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よくある質問 -入門編-

シルクとウールの長所・短所を教えてください。

ウールは繊維が空気を含んでいるため熱伝導率が低い。つまり保温性があるので冬は暖かい。また吸湿性があるため空気中の湿気を吸収し、水分が蒸発する時に気化熱を奪う。
よって夏は涼しく感じる。この吸湿性により繊維は静電気を起こしにくく、埃が付きにくいとも言われます。さらに繊維の表面は人間の髪の毛と同じで「エピキューティクル」という撥水性の高い薄い膜で覆われていて、水溶性物質を表面で弾くため汚れにくい。その他、染色性に優れているので色落ちしにくい。燃えにくい。悪臭などを吸収・分解させる性質を持っており消臭機能に優れている。
これらに加え、最大のメリットともいえるのが耐久性の高さ。ウール繊維の「縮れ」は衝撃を和らげ圧力を分散させます。伸縮性、弾力性にも富んでいるので、折り曲げたり、引っ張たりしても回復します。その強さは乾燥時であれば良質な羊毛は同じ太さの鋼線、金線に等しいと言われるほどです。
しかし、ウールにも短所はあります。ウールは動物性繊維でタンパク質でできているため、紫外線に当たると黄褐変します(それがアンティーク・オールド絨毯の魅力になる訳ですから、見方によっては短所と言えないかもしれませんが……)。
さらに、繊維が水分を含みやすいためカビが生えることがある。水に濡れると重くなる。そして、もっとも厄介なのが絹よりも虫に食われやすいこと。とくに納戸など、暗くて湿気がたまりやすい場所に保管する際には注意が必要です。

一方、シルクはウール同様に保温性・保湿性に優れ静電気が起こりにくいことに加え、光沢があり肌触りがよく、さらに引っ張る力に対しては羊毛や綿よりも丈夫。緻密な織りの高級絨毯の縦糸にシルクが使われることが多いのはこのためです。
ただし、耐摩耗性(摩耗強度)については他の繊維よりも劣ります。つまり「摩擦に弱い」ということ。絹糸(けんし)は蚕の繭から採取した繭糸を撚り合せて作った生糸を、さらに何本か撚り合わせたものですが、絹糸の最小単位である繭糸がとても細いため、切れやすいからです。また、シルクは酸・アルカリ(ペットのオシッコなど)に弱く、シミができたりカビが生えやすい上、水に濡れると色落ちしやすいという短所があります。加えて紫外線、水分、熱などによって繊維が酸化し、黄褐変や脆化しやすくなるとも言われています。脆化というのは読んで字のごとく、繊維が脆くなることです。脆化すると絨毯の縦横糸は切れやすくなり、パイルは粉末化しやすくなります。
粉末化とは糸が粉状に砕けてしまうこと。絨毯の表面を手で擦ったとき、指にパイルと同じ色の粉が付着するようであれば粉末化している証拠です。
シルク絨毯を長持ちさせるためには椅子を出し入れする場所や頻度に使用する場所を避け、直射日光、湿気、室温などに気をつけながら使う必要があります。

画像(上から)
・耐久性に優れたウール絨毯
・カビ
・虫食い
・光沢が美しいシルク絨毯
・色落ち
・粉末化

シルクで織られた絨毯の方がウールで織られたものより高級ですよね?

絨毯を製作するために必要となる経費には糸代の他、デザイン料、織り子の賃金、シャーリングや洗いに要する代金などがあります。それらの経費のうち、全体の8割以上を占めるのが織り子の賃金です。
確かにシルク糸はウール糸よりも高価ですが、織り子の賃金に比べると糸代など、たかが知れたもの。つまり絨毯の価格は、どれだけ手間がかかっているかによって決まるということです。シルクが高級素材であるのは確かですが、必ずしもシルク絨毯がウール絨毯よりも高級ということにはなりません。
ちなみに、ペルシャ絨毯にせよトルコ絨毯にせよ、生産量の9割以上はウール絨毯です。これはシルク絨毯が高級だからではなく、ただ単に需要がないというのが理由。シルク絨毯が人気なのは室内で靴を脱ぐ習慣のある日本や中東の国々などに限ったことで、土足のまま生活する欧米では、丈夫で長持ちするウール絨毯の人気が圧倒的に高いのです。

画像(上から)
・20世紀最高の絨毯作家とよばれるアモグリ兄弟作のウール絨毯
・アクバル・メヒディ作の256万ノットのウール絨毯

「コルク・ウール」というのは何ですか?

世界には主なものだけでも200種類以上の羊がいると言われていますが、イランの羊は「ユリアル」とよばれる野生種から派生した羊です。大きく垂れ下がった臀部と長い直毛を持つのが特徴。この羊はさらにいくつかの種類に分けられるのですが、ウールがもっとも良質とされるのは北東部土着の「ホラサニ種」、次いで中西部の「ケルマ2種」です。一頭の羊の中で一番柔らかいのは肩の毛で、二番目が脇の毛。そうした柔らかなウールを総称したものがコルク・ウールです。しかし、現在ペルシャ絨毯に使用されているコルク・ウールの多くは実はニュージーランドやオーストラリアから輸入されたドライスデール種などの羊のウール。ドライスデール種はニュージーランドのマッセー農業カレッジ(現在のマッセー大学)教授であったF・W・ドライ博士が、高級絨毯用に英国原産のロムニー種を改良して作り出した羊の品種です。直毛で混じりけのない白いウールが特徴で、1950年に新品種に認定されました。ドライスデールの名はドライ博士に由来したものです。輸入品を使う理由の第一は、イラン産のコルク・ウールは一頭の羊から少ししか採取できないため、高価になってしまうから。第二は、イランで紡績した毛糸には植物片やビニール片などの不純物が混ざることが多いからです。パイル糸に輸入品を使用することは最近になって始められたことではなく、19世紀末から第二次世界大戦の頃まで製作されていたカシャン産には、英国マンチェスター産のメリノ・ウールを用いた「マンチェスター・カシャン」とよばれるものがあります。尚、よく耳にする「子羊の毛」という説明は完全な誤りとは言えないものの、事実を正確に伝えるものではありません。

画像(上から)
・イランの羊
・ドライスデール種の羊
・マンチェスター・カシャン(白鶴美術館蔵)

トルコ絨毯は「ダブル・ノット」で織られているので、ペルシャ絨毯よりも丈夫だと聞いたのですが…。

これはトルコの絨毯商がよく口にする言葉ですが、彼らが「ダブル・ノット」というのはパキスタン絨毯でいうダブル・ノット、ペルシャ絨毯ではルール・バフトといわれる縦糸が上下に重なる構造のことではなく、「トルコ結び」の意味でしょう。ルール・バフトの絨毯は縦糸が重ならないタフト・バフトの絨毯よりも丈夫ですが、トルコ結びがペルシャ結びよりも丈夫だということはありません。
イランやトルコをはじめとする中央アジアの国々で用いられるのはトルコ結びかペルシャ結び。トルコ結びはトルコやコーカサス、イラン北西部で用いられ、「ギョルデス結び」ともいわれます。本の縦糸に左右対称にパイルを絡める結び方で、鉤針を使用して速く結べます。

一方、ペルシャ結びは北西部を除くイラン全土(一部例外もあり)、アフガニスタン、パキスタン、インドなどで用いられます。ペルシャ結びは「セネ結び」ともいわれますが、セネ(現在のサナンダジ)産の絨毯はトルコ結びで製作されています。ペルシャ結びは左右非対称となることから鉤針を使うことができません。しかし、指先の力が直接伝わるため、パイルはしっかりと固定され外れにくくなります。ちなみにイランでは同じ絨毯を片やトルコ結び、片やペルシャ結びで製作した場合、ペルシャ結びのものの方が値段が高くなります。

日本からのツアー客が多く訪れるトルコの絨毯屋では、日本語の達者なトルコ人が美辞麗句を並べ立てた商品説明をしているようです。タブルノット云々の他には、「夏には裏面を上にして使えばよい」というのをよく聞きます。絨毯はパイルがあるからこそ丈夫で長持ちするのであって、弱い裏面が摩耗してしまうと修理は不可能。彼らは「日本から返品に来ることなど絶対にない」と高を括っていますから、嘘も平気で言えるのでしょう。現地では高価な買物は避けた方が無難だと思います。


画像(上から)
・ルール・バフト
・タフト・バフト
・トルコ結び
・ペルシャ結び(左開き)
・同上(右開き)

工房の銘が入っていれば良質な絨毯と考えてよいのでしょうか?

現代のペルシャ絨毯について言えば、銘の有無と品質の良し悪しとは全く関係ありません。もともと絨毯の銘は特別な注文を受けた際、注文者の名や年号などとともに織り込まれたもので、作者自身の名をアピールするためのものではありませんでした。

19世紀の後半、欧米における絨毯ブームを背景として工房が続々と開設されるにつれ、差別化の方策として自らの名を入れる工房が現れはじめます。しかし、それは作品が外交用の贈答品として使用される帝室御用達の工房など、ごく一部に限られていました。

絨毯にやたらと銘が入れらるようになったのは1990年頃からのことで、これはわが国におけるバブル景気の到来と時を同じくしています。しかもこの現象はシルク絨毯を多く産出するクムで起こっていることから、当時、有名作家の美術品やヨーロッパの高級ブランド品を買い漁っていた日本人の影響が少なからずあったことは確実でしょう。
最近では、無銘の作品や他産地のコピー品に有名工房の銘を後付けすることが横行しています。とくにナインのハビビアン工房の作品については、日本国内で流通しているほとんどが偽物と言ってもよいほどですので、購入に際しては注意が必要です。(本物と偽物の見分け方については「中級編」を参照)

画像(上から)
・16世紀に製作された「アルデビル絨毯」の銘
・19世紀末のラヴァー産絨毯の銘
・レザー・シャー御用達であったアモグリ工房の銘
・パーレヴィー2世御用達であったヘクマトネジャード工房の銘

一般的なペルシャ絨毯のイメージとはかけ離れているのですが、ギャッベもペルシャ絨毯なのでしょうか?

ペルシャ絨毯とは「イラン国内で製作された手織絨毯」をいいます。従って、ギャッベもペルシャ絨毯には違いありません。ただし、現代のギャッベは商業ベースに乗って製作されているもので、長きにわたって受け継がれてきた伝統的なギャッベとはかなり趣きを異にします。

本来、ギャッベは簡素なデザインながらも、ペルシャ絨毯のイメージからかけ離れたものではありませんでした。1970年代になってから、それまでイランでは見向きもされなかったギャッベに注目する外国人が現れはじめます。ライオンなどを織り出したそのユニークなデザインが新鮮に感じられたのでしょう。そして1980年代に入ると、ギャッベは彼らの好みに合わせた姿に大きく変貌を遂げてゆきました。デザインはよりシンプルに、パイルはより長くなってゆきます。

そのきっかけを作ったのが、シラーズの絨毯商ゴラムレザー・ゾランバリ氏です。草木染めを復活させ、遊牧民の実用品過ぎなかったギャッベを「商品」として国外に広めた彼の功績は大いに評価されるべきでしょう。しかしその一方で、商売のために彼らが代々継承してきた伝統を大きく歪めてしまったこともまた事実です。

現在、カシュガイ族やルリ族は現金収入になる現代ギャッベの製作に熱中するあまり、かつて遊牧民の絨毯としては高い品質を誇っていたギャッベではない絨毯さえも作らなくなってしまいました。実に悲しむべきことですが、アメリカン・サルーク(「上級編」を参照)の前例もありますから、これも時代の流れとして受け入れるしかないのかもしれません。

空前のギャッベ・ブームに沸く昨今です。それを受け、本来、遊牧民たちの実用品に過ぎないギャッベを、あたかも「芸術品」のごとくに装い法外な価格で販売する業者が後を絶ちません。そもそもギャッベとは、粗悪な絨毯を表す名称であることだけは理解しておくべきでしょう。

画像:伝統的なギャッベ

ネットオークションに出品されているペルシャ絨毯は本物ですか?

もちろん本物も出品されてはいるのですが、有名工房の作品の偽物や他産地で製作されたコピー品の他、ペルシャ絨毯ではないものがペルシャ絨毯として多数出品されているのが現状です。

ペルシャ絨毯でないものとしてはダブル・ノットのパキスタン絨毯やインド絨毯、カシミール・シルクや「高段数」とよばれる中国絨毯などがありますが、出品者がペルシャ絨毯の専門業者でない場合、彼ら自身が本物と思い込んでいることも少なくないようです。誰もが出品できるネットオークションゆえ、それはそれで仕方ないことなのですが、問題なのは明らかに専門業者とおぼしき一部の出品者たちが嘘を並べた商品説明で、詐欺まがいの行為をしていることでしょう。

その実情は目を覆うばかりで、「◯◯工房作」と書かれていてもそのほとんどは銘が後付けされた偽物。クム産やナイン産、カシャン産のコピー品も多く、それらは「最高級ペルシャ絨毯」「工房直接買付」「本物保証」などとタイトルされて出品されております。説明文には「世界に1枚」「時価◯百万円」「100年以上使えます」などと根拠のない文言が登場し、専門知識に乏しい入札者を引っかけようとしていることは明らかです。

『開運!なんでも鑑定団』でおなじみの中島誠之助氏は著書の中で、偽物を掴まされる条件として「これを買ったら儲かると思ったとき」というのをあげています。悪徳業者は購入者の欲に巧みにつけ込んできます。たとえば、即決価格が500万円の商品を50万円で落札したとしましょう。常識的に考えてみてください。即決価格、すなわち定価が500万円の商品を50万円で売る業者がいるでしょうか?もしいるとすれば、何か裏があることは明らかです。落札相場を調べれば、出品する商品がいくらほどで落札されるかは大方見当がつきます。業者ならば、その価格で利益をとれるものしか出品しないでしょうし、高額になればなるほど入札件数も少なくなることはわかっています。つまり、即決価格の500万円というのはあり得もしない出鱈目な価格。落札者自身が思うほど得をした訳ではないのです。

ネットオークションで「掘出し物」を見つけることは、プロでなければ困難です。入札するなら損得にとらわれず、出品物を気に入るかどうかを判断基準にしていただければと思います。

画像(上から)
・ダブル・ノットのパキスタン絨毯
・インド絨毯
・カシミール・シルク
・中国絨毯

以前買った工房品のペルシャ絨毯が偽物だといわれました。イラン人から購入したので、本物に間違いないはずなのですが……。

島国に生まれ育ち、外国人馴れしていない日本人は、無条件に外国人を信用してしまいがちだといわれます。海外において詐欺や盗難などの軽犯罪に巻き込まれる日本人旅行者が多いのは、その証左といえるでしょう。実はわが国でペルシャ絨毯の販売に携わっているイラン人やトルコ人のうち、出身国の絨毯バザールで修行を積んだ筋金入りのプロはほとんどいません。大半は来日後全く違う職業から転向された人たちです。もちろん真面目で勉強熱心な方もおられますが、「絨毯で一儲けしよう」といった安易な発想で転向した者もいて、彼らは絨毯についての知識もそれなりで勉強もしていませんから、騙す意図があったかどうかは別にして偽物を販売することはあり得ます。日本人業者でも怪しい商品を取扱っているところは多いので、日本人だから安全ということでもありません。日本人にせよ外国人にせよ人間の本質は同じですから、まずは何度かお店に通い、それが無理なら電話やメールでやり取りするなどして、人間性と絨毯についての造詣の深さを見極めた上で購入の決断を下されるのがよいと思います。
※偽物の見分けは「中級編」をご覧ください。

画像(上から)
・本物のセーラフィアン工房の銘
・偽物のセーラフィアン工房の銘
・本物のハビビアン(マフムード・レザー)工房の銘
・偽物のハビビアン工房の銘

あるお店で「半額」にするといわれているのですが、御社ではどれくらい値引してくれるのでしょうか?

聞くたびに悲しくなる言葉があります。それは「絨毯など値段があってないようなもの」。まず申しあげたいのは、半額に値引きした後の価格が本当に安いかどうかということ。法外な定価を設定しておき、極端な値引きによって購買意欲を煽るという商法が絨毯業界では当たり前になっているからです。90パーセント引きで販売したという話さえ耳にしました。これは「交渉によって価格が決まる」という中東式の商法に倣ったもの。あとになってから「騙された」とか「高く買わされた」とぼやく方がいらっしゃいますが、このルールに則れば、買った側はその商品に対して「支払った分だけの価値を認めた」ということになり、売った側は「騙した」「高く買わせた」という罪の意識を持つ必要はないのです。外国人経営者の多い業界だからなのでしょうが、この方式を商習慣の異なる日本国内に持ち込んでいることが業界がいまひとつ信用されない最大の要因だと私たちは考えております。手織絨毯は季節ものの衣料品でもなければ生鮮食料品でもありません。半額で叩き売らなければ買手がつかないようなものが、はたして本当に良い商品といえるでしょうか?完成されつくしたものは時代を超えて普遍であるはず。当社では「どこより価値ある品を、どこよりもお求めやすく、どこよりも真心を込めて」をモットーに最大限の企業努力をしています。よって大変申し訳ございませんが、お値引には対応できません。以上、なにとぞご理解いただけますようお願い申しあげます。

画像:絨毯バザールにおける価格交渉の様子

よくある質問 -中級編-

ペルシャ絨毯には有名産地で製作されたものとして出回っている他産地のコピー品があると聞いたのですが、どのようなものがあるのでしょうか?

まず、圧倒的に多いのが、クム産のシルク絨毯を真似て作ったザンジャン産やマラゲ産のもの。クムで使用されていた古い下絵を用いているため、現行のクム産ほどデザインは複雑でありません。廉価なコピー品ですから当然、品質は落ちますが、中には横糸にシルクを用いて製作されたものもあり、横糸に綿糸を使用した本物のクム・シルクよりもしなやかさだけは勝るので要注意です。銘が付されているものがほとんどですが、ザンジャンやマラゲに工房はなく、これらの銘はクムの有名工房の名を後から付け加えたものです。こうしたコピー品はすべてイラン北西部ならではのトルコ結びで製作されているため、ペルシャ結びで製作されたクム・シルクとは判別が容易でした。しかし最近のクムでは人件費を抑えるため、製作期間を短縮できるトルコ結びを用いる工房が増えているので厄介です。尚、クム・シルクのコピー品にはカシャンの銘を入れたもの(とくに多いのが、俗に「ホワイト・カシャン」とよばれるフィールドの地色が白いもの)も存在しますが、本物のカシャン・シルクはペルシャ結びで製作されているため、結びを見れば判別可能です。

尚、マラゲ産のパイルには絹糸ではなく「絹紡糸」が使用されていると言われています、絹紡糸はスパン・シルク、あるいはクズ・シルクとも呼ばれ、生糸を作る際にできた切れ端や生糸を取り終わった後の残り繭、品質の落ちる中級、下級繭などを綿(わた)状にして紡いだもの。「絹100%」には違いありませんが、絹ならではの光沢が少なく肌触りもよくありません。その分値段は安く、絹糸の半分以下で買えます。
同じく市場に溢れているのがタバスやカシュマールで製作されたナイン産のコピー品。1990年頃からナインでは「ノーラー」とよばれる9本撚りの綿糸を縦糸に使用した絨毯は製作されていないので、昔の在庫品以外はすべてコピー品です。ナイン産のノーラーには柄糸の一部にシルクが使用されていましたが、コピー品には綿糸が使用されたものもあります。ただし「一部絹」と説明する場合がほとんどですから、注意が必要です。これらのコピー品のパイルはやや長く、1cmほど。本物のノーラーはパイルが短く刈り込まれており5mm程度しかありません。加えてタバスでは、「シシラー」とよばれる6本撚りの綿糸を縦糸に使用したナイン産のコピー品も製作されています。こちらには柄糸の一部に綿だけでなく、ナイン産と同様にシルクを使用したものもあります。

タブリーズ産のコピー品としては「マヒ」とよばれるヘラティ文様の絨毯がホイで製作されています。現在50ラッジ以下のマヒ柄の絨毯はタブリーズでは製作されておらず、現在流通しているもののほとんどはホイ産です。また、「ナグシェ」とよばれる花柄の絨毯のコピー品がカシュマールで製作されています。何れも本物のタブリーズ産と比べるとややパイルが長いのが特徴です。

他には、カシャン産を模して製作されたアルダカン産やヤズド産。クム・ウールを模したシャーレザー(ゴムシェ)産などがあります。
これらはコピー品ではないのですが、ザンジャン産のウール絨毯(クム・シルクのコピー品とは全く異なる本来のザンジャン産です)を人気のビジャー産と表記したり、ごくありふれたケルマン産やビルジャンド産を、同じ地域の高級品であるラバー産やムード産として販売しているケースもよく見られますので気をつけてください。

画像(上から)
・クム・シルクをコピーしたザンジャン産
・クム・シルクをコピーしたマラゲ産
・ナイン産(ノーラー)をコピーしたタバス産
・ナイン産(ノーラー)をコピーしたカシュマール産
・タブリーズ産をコピーしたホイ産
・カシャン産をコピーしたアルダカン産
・カシャン産をコピーしたヤズド産
・ウム・ウールをコピーしたシャーレザー産

※他産地のコピー品の見分け方については当社Facebookをご覧ください。

ペルシャ結びで織られた絨毯と、トルコ結びで織られた絨毯はどうやって見分けるのでしょうか?

パイル面を上にして絨毯を横方向に山折りにしてください。パイルの根元に結び目が現れるはずです。この結び目が隙間なく並んでいればトルコ結び、結び目と結び目の間からパイルが出ていればペルシャ結びです。

画像(上):トルコ結び
画像(下):ペルシャ結び

ナインのハビビアン工房やクムの有名工房の作品には偽物が多いと聞いたのですが、本物と偽物の見分け方を教えてください。

本物と偽物とではデザインや色などにも相違があるのですが、それらから判断するのはプロでなければ難しいと思われますので、比較的簡単な見分け方をお教えします。

銘をよく見てください。銘に使用されている色が、銘の周囲と微妙に違っていないでしょうか?もし違っているならば後付け、つまり偽物である可能性が高いといえます。また、裏側から見たときに銘の部分だけ結びが乱れていたり、表側から触ると、そこだけ盛りあがっていたり凹んでいたりした場合も同様です。クム産やイスファハン産では絨毯本体のフリンジ側の余白が上下同じで、銘に窮屈さが感じられる場合も後付けの可能性があります。

尚、ハビビアン工房では「ノーラー」とよばれる9本撚りの綿糸を縦糸に使用した絨毯は製作されておりません。ハビビアン工房作のノーラーは、そのすべてが偽物です。

画像(上から)
・ハビビアン工房の銘が後付けされたナイン産(表)
・同上(裏)
・ラジャビアン工房の銘が後付けされたマラゲ産(表)
・同上(裏)

天然染料が使用されている絨毯と化学染料が使用されている絨毯の見分け方はありますか?

発色やアブラシュの現れ方で見分けますが、色がどぎつい昔のアニリン染料やアゾ染料と違い、現在主流となっているクローム染料の中には天然染料との見分けがつきにくい色もあり、判別は難しいのが実際。天然染料と化学染料が併用されていることも多く、こればかりは経験を積んで目を肥やすしかありません。

誤解してほしくないのは、必ずしも天然染料が化学染料に勝る訳ではないということ。化学染料の中でもクローム染料は直接染料であるアニリン染料やアゾ染料とは異なり、天然染料の多くと同じ媒染染料です。分子内の酸性基が媒染剤に含まれるクロームなどと錯体を作ることにより繊維と強く結合するため、褪色しにいのが特徴。さらに色数も豊富で、とても優れた染料なのです。

化学染料は科学の進歩という時代の流れの中で登場したもの。質の劣るアニリン染料やアゾ染料は論外ですが、良質なクローム染料をいたずらに蔑むのはいかがなものでしょうか。現代の手織絨毯に使われている糸は機械で紡いだ糸が大半ですので、クローム染料を否定するなら機械紡ぎの糸をも否定しなければならないでしょう。そうなれば選択肢は限りなく狭められてしまいます。

蔑まれるべきは、クローム染料が使用されている絨毯を草木染と偽わって販売する者の卑しさであって、クローム染料の存在そのものではないはずです。

画像(上):天然染料が使用されたカシャン産
画像(下):クローム染料が使用されたカシャン産

ペルシャ絨毯をテレビで見たように屋上に持ってゆき、デッキブラシで洗ったら、色が滲んでしまいました。なぜでしょうか?

テレビ番組で絨毯を洗っている場面をご覧になり、同じようにされる方が結構いらっしゃるのですが、絶対にやめてください。

色物を白物と一緒に洗濯すれば色が移りますが、これは色物に使用されている定着していない染料が流れ出るためです。絨毯のパイルは毛もしくは絹を染色したものですから、素材や染料による程度の差こそあれ、洗えば必ず色落ちします。絨毯は流水で洗うのが基本ですが、これは滲み出る染料を流し去るため。「ペルシャ絨毯は色落ちしない」などという説明は嘘だと思ってください。

それでは、なぜイランでできることが日本でできないかといえば、イランと日本とでは「気候」が全く違うからです。日差しが強く乾燥地帯であるイランでは、干した絨毯が乾くまで、さほど時間を要しません。しかし、湿気の多い日本では、絨毯が乾燥するまでに時間がかかりすぎ、色が滲んでしまう可能性が高くなってしまうのです。日本国内の手織絨毯メンテナンス業者は、現地から取り寄せた大きな脱水機を用いるなどして、この問題を解決しています。

画像:テヘラン郊外「アリーの泉」で絨毯を洗う人々

よくある質問 -上級編-

イスファハンのセーラフィアン工房について教えてください。

セーラフィアン工房は1939年にレザー・セーラフィアン(1881年ー1975年)によって開設された絨毯工房です。

「セーラフィアン」は金融業者を意味する姓で、もともと金融業者で成功していたレザーが絨毯作家としての道を歩み始めるのは、全くの偶然からでした。自宅にあった幾枚かの絨毯を買替える際、満足できる品が見つからなかったことから、彼は自身で絨毯を製作することを思い立ちます。借金を残したまま亡くなった絨毯職人の家族から製作途中の絨毯を引取り、それを仕上げたのが彼の最初の作品になりました。

続いてレザーは、一貫して自らプロデュースした絨毯を製作。メヒディ・ハギーギやアブドッラヒーム・シュレシらのデザインも手がけたアーマド・アルチャング(1914年ー1990年)にデザインを依頼し、天然染料のみによって染めあげられた最高級の素材と緻密な結びによって、類まれな作品を完成させます。渦巻き状のイスリム(蔓草)が優雅で躍動感あふれるその作品は、絨毯作家としての彼の存在を確固たるものにしました。初期の作品には銘が入れられていませんでしたが、やがて下方のキリムの部分に「バフテ(織)・イラン・イスファハン・セーラフィアン」と記した銘がイラン国旗とともに織り込まれるようになり、セーラフィアン・ブランドを確立することになります。

レザーにはモハンマド・レザー、モハンマド、サデク、アーマド、アリー、ホセイン、ハサンの7人の息子たちがいました。セーラフィアン・ブランドのもとでそれぞれが独自に絨毯製作を行っていましたが、とりわけ次男モハンマドと三男サデクの活躍が顕著です。

現在のグランドマスターであるモハンマド・セーラフィアン(1921ー)は父レザーとともに工房開設当初から絨毯製作に携わりました。絵画的デザインを得意としたホセイン・モサーベル・アルモルキに依頼した「ゴロ・ボルボル」(花と小夜鳴鳥)や「シェカールガー」(狩猟)などの名作を残しており、テヘランの絨毯博物館やニアバラン宮殿には彼の作品が収められています。また、モハンマドが国際連合に寄贈したサーディーの詩を織り込んだ25平米の大作が、ニューヨークの国際連合本部ビルに展示されています。晩年の作品には最上部に彼のフルネームが織り込まれ、巷に溢れる偽物への対応策がとられるようになりました。最近のモハンマドは慈善活動にも積極的で、1000人の学生を擁するモハンマド・セーラフィアン・カレッジを設立した他、「慈悲深き大学建設者会議」の議長として、イスファハン大学の新学部設立にも関わっています。

サデク・セーラフィアン(1922年ー2005年)は高校を卒業後、絨毯作家となりました。彼はデザイナーとしても才能があり、代表作「べへシュテ・セーラフィアン」(セーラフィアンの楽園)は彼がホセイン・モサーベル・アルモルキとともにデザインしたもの。他にも「ロゾ・シャクーフェ」(バラとブロッサム)、「ゴロ・パルバーネ」(花と蝶)など、自身で下絵を描いた作品を残しています。また、サデクは銘についてもセーラフィアン工房の銘に自身のフルネームを英文字で加えた独自のものを使用していました。

レザーには24人の孫がいるといわれていますが、孫たちの中ではモハンマドの息子のモジュタバ、バーゲル、メヒディ。アリーの息子のレザー、モハンマド・ホセイン。サデクの息子のキャリーム、アミールナセル、マフムーディ、モハンマド・メヒディが絨毯作家となりました。

孫たちの中ではモハンマド長男、モジュタバ・セーラフィアン(1946年ー)の評価が高いように思われます。彼はレザーの初孫でもあり、幼少期から祖父や父の背を見て育ちました。モジュタバは高校在学中、16歳で絨毯作家としての活動を開始したといわれます。イラン国立大学を卒業後、英国ケンブリッジ大学に1年間語学留学。帰国後、本格的に製作活動に入りました。アーマド・アルチャングやアクバル・ミナイアンらが遺した未完成の下絵を完成させ、それらをもとに極めて質の高い作品を製作していましたが、最近ではもっぱら一族が製作した絨毯の鑑定に勤しんでいるようです。尚、モジュタバ、バーゲン、メヒディの作品には父親に倣い彼らのフルネームが織り込まれています。

画像(上から)
・レザー・セーラフィアン
・アーマド・アルチャング
・モハンマド・セーラフィアン
・ホセイン・モサーベル・アルモルキ
・サデク・セーラフィアン
・レザーの作品(白鶴美術館蔵)
・ゴロ・ボルボル(イラン絨毯博物館蔵)
・べへシュテ・セーラフィアン(キャリーム・セーラフィアン蔵)

古いサルークには「フェラハン・サルーク」や「アメリカン・サルーク」、「マージュラン・サルーク」などがあるようですが、違いは何ですか?

「フェラハン・サルーク」は1890年頃から製作されたはじめた絨毯で、当時は「サルーク」とよばれていました。1875年頃から製作されていた「フェラハン」とは異なる絨毯です。タブリーズの絨毯職人の指導を受けて製作されたため、ノットはトルコ結び。太さの異なる2本の横糸を交互に掛けるダブル・ウェフトの構造です(フェラハンのノットはペルシャ結び、構造は横糸を1本だけ掛けるシングルウェフト)。濃紺もしくは生成りのフィールドに唐草模様をあしらったメダリオン・コーナーのデザインが多く、カシャン産などに比べると素朴さを残したやや稚拙な仕上がりが特徴。しかし、これがかえって人気をよび、価格が高騰したといわれています。フェラハン・サルークは第一次大戦の頃まで製作されたようです。

次に「アメリカン・サルーク」ですが、これはニューヨークに本社を置くK・S・タウシャンジャン社のS・ティリアキアンがデザインし、スルタナバード(現在のアラク)で製作したものが原形になっています。ローズ・レッドのフィールドにシダ状の植物文様を上下左右対称に配したデザインはペルシャ絨毯の伝統から逸脱したものですが、1920年代から30年代にかけて米国に大量に輸出され、一大ブームを巻き起こしました。その背景には、第一次大戦によって疲弊したドイツに代わる新たな輸出先を米国に見出したスルタナバードの絨毯商たちの積極的な生産活動があったようです。イランにおける絨毯産業の復興を牽引したタブリーズの絨毯商たちは革命的ともいえるアメリカン・サルークを嫌ったといわれますが、そのデザインは近くのカシャンやハマダンのみならず、遠く離れたマシャドやケルマンにまで伝播してゆきました。パイルには色褪せを防ぐために天然染料で染めた糸が使用され、ペルシャ結びで結ばれております。その鮮やかな配色から「ペインティング・サルーク」とよばれることもあります。

続いて「マージュラン・サルーク」。これはアメリカン・サルークと同じ時期、すなわち1920年代から30年代にかけて製作された絨毯で、アメリカン・サルーク同様、シダ状の植物文様を上下左右対称に配したデザイン。アメリカン・サルークに比べるとデザインはシンプルで、フィールドの地色にはローズ・レッドだけでなく濃紺を使用したものも多く見られます。マージュラン・サルークについては、アラク近郊にあったマージュラン村で製作されたとする説がありますが、真相は定かではありません。また、アメリカン・サルークの高級品だともいわれますが、ノットの数は変わりません。記録によると、当時はアメリカン・サルークと区別されていなかったようですから、その派生形とみるのが妥当でしょう。

画像(上から)
・フェラハン
・フェラハン・サルーク
・アメリカン・サルーク
・マージュラン・サルーク

イランに行ってペルシャ絨毯を買おうと考えているのですが、どうしたらよいものを安く買えますか?

業者ではない方でもペルシャ絨毯についての知識が豊富で現地の相場にも詳しく、なおかつペルシャ語に堪能というのなら可能性がない訳ではありませんが、とても難しいと思います。プロのバイヤー(イラン人バイヤーを含む)でさえ、バザール内の仲介者にコミッションを支払って買付けを行っているという現実を知っておいた方がよいでしょう。

テヘランのバザールを例にとると、通路は迷路のように入り組み、通路に接する「サライ」は地上3階から地下1階ほどあります。同じようなサライがいくつも連なるので、慣れないうちは自分がどこにいるのかさえわからなくなるほど。また、バザールの商人たちは外国人と見るや相場の何倍もの値をふっかけてくるので、価格交渉が不可欠となります。相手は世界一手強いといわれるペルシャ商人です。価格交渉に慣れていない日本人にまず勝ち目はありません。

面倒な駆引きをしないで購入したいのなら、テヘランの中心部、フェルドーシー通りにあるイラン絨毯公社(1934年に設立された商業省傘下の国営工房)の直営店に足を運ぶのも一考です。バザールでうまく値切るよりは割高になりますし選択肢も限られますが、正札販売をしているのでイラン人と同じ価格で購入できます。

画像(上):テヘランの絨毯バザール
画像(下):イラン絨毯公社直営店

イラン絨毯公社について教えてください。

イラン絨毯公社(以下ICCと呼称)は産業省の傘下にある国営絨毯工房です。1935年に設立され、当時イランで操業していた英国企業、オリエンタル・カーペット・マニファクチュアズ社(以下OCMと呼称)の工場を国有化し操業を始めました。OCMは1907年末から1908年頭にかけてジェームズ・ベイカーらの英国人により設立された絨毯メーカーで、設立時の名称はベイカーズ社。トルコのスマーナ(現在のイズミール)を拠点に英国に向けて絨毯を輸出していました。1911年にベイカーズ社は組織を改めOCM(本社ロンドン)となり、イランに進出。ハマダン、スルタナバード(現在のアラク)、ケルマンに絨毯工場を開設しました。その支配人となったのがペルシャ絨毯研究家として名を残したアーサー・セシル・エドワーズ(1881年-1953年)です。1934年、イラン政府はOCMやズィーグラー社など外資系絨毯工場の国有化を宣言。翌年にはICCが設立され、これらの工場を引き継ぐ形で1936年2月に操業を開始しました。テヘランに本部、各産地に支部を置いた他、1954年にはテヘラン郊外のキャラジに紡績・染色・洗浄のための自社工場が開設されています。ICCでは春先に採取した良質の羊毛(スプリング・ウール)を自社工場にて紡績したのち天然染料のみを用いて染色し、これを各産地に供給する方式を採用。よって、どの産地のものにも同じ色が用いられている点がICC作品の大きな特徴のひとつになっています。「村おこし」のために技術指導を行い新興産地をつくり出したことや、イランでは珍しい正札販売や割賦販売をとり入れ、庶民層へのペルシャ絨毯の浸透を推進したこともICCの功績と言ってよいでしょう。2007年にアブダビのシェイク・ザイード・グランド・モスクに納められた5,627平方メートル、重量47トンの世界最大の絨毯もICCが製作したものです。最盛期には2万人の織子が在籍していたICCですが、現在は2,000人にまで減少。生産量の不足を補うため2005年頃からは民間業者の納入を受け入れ、かつてのI純血性は薄れています。ちなみにICC以外の国営絨毯工房としては、農業聖戦省に属する「手織絨毯生産組合」(ジハード工房)があります。イスラム革命後の1985年に設立され、革命により投資家を失った絨毯産業の保護と雇用の維持を目的として絨毯製作を行っています。87年には販売部門である手織絨毯販売組合も設立されました。

画像(上から)
・OCMの株券
・スマーナのOCM
・OCMの工場
・テヘランのICC本部兼直営店
・ICCの社章
・ICCの銘
・世界最大の絨毯

トルクメン絨毯のギュルには様々なデザインがありますが、その見分け方について教えてください。

今日、トルコマン絨毯に使用されるギュルには数十もの種類があるといわれますが、その中で代表的なものについて解説します。

テッケ・ギュル(ギュシュリー・ギュル、ゴリー・ギュル)
トルクメンの最大勢力であり、トルクメニスタン南部を主なテリトリーとするテッケ族のギュル。ギュシュリー・ギュルあるいはゴリー・ギュルとよばれるギュルのひとつですが、ギュシュリー・ギュルは「ギュシュル」(鳥)に、ゴリー・ギュルは「ゴル」(花)に由来する名です。この種のギュルの中ではもっとも男性的で、ギュルを4分割する黒い縦横線が通っているのが特徴。テッケ・ギュルはイランやパキスタン、ウズベキスタンで産出される絨毯にも多く用いられていますが、よく聞く「象の足」を形どったという話は全くの事実無根です。

サリク・ギュル(ギュシュリー・ギュル、ゴリー・ギュル)
トルクメニスタン南東部を主なテリトリーとするサリク族が用いるギュル。テッケ・ギュルに似ていますが、中心を縦横断する黒線がなく、全体的にややマイルドな雰囲気です。こちらもゴリー・ギュルあるいはギュシュリー・ギュルに分類されるギュルのひとつ。

エルサリ・ギュル(ギュシュリー・ギュル、ゴリー・ギュル)トルクメニスタン東部を主なテリトリーとするエルサリ族が用いるギュルのひとつで、いくつかの派生形があります。ゴリー・ギュルあるいはギュシュリーのギュルの中ではもっとも垢抜けた印象。アフガニスタン北部のアンドホイ周辺で製作されるエルサリ族の絨毯には、テッケ・ギュルを簡素化したようなギュルも見られます。エルサリ族はテッケ族に次ぐトルクメン第二の勢力。

タウク・ナスカ・ギュル
トルクメニスタン北部を主なテリトリーとするチョドル族の紋章で、タウク・ナスカは「鶏文様」の意。ギュルの中心を囲む文様が鶏に似ているとしてそう呼称されますが、鶏というより馬やロバのような四つ足の動物に見えます。エルサリ、ヨムート、チョドル、アラバチのトルクメン各部族の他、ウズベキスタンやカラカルパクスタンで産出される絨毯にも使用されています。

オムルガ・ギュル
サリク族の他、エルサリ族もこれを用いています。エルサリ・ギュルやタウク・ナスカ・ギュルに似ていますが、中に配されているのがリーフになっているのが特徴。

サロール・ギュル(マリー・ギュル)
サリク族が用いるギュルの中では、もっとも多く目にするのがこれ。「サロール」はトルクメニスタン東部をテリトリーとし、かつてはトルクメンの一大勢力であったサロール族に由来するもの。1832年にカジャール朝ペルシャとの戦いに敗れたサロール族は、その後テッケ族やサリク族との領地争いにも敗れ弱体化しました。サリク族のテリトリーであるアフガニスタン南東部で最大の町マリーの名をとり、マリー・ギュルとよばれることもあります。

ジュヴァル・ギュル
ジュヴァルは寝具や衣類などを収める大きな袋のこと。ジュヴァル・ギュルはジュヴァルだけでなく、サリク族やヨムート族のメインラグの他、アフガニスタンのマウリ族が製作する絨毯やパキスタンやインド北部で産出される絨毯にも用いられています。

ハルチャンギ・ギュル
エルサリ族の支族であるキジル・アヤク族が用いるギュルのひとつ。ハルチャンギは「蟹」の意ですが、それに似ていることから付せられた名で、蟹を意匠化したものではありません。キジル・アヤク族の名は「赤い頭」を意味し、かつて彼らが着用していた赤いターバンに由来するもの。同じくエルサリ族の支族であるベシル族とともに、アム・ダリア中流域をテリトリーにしています。

エルトマン・ギュル
チョドル族の他、エルサリ族の支族であるキジル・アヤク族やチョボシュ族が用いるギュル。「エルトマン」はドイツ系に多い人名ですが、その由来については明らかではありません。

ヨムート・ギュル(イーグル・ギュル)
トルクメニスタン北部から西部にかけてを主なテリトリーとするトルクメン第三の勢力、ヨムート族が用いるギュルのひとつ。鷲が羽を広げたように見えることからイーグル・ギュルともよばれます。

ケプセ・ギュル
ヨムート族が用いるギュルのひとつ。ヨムート・ギュル、ディルナク・ギュルと並び、ヨムート族の絨毯には見かける機会が多いギュルです。

Cギュル
ヨムート族が用いるギュルのひとつ。「C」の形をした文様が配されていることから、Cギュルと俗称されます。

セラーテッド・ロゼット・ギュル
ヨムート族が用いるギュルのひとつで、ケプセ・ギュルとCギュルとを組み合わせたようなデザイン。ロゼットは花の正面形を図案化したものですが、セラーテッド・ロゼットとは「ノコギリ状のロゼット」のことです。

ディルナク・ギュル
ヨムート族が用いるギュルのひとつですが、エルサリ族の一部もこれを用いています。鉤状の飾りが付いた菱形は「蠍」を意匠化したとする説があるものの、確証はありません。

ギュルはトルクメン各部族の紋章で、トルクメニスタンの国旗には主要5部族のギュルが描かれています。

画像(上から)
・テッケ・ギュル
・サリク・ギュル
・エルサリ・ギュル
・タウク・ナスカ・ギュル
・オムルガ・ギュル
・サロール・ギュル
・マウリ・ギュル
・ハルチャンギ・ギュル
・エルトマン・ギュル
・ヨムート・ギュル
・ケプセ・ギュル
・Cギュル
・セラーテッド・ロゼット・ギュル
・ディルナク・ギュル

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