への旅を描いた物語。
ヒジュラからちょうど一年前の夜、大天使ガブリエルに導かれたムハンマドは、ブラクという馬に跨りメッカからエルサレムに飛ぶ。
更に天上界へと向かい歴代の預言者と出会ったのち、アッラーの前で一日五回の祈りを捧げることを約束したという。
この物語はイスラム世界では「ミラージュ」とよばれ、多くの写本の題材となった。

夜の旅
夜の旅

ラ行

ラー

「撚り」を意味するペルシャ語。
ナインでは縦糸の撚りの本数を織りの密度を示す単位として用いる。

ライオン・アンド・サン

→獅子と太陽

ライオン・ラグ

カシュガイやルリが製作したギャッベのうち、ライオンが主題として織り出されたものをいう。

ライオン・ラグ
ライオン・ラグ

駱駝(らくだ)

偶蹄目ラクダ科ラクダ属の哺乳類の総称で、背の瘤が一つのヒトコブラクダと二つのフタコブラクダの2種が存在する。
前者は北アフリカ、西アジア、インドなどで、後者は中央アジア、中国北部などで家畜として飼育されている。
両種とも乾燥地帯における生活に適した機能を備えており、「砂漠の舟」とよばれる如く、古くから乗用あるいは役用として用いられてきた。
肉・乳は食用として、毛・皮・骨は工芸品の材料としても利用される。

ラケギール

絨毯の色補修を専門とする職人。

ラケギール
ラケギール

ラジ

イランで用いられる度量衡の一つで、1ラジは6.65センチメートル。
タブリーズでは1ラジ中にノット列がいくつあるかにより「○○ラジ」と表す。

ラシュト

イラン北西部、カスピ海の沿岸にある町で、ギラーン州の州都でもある。
トルコのブルサと並び、西アジアにおける絹の産地として名高い。

ラック(カイガラムシ)

カメムシ目ラックカイガラムシ科ラックカイガラムシ属に属する昆虫。
インド、東南アジア原産で、マメ科やクワ科、ムクロジ科など多種の樹木に寄生する。
枝に多くが群集し虫体被覆物(樹脂状の分泌物)を出してスティックラックを形成するが、これをすり潰したものが染料となる。
やや黄味がかった赤色を染める。

ラングラズ

→染色家

ランナー

→ケナレ

立憲革命

1905年に起こったカジャール朝の専制に対する市民革命。
イスラム法学者や商人らが中心となり、テヘランで反政府集会やバザール封鎖を行ったのが始まりである。
それを日露戦争における日本の勝利(専制国家に対する立憲国家の勝利と捉えられた)とロシア革命とが後押しし、憲法の制定と議会の開設とを求める大規模な市民運動へと発展した。
政府は要求を呑み、翌年には議会が開設されイラン憲法が制定されたが、反立憲派のクーデターにより頓挫する。
激しい攻防の末09年に再び議会が開設されたが、ロシアの軍事介入により11年に議会は解散、憲法は一部の機能が停止された。

リズ

「細かい」「小さい」を意味するペルシャ語。

四本の足を備えた蛇に似た胴体と、鹿のような角、鯰(なまず)に似た髭を持つ想像上の動物。
水中あるいは地中に棲み、天に昇って雲を起こし雨を降らすとされる。
中国では四瑞(しずい)の一つとして尊ばれ、鳳凰とともに皇帝のシンボルとされた。
これとは別にメソポタミア神話には、海の女神であり常に荒れ狂う原始的混乱をもたらすティアマトが登場するが、その姿は頭部に角を持つ手足のない蛇に似たものとして新アッシリア時代の円筒印章に描かれている。
またゾロアスター教の聖典『アヴェスター』には悪の象徴たるアジュダハーが登場し、イスラム化以降のペルシャ文学では羽の生えた巨大な蛇か蜥蜴(とかげ)の姿で描かれている。
イスラム美術に見られる竜の姿はトルコ系とモンゴル系の二つに分類されるが、トルコ系では頭部や肢体に四つ足獣の痕跡をとどめていて体躯は結び目やループ状であるのに対し、モンゴル系では大きな角をつけた鰐(わに)のような姿で描かれており中国美術の影響が顕著である。
16世紀のペルシャ絨絨毯に見られるのは後者であるが、イラン古来の悪の象徴として善の象徴たる鳳凰と戦う姿で描かれることも多い。

緑礬(リョクバン)

媒染剤として用いられる硫酸鉄のこと。
色を濃くする、あるいはくすませる効果があり、日光堅牢度と洗濯堅牢度とを高めるが、毛や絹などの動物繊維に使用するとこれを傷め、やがて劣化させるという欠点を持つ。
そのため媒染剤としてよりも修整剤として使用されることが多くなっている。

緑礬(リョクバン)
緑礬(リョクバン)

リリーフ・パイル

文様部分だけが浮きあがるようにパイルに凹凸をつける技法。
イランでは「バルジャスティ」という。

リリーフ・パイル
リリーフ・パイル

ルート砂漠

イラン東部に広がる大砂漠で、南ホラサン、シスターン・バルーチスタン、ケルマンの3州に跨る。
面積は17万5000平方キロに及び、イランの国土の約1割を占める。
平均標高は約600メートルで、イランでは最も低い。
夏の暑さは比類なく、地表面温度が摂氏70.7度に達したこともある。
2016年にユネスコの世界遺産に登録された。

ルバイヤート

ペルシャ語の四行詩集。
アブー・サイード・ビン・アビル・ハイル、アンサリー、ババ・ターヒルら多くの詩人が詩作したが、とりわけセルジュク朝のマリク・シャーに仕えたオマル・ハイヤームの作品は有名である。

ルーフェギャール

絨毯の修理職人。
色補修を行う職人はラケギールという。

ルーフェギャール
ルーフェギャール

ルブ・エル・ヒズブ

イスラム教のシンボルの一つである、二つの正方形を重ね合わせた八芒星。
ルブはアラビア語で「四分の一」、ヒズブは「集まり」の意。
『コーラン』を60に分けた巻をヒズブというが、ヒズブを更に四つに分けた区切りとしてこれを用いる。
イスラム世界においては、あらゆる分野のデザインに採用されている。

ルブ・エル・ヒズブ
ルブ・エル・ヒズブ

ルーホッラー・ホメイニ(1902〜1989年)

イスラム教シーア派の法学者にしてイラン・イスラム共和国の初代最高指導者。
アラク近郊のホメインに生まれ、アラクとクムの神学校に学ぶ。
1936年にイスラム法学者たるムジュタヒドの称号を得、61年には高位の法学者の称号であるアヤトッラーを授けられた。
63年、モハンマド ・レザー・シャーの白色革命に異を唱えて投獄されたのち、国外追放となった。
イラクのナジャフ、のちにフランスのパリから反帝制運動を呼び掛けたが、1979年にイラン革命が起こりシャーが出国すると入れ替わりに帰国。
新生イスラム共和国の最高指導者に就任した。

ルーホッラー・ホメイニ(1902〜1989年)
ルーホッラー・ホメイニ(1902〜1989年)

ルリ

イラン中西部のルリスタンを中心に暮らす遊牧系民族で、一部は国境を超えたイラク中東部にもいる。
人口は推定200万人で、北のルリはルリ語、南のルリはクルド語に似たラキ語を話す。
エラム人を起源とし、10世紀までにクルドから分かれたとされる。
ブワイフ朝の時代に大ルリと小ルリとに分断された。
小ルリは1596年に地方自治政権であるワリ朝を樹立するが、パフラヴィー朝のレザー・シャーによる攻撃を受け1929年に消滅した。

ルリスタン

イラン中西部のザグロス山中の地域を指す歴史的呼称。
現在のルリスタン州に、チャハルマハル・バクチアリ州とフゼスタン州の一部を含む。
「ルリの地」を意味する如く住民の多くはルリ人(ルル人)で、北部の小ルリと南部の大ルリとに分かれていた。

ルリスタン州

イラン中西部にある州(オスターン)。
北をクルディスタン州とハマダン州、南をフゼスタン州とチャハルマハル・バクチアリ州、西をケルマンシャー州、東をマルカジ州とイスファハン州に接する。
人口は約180万人で、ルリ人のほかバクチアリ族、クルド人、ラク人がいる。
州都はホッラマバード。

ルール・バフト

→ダブル・ノット

レイズド・シルク

絹を用いた浮織(スフ)のこと。

礼拝

アラビア語で「サラート」という。
『コーラン』に定められた五行の一つ。
イスラム教徒は一日五回、キブラ(メッカの方向)に向かって礼拝することが義務づけられている。
スンニ派とシーア派とでは礼拝のスタイルが若干異なり、スンニ派は両腕を組むが、シーア派は組まない。
礼拝の回数についてもシーア派は一日三回に凝縮している。

礼拝用絨毯

礼拝に用いられる比較的小型の絨毯。
イランでは「ナマーズリク」あるいは「アーヤトリク」とよぶ。
ミフラブ文様を織り出したものが多い。
プレーヤー・ラグ。

礼拝用絨毯
礼拝用絨毯

霊廟

→イマームザデ

レイラとマジュヌーン

中東に古くから伝わる悲恋物語で、レイラという名の美女に恋焦がれてマジュヌーン(狂人)となった青年カイスを語る。
ニザーミーの作品がもっとも有名である。

レザー・シャー(1878~1944年)

パフラヴィー朝の初代シャー。
イラン北部のアラシトに軍人の子として生まれる。
十代でペルシャ・コサック旅団に入隊し、やがて将校となった。
レザー・ハーンと称し、1921年のペルシャ・クーデターを成功させて軍務大臣に就任する。
その後、首相兼国軍総司令官となり25年にカジャール朝を廃止。
自らシャーとして即位しパフラヴィー朝を樹立した。
国軍を後ろ盾に強力な中央集権を敷くとともに国の近代化に努め、1935年には国名をイランに変更する。
第二次世界大戦で枢軸国寄りの姿勢を示したことから、英ソの圧力を受け退位させられた。

レザー・シャー(1878~1944年)
レザー・シャー(1878~1944年)

ロゼット

「花形装飾」の意で、中心から放射状に花弁を配した文様をいう。
古代エジプトに起源を持ち、エジプトからアッシリア王国、そしてアケメネス朝ペルシャへと伝搬したとされる。
ロゼットは薔薇(ローズ)を語源とするが、薔薇ではなく蓮の花に由来するというのが定説である。

ワ行

ワクフ

イスラム世界においてイスラム法(シャーリア)の規定に基づき、公共の施設を運営するために行われる寄付のこと。
一般には寄付された財産を指す。
イスラーム教徒の義務とされる五行の中の喜捨(ザカート)に基づく行為であり、国や個人がモスク、病院、学校、孤児院などへ寄付する「慈善ワクフ」と、個人が家族のために信託して収益権を保持する「家族ワクフ」の二つがある。
ワクフは「停止」を意味するアラビア語。

ワギレ

農村部で下絵の代わりに使用されることがある柄見本。
サンプラーラグ。

ワギレ
ワギレ

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