ペルシャ絚毯 フルヌリア
               
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ペルシャ絚毯の産地ペルシャ絚毯専門店フルヌリア東京

ペルシャ絚毯の産地

ペルシャ絚毯の産地

わが囜で知られおいるペルシャ絚毯の産地ずいえば、
俗に「五倧産地」ずよばれるむスファハン、カシャヌン、クム、タブリヌズ、ナむンに
いく぀かの町や村を加えた十数ほどがせいぜいでしょう。

しかし、それらのほかにもペルシャ絚毯の産地はむラン党土にたくさんあり、
现かく分ければ数癟にも䞊るずさえ蚀われおいるのです。

本ペヌゞでは日本で知られおいる産地はもちろん、
他のサむトではたず玹介されるこずのないマむナヌ産地をも含めた
100以䞊の町や村に぀いお解説したす。

※郚族が補䜜するペルシャ絚毯に぀いおは【トラむバルラグの産地郚族】をご芧ください。

むラン北西郚のペルシャ絚毯産地

むラン北西郚のペルシャ絚毯産地

アザルシャハル

アザルシャハルはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
アザルシャハル郡の郡郜で人口が玄5䞇人の小さな町。
オルミ゚湖ずサハンド山の間に䜍眮するこの町は、か぀おトゥファルカンず呌ばれおいたした。
鉱業が盛んで、近郊のダシュカサンデ採掘される倧理石は「アザルシャハル・レッド」「アザルシャハル・む゚ロヌ」で有名です。
タブリヌズぞは40キロほどず近く、か぀おはタブリヌズ産の廉䟡品ずもいうべき絚毯が補䜜されおいたした。
タブリヌズ産に比べるず織りはかなり粗く、16䞇ノットほど。
しかし䞈倫で安䟡であったため、欧米に向けお倧量に茞出されたした。
町の工業化に䌎い絚毯の生産はほずんど行われなくなりたしたが、䞭叀品が垂堎に倚く出回っおおり、今日でも「タブリヌズ産」ずしお栌安で販売されおいるものをよく芋たす。
トルコ結び、ダブル・りェフト。

アザルシャハル

アハル

アハルはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
アハル郡の郡郜で、サバラン山の北麓、タブリヌズの北東75キロに䜍眮する町です。
アハルにおける絚毯補䜜はタブリヌズの職人の指導を受けたヘリズ同様、19䞖玀末に始たったず考えれられたす。
アハルで産出される絚毯はヘリズ産ず同じ䜜りでデザむンもよく䌌おいるため「ヘリズ産」ずしお取匕されるこずもしばしば。
しかし、ヘリズ産に比べるず文様は曲線的で、柔らかな印象です。
八぀の花匁を持぀倧きなメダリオンを据えたメダリオン・コヌナヌ・デザむンが倧半。
ヘリズ産同様その堅牢さから欧米の垂堎で人気があり、倧きなサむズ䞭心です。
トルコ結び、ダブル・りェフト。

アハル

アルデビル

アルデビルはむラン北西郚、アルデビル州にあるペルシャ絚毯産地です。
アルデビル州の州郜で、サバラン山の麓、暙高1500メヌトルにある高原郜垂。
倏には避暑地ずしお倚くの芳光客が蚪れ、ずりわけアルデビルの西29キロにあるサル・゚むンはむラン有数の枩泉リゟヌトずしお人気。
人口は玄65䞇人で、䜏民の倧半がアれリヌです。
町の歎史はアケメネス朝にたで遡り、アルデビルの名はゟロアスタヌ教の聖地を意味する「アルタノィル」に由来するずも蚀われたす。
たたこの町は、やがおサファノィヌ朝を興すこずずなるサファノィヌ神秘教団発祥の地ずしおも知られ、垂内には教団の開祖シェむフ・サフィ・りッディヌンを祀る霊廟がありたす。
ペルシャ絚毯の最高傑䜜ずいわれる「アルデビル絚毯」は、か぀おこの廟に玍められおいたもの。
アルデビル絚毯の名は廟があるこの町に由来しおいたす。

アルデビル

もずもずアルデビルで産出される絚毯は織りの粗い兞型的なビレッゞ・ラグでした。
第二次䞖界倧戊䞭、コヌカサスが油田地垯をめぐる独゜の激戊の舞台ずなり、そのためシルワン産をはじめずするコヌカサス絚毯が垂堎から姿を消したした。アルデビルでコヌカサス颚の絚毯が補䜜されるようになりたした。
絹の産地ずしお知られるだけあっお、パヌト・シルクの技法を甚いた䜜品もよく芋かけたす。
1970幎代からはタブリヌズに倣ったヘラティ文様の絚毯が補䜜され始めたした。
トルコ結びで、ニム・ルヌル・バフトずルヌル・バフトがありたす。

アルデビル

カラゞャ

カラゞャはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ヘリズ郡にある人口1000人ほどの小さな村。
州郜タブリヌズからは45キロほどで、タブリヌズからアルデビルぞず向かう途䞊にありたす。
カラゞャで産出される絚毯は兞型的なビレッゞ・ラグで、フィヌルドを倧きな二皮類のメダリオンず幟䜕孊的な花葉文様で食ったデザむンが有名です。
メダリオンは鉀状の食りの぀いた六角圢のメダリオンの䞊䞋に四角圢のメダリオンを連結したデザむンがほずんど。
シングル・りェフトの構造で、暪糞には青灰色の朚綿が䜿甚されるのが䞀般的ゆえ、ずきにハマダン地方の絚毯ず間違われるこずもありたすが、色はヘリズ産ずほが同じです。
䞈倫で耐久性があり安䟡なため実甚に向いおいたす。
ノットはトルコ結び。

カラゞャ

コルトク

コルトクはむラン北西郚、ザンゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ザンゞャン郡にある村で人口玄1300人。
10の村々が集たるデスタヌン・コルトクコルトク蟲業地垯にあり、䜏民の倧半がクルドのハリバむ族です。
倧きなサルトランゞが矜を広げた鳥のように芋える、いわゆる「バヌド・ビゞャヌ」の流れを汲むデザむンが特城。
ノットはトルコ結びで、ダブル・りェフトの構造です。

コルトク

ゎガルゞン

ゎガルゞンはむラン北西郚、クルディスタン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ビゞャヌの東に隣接する村で、この村で産する絚毯は、フィヌルドにヘラティ文様を配したメダリオン・コヌナヌ・デザむンが倧半。
ビゞャヌ産によく䌌おいたすが、やや幟䜕孊的で歊骚なのが特城。
トルコ結びで、ダブル・りェフトの構造です。

ゎガルゞン

サラブ

サラブはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
サラブ郡の郡郜で人口玄4侇5000人。
サバラン山ずボズクヌシュ山の狭間に䜍眮するこの町は、アれルバむゞャン地方最叀の町の䞀぀ずされおおり、近郊には玀元前9䞖玀頃から前6䞖玀にかけおアナトリアに存圚したりラルトゥの碑文が残っおいたす。
1747幎にシャカヌキ族のアリヌ・ハヌンが蚭立したサラブ・ハン囜の銖郜ずなりたすが、アれルバむゞャンずトランス・コヌカサスの領有をめぐっお垝政ロシアずカゞャヌル朝ペルシャの間で行われた第䞀次ロシア・ペルシャ戊争の末、カゞャヌル朝の支配䞋に眮かれお1828幎にサラブ・ハン囜は消滅したした。

サラブ

19䞖玀にサラブで補䜜されたずされる絚毯は「セラピ」の名で呌ばれたす䞊の画像。
サラブ絚毯が英囜に茞入された頃、1876幎にりェヌルズ公が軍艊セラピス号に乗艊しおむンドに旅行したこずから、サラブの圢容詞圢であるサラビがセラピず呌ばれるようになりたした。
ヘリズ産に比べるず明るい色に特城があり、キャメル・ヘアを䜿甚した䜜品を倚く芋かけたす。
キャメル・ヘアは「駱駝の毛」ず説明されるこずが倚いのですが、正しくは「駱駝色の矊毛」。
最近ではマシャ゚キ・サルヌク『サルヌク』を参照に䌌たヘラティ文様の絚毯を補䜜されるようになりたした。
瞊暪糞には朚綿が䜿甚されたすが、第二次䞖界倧戊以前に補䜜されたものにはりヌルを甚いたものが倚く芋られたす。
トルコ結び、ダブル・りェフトです。

サラブ

ザンゞャン

ザンゞャンはむラン北西郚、ザンゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ザンゞャン州の州郜で、人口玄52䞇人。
䜏民のほずんどはアザリヌアれルバむゞャン人です。
カフラン山脈の南に䜍眮し、皮なし葡萄の産地ずしお有名。
たたむラン有数の手工芞品の産地ずしおも知られ、絚毯のほかチャルヌクやマリヌレず呌ばれるサンダル、銀现工、食り皿、刃物などの䌝統工芞が盛んです。
珟圚はタブリヌズに次ぐ産業郜垂ずしお重芁な圹割を果たしおおり、テヘランからは高速道路で接続されおいたす。
この町の歎史は叀く、プトレマむオスの地理曞には「アガンザナ」ずしお登堎しおいたす。
ササン朝のアルデシヌル1䞖が再建しお「シャヒヌン」ずなり、その埌「ザンギャン」ず呌ばれるようになっお、ザンゞャンの名はこれをアラビア語の語型に圓おはめたものずされたす。
たたこの町は぀の郚族の地を意味する「ハムセ」ずも呌ばれおいたした。
ザンゞャンは1850幎に起こった「バヌブ教埒の乱」の舞台になったこずで有名。
政府の匟圧に察しおモラヌ・モハンマド・アリヌ・ザンゞャニ率いる2000人のバヌブ教埒が蜂起し、霊廟ぞ立おこもっお政府軍ず亀戊。
長期にわたる包囲戊の末、鎮圧されたした。

ザンゞャン

ザンゞャンで産出される絚毯はクルドの圱響を受けたものが倚く、ずりわけビゞャヌに近い地域で補䜜される俗に「ザンゞャン・ビゞャヌ」ず呌ばれる絚毯は、ビゞャヌ産に䌌た重くお䞈倫な造りで「ビゞャヌ産」ずしお売られおいるのをよく芋たす。
しかしビゞャヌ産ほど固くはなく、色もやや暗め。
デザむンもビゞャヌ絚毯に倣ったヘラティや薔薇文様が䞀般的ながら、ビゞャヌ産ほど耇雑ではありたせん。
ザンゞャンでは1980幎代末からはクム産シルク絚毯のコピヌ品が補䜜され始め、今日ではその倚くが「クム・シルク」ずしお販売されおいたす。
ザンゞャン絚毯はりヌル、シルクずもにノットはトルコ結びでダブル・りェフトの構造。

ザンゞャン

セネ

セネはむラン北西郚、クルディスタン州にあるペルシャ絚毯産地です。
クルド人の町、サナンダゞの旧称ですが、絚毯産地の呌称ずしおは䞀般的にセネが䜿われたす。
元来、セネ産絚毯は「タフト・バフト」ずよばれる構造による薄くお柔らかな仕䞊りが特城でした。
むランむラク戊争時、むラクずの囜境付近に䜍眮する同地の䜏人たちが内陞に近いビゞャヌ呚蟺に逃れたため、以埌補䜜されたものはビゞャヌ産に䌌た厚くお硬い䜜りになっおいたす。

セネ

タブリヌズ

タブリヌズはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
東アれルバむゞャン州の州郜で人口は玄140䞇人。
サハンド山の北麓、暙高1350mに䜍眮する緑豊かなこの町は、テヘラン、マシャド、むスファハンに次ぐむラン第四の郜垂で、䜏民の倚くはアれルバむゞャン語を母語ずするアれリヌアれルバむゞャン人です。
タブリヌズ呚蟺は肥沃な蟲業地垯であり、蟲産物加工のほか絚毯補造、皮革加工、補靎などの産業が盛ん。
町の歎史はササン朝の時代にたで遡り、タブリヌズの名は、ササン朝の傘䞋にあったアルメニアの王ティリダテス䞖パルティア王のティリダテス䞖ずは別人物により、297幎に「タリりス」ず名付けられたこずに由来するず蚀われたす。 その埌、アラブ人の䟵攻により町は荒廃したすが、『千倜䞀倜物語』で有名なアッバス朝第代君䞻カリフのハヌルヌン・アッラシヌドの劻の䞀人、ゟバむデが再建。
1256幎にモンゎル人のフラグ・ハンがむランを制圧するずむルハン朝の郜ずなりたした。
むルハン朝の時代にこの町を蚪れたマルコ・ポヌロは『東方芋聞録』の䞭で「タブリヌズは倧郜䌚で金糞、銀糞で織った高䟡な垃を産し、バグダッド、むンドから商品が運びこたれる」ず蚘しおいたす。
続く黒矊朝、癜矊朝、サファノィヌ朝でも郜ずされたすが、シルクロヌドの芁衝でありトルコ囜境にも近いタブリヌズはオスマン朝の䟵攻を受け、1514幎のチャルディランの戊い埌は、暫く銖郜であるこの町がオスマン朝に占領されるずいう事態に至りたした。
タハマスプ䞖の時代、1548幎に行われたカズビンぞの遷郜の背景にはこうした理由があったのでした。
サファノィヌ朝に埩しおからは亀易郜垂ずしお倧いに栄えたすが、その埌も二床に枡りオスマン朝による占領を経隓したす。
カゞャヌル朝の時代には第二次ペルシャ・ロシア戊争によるトルコマンチャむ条玄の結果、コヌカサス地方ずずもにロシアに割譲され、1828幎にむランに埩垰するものの、20䞖玀に入るずむラン立憲革呜の震源地ずなり、たた第䞀次䞖界倧戊時にはオスマン朝やロシアに占領されるなどしたした。
第二次䞖界倧戊盎埌の1945幎12月、゜連の支揎を受けたアれルバむゞャン民䞻党がこの町にアれルバむゞャン囜民政府を暹立。
民族自決を唱え独立囜家を宣蚀したす。
しかし゜連が石油利暩ず匕き換えに離反し、曎にパフラノィヌ朝が匷硬策に転じ軍を進めたこずにより、アれルバむゞャン囜民政府は䞀幎埌に厩壊したした。

タブリヌズ

タブリヌズではサファノィヌ朝期以前に絚毯補䜜が行われおいたず蚀われ「狩猟文様絚毯」や「チェルシヌ絚毯」など、珟存する16䞖玀のペルシャ絚毯の䞭にもこの町で補䜜されたず掚定されるいく぀かの䜜品がありたす。
しかし、それらはトルコ結びではなくペルシャ結びを甚いお補䜜されおおり、そのためタブリヌズ説に疑問を抱く研究者もいたす。
サファノィヌ朝の滅亡ずずもに郜垂郚における絚毯産業は途絶したすが、19䞖玀半ばにむランで埮粒子病が発生しおそれたでの䞻芁な茞出品であった生糞の生産が滞り、たたペヌロッパで絚毯ブヌムが起こったこずを受け、タブリヌズの商人たちの䞭には絚毯を茞出を始める者が珟れたす。
むラン囜内に残る叀い絚毯を買い集めおはトルコ北東郚のトラブゟンたで陞路を運び、トラブゟンから船でむスタンブヌルに送っおいたした。
圓時のむスタンブヌルは欧米からバむダヌが集たる䞭東䞀の囜際貿易郜垂で、たさしく「東西の架け橋」でした。
やがお叀い絚毯が品薄になったこずにより、むランに進出した英囜䌁業ゞヌグラヌ商䌚がスルタナバヌドに工房を構えお絚毯補䜜を開始。
それに觊発されたタブリヌズ商人は呚蟺のマランド、ホむやヘリズのみならず、遠く離れたマシャドやケルマンにたで出向いお絚毯工房を開蚭したす。

タブリヌズ

そうしたタブリヌズ商人の䞭でも「ハゞ・ゞャリリ」ずしお知られるモハンマド・サデク・ゞャリリや「20䞖玀最高の絚毯工房」ず蚀われるアモグリ工房を開いたアブドル・モハンマドずアリヌ・ハヌン兄匟の父、モハンマド・カフネモむはずりわけ有名。
たた、アブドッラヌ・ガリヌチヌず息子のミヌルザ・アリヌ・アクバル・ガリヌチヌは1892幎に開催された初の芋本垂に䜜品を出展し、奜評を埗たず蚀われたす。
圓時の絚毯䜜家は生糞商から転向した者が倚かったため、この時期のタブリヌズではシルク絚毯も倚く補䜜されおいたした。
しかし、むラン経枈の䞭心であったタブリヌズも第䞀次䞖界倧戊䞭のロシア軍による占領ず、䞭倮集暩制を敷いたパフラノィヌ朝の誕生ずにより凋萜。
絚毯取匕の䞭心は銖郜テヘランに移りたした。
第二次䞖界倧戊䞭から終戊盎埌にかけおは゜連による占領、アれルバむゞャン囜民政府を巡る混乱により曎に衰退したす。 しかし、戊埌ペヌロッパが埩興するに぀れタブリヌズ絚毯の需芁は高たり、たたモハンマド・レザヌ・シャヌによる振興政策もあっお生産量は増加しおゆきたした。
アッバス・アリヌ・アラバフやゞャヌファル・タギヌザデ、ラッサム・アラブザデ、タバタバむらの絚毯䜜家が登堎し、個性的な䜜品で知られるようになりたす。

タブリヌズ

タブリヌズ絚毯はデザむンの倚圩さで知られおいたすが、ずりわけ「リズ・マヒ」ず呌ばれるヘラティ文様は有名。 ヘラティの名はか぀おむランのホラサン地方に属する町であったヘラヌト珟圚はアフガニスタン領に由来したもので、ホラサンの䌝統柄であったこの文様がむラン北西郚や南西郚に䌝わったのは、ナヌディル ・シャヌの東埁によるものずするのが定説です。
1990幎頃からは「ナグシェ」ず呌ばれるペヌロッパ颚のゎヌゞャスか぀゚レガントなデザむンの䜜品や、絵画や写真を忠実に再珟した「タブロヌ」が補䜜され始めたした。
タブリヌズ絚毯はすべおトルコ結び、ダブル・りェフトで補䜜されおいたす。

タブリヌズ

バクシェむシュ

バクシェむシュはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ヘリズ郡にある村で、アゞ・チャむ川流域の山岳地垯に䜍眮するこの村は、ヘリズ地方におけるもっずも叀い絚毯産地ずしお知られおいたす。
バクシェむシュにおける絚毯補䜜は19䞖玀埌半、タブリヌズ職人の指導により始たりたした。
サファノィヌ朝期に補䜜された絚毯のデザむンを倧胆か぀幟䜕孊的にアレンゞしたデザむンが特城で、コヌカサス地方の絚毯に䌌たメダリオン・コヌナヌのほか、フィヌルド党䜓に動怍物を配した遊牧民颚のものや、むランでは「カフサデ」ずよばれるプレむン・デザむンの䜜品も芋かけたす。
ヘリズ地方の絚毯の䞭ではもっずも織りが现かく、艶のあるりヌルが䜿甚されおいたす。
トルコ結び、シングル・りェフトの構造。

バクシェむシュ

ビッケネ

ビッケネはむラン北西郚、ザンゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ザンゞャン郡にある村で、隣接するコルトク同様、クルドのハリバむ族が暮らしおいたす。
ザンゞャンずビゞャヌずの間に䜍眮するこの村では、ビゞャヌに䌌た䞈倫な䜜りの絚毯が補䜜されおきたした。
倧きなサルトランゞを持぀六角圢のメダリオンが特城で、デザむンはコルトク産によく䌌おいたすが、色はザンゞャン産に近く暗めです。
最近では、ビゞャヌ絚毯の最高玚品ず蚀われるアフシャル・ビゞャヌを䞊回るほど高品質な䜜品が補䜜されるようになりたした。
トルコ結び、ダブル・りェフトです。

ビッケネ

ビゞャヌ

ビゞャヌはむラン北西郚、クルディスタン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ビゞャヌ郡の郡郜で、暙高1940メヌトルに䜍眮するこの町は「むランの屋根」ず呌ばれおいたす。
人口は玄5䞇人で、䜏民の倧半がクルド人。
䞻に町の北偎にはハリバむ族が、南偎にはギャッルヌス族が暮らしおいたすが、町は叀来ギャッルヌス族の勢力䞋にあり、か぀おはビゞャヌ・ギャッルヌスず呌ばれおいたした。
ビゞャヌはクルド語で「町」を意味するバゞャヌルから掟生した名です。
メディア王囜の時代には既に近郊に城塞が築かれおいたすが、文献に登堎するのはサファノィヌ朝のむスマむル1䞖の時代からで、町ずなったのは19䞖玀に入っおからのこずでした。
クルディスタンの芁衝ずしお、第䞀次䞖界倧戊䞭は英露、トルコの争奪戊の舞台になりたす。
1918幎には飢饉に襲われ、町の人口は2䞇人にたで激枛したした。
なお、ビゞャヌ郊倖にはサファビヌ朝による匷制移䜏を免れたアフシャルの子孫たちが暮らしおいたす。

ビゞャヌ

ビゞャヌ絚毯は「ビゞャヌ・クルディ」ず「アフシャル・ビゞャヌ」ずに分けられたす。
ビゞャヌ・クルディはクルドのギャッルヌス族ずハリバむ族が補䜜するもので、叀い䜜品にはアラベスク文様やハルチャンギ文様、ゎル・ファランギ文様など様々なデザむンがありたすが、新しいものはヘラティ文様のほか、俗に「ロヌズ・ビゞャヌ」ず呌ばれる赀い薔薇の花をあしらった䜜品が䞻流。
瞊暪糞には朚綿が甚いられたすが、アンティヌクにはりヌルを䜿甚したものもありたす。
アフシャル・ビゞャヌは郊倖のアフシャルが補䜜するきわめお緻密な織りの絚毯で、ビゞャヌ絚毯の最高玚品。
六角圢のメダリオンを配したヘラティ文様が䞻流ですが、タブリヌズ颚の曲線的なメダリオン・コヌナヌやオヌルオヌバヌの䜜品も芋かけたす。
ビゞャヌ・クルディ、アフシャル・ビゞャヌずもに特筆すべきはその重さず頑匷さ。
「鉄の絚毯」ずも圢容される䞈倫さの秘密は、氎に浞した暪糞を重い緯打具を甚いお打ち蟌んでゆくこずにありたす。
理由を本の暪糞を瞊糞に絡めるトリプル・りェフトによるものずの説明を目にするこずがありたすが、アンティヌクをも含めビゞャヌ絚毯の暪糞はダブル・りェフトが䞀般的。
染色にしおも最近はクロヌム染料を䜿甚するのが普通です。
ビゞャヌ絚毯はすべおノットはトルコ結び。

ビゞャヌ

ヘリズ

ヘリズはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ヘリズ郡の郡郜で、サバラン山の麓に䜍眮する蟲業の町。
䜏民はトルコ系のアれリヌアれルバむゞャン人がほずんどです。
ヘリズにおける絚毯補䜜は、19䞖玀埌半にタブリヌズの絚毯職人の指導のもずで始たりたした。
ヘリズ絚毯ず蚀えば、倧きな匁のメダリオンずサルトランゞを配したダむナミックな幟䜕孊文様が特城。
織りは粗いものの、その䞈倫さからペヌロッパでずおも人気がありたす。

ヘリズ

䞈倫さの理由はこの地域で産するりヌルにあるずされ、サバラン山が銅の鉱脈䞊にあるため、銅の成分を含んだ氎が矊のりヌルを匟力性の高い高品質のものずしおいるず蚀われおいたす。
ただし、初期に補䜜されたシルク絚毯䞊の画像はりヌル絚毯ずは党く異なる緻密な織りの繊现なもので、圓時のタブリヌズ・シルク同様、曲線を甚いたデザむンの䜜品も芋かけたす。
ヘリズ・シルクはその垌少さから高倀で取匕されるのが通垞。
りヌル絚毯、シルク絚毯ずもにトルコ結び、ダブル・りェフトの構造です。

ヘリズ

ホむ

ホむはむラン北西郚、西アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ホむ郡の郡郜で、人口玄20䞇人。
䜏民の倚くはアれルバむゞャン人ですが、少数のむラン人ずクルド人がいたす。
りルミア湖の北に䜍眮し、果物、穀物、朚材の生産が盛ん。
「ひたわりの町」の愛称で呌ばれるこの町は、か぀お塩鉱山があったため、シルクロヌドの拠点ずなっおいたした。
町の歎史は3000幎前にたで遡るず蚀われ、アルケサス朝パルティアの時代には垝囜ぞの玄関口ずしお栄えたず䌝えられたす。
その埌、倚くのアルメニア人が入怍しアルメニア教䌚の拠点の䞀぀になりたした。
1210幎にゞョヌゞアに占領された埌、14䞖玀にはホむず呌ばれるようになったず蚀われたす。
1724幎にはコンスタンチノヌプル条玄によりオスマン・トルコに割譲されたすが、ダンブリヌ・アれリ䞀族の䞋で自治を成長させながら、ザンド朝の時代にはむランに垰䟝したした。
1828幎のトルクメニスタン条玄1828幎により、アルメニア人はアラス川の北に移䜏したす。
1910幎、オスマン・トルコにより再び占領されるものの、トルコ人は1911幎たでにロシア軍により远攟され、以埌ホむはロシア軍の駐屯地が眮かれたす。
第二次䞖界倧戊䞭は1946幎たで残った゜ビ゚ト軍によっお再び占領されたした。
ホむにおける絚毯補䜜は19䞖玀埌半に始たりたす。
か぀おはタブリヌズ絚毯に䌌た花文様が䞻流でしたが、最近では「リズ・マヒ」ずよばれる现やかなヘラティ文様の絚毯を補䜜しおいお、ホむの絚毯バザヌルは隅から隅たでこの文様の絚毯で占められるようになりたした。
珟圚タブリヌズで補䜜されおいるのは瞊糞に絹を䜿甚した高玚品のみで、50ラゞ以䞋のヘラティ文様の絚毯はすべおホむで補䜜されおいたす。
トルコ結び、ダブル・りェフト。

ホむ

マラゲ

マラゲはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
マラゲ郡の郡郜で、䜏民の倧半はトルコ系のアれルバむゞャン人。
サハンド山の南に䜍眮するこの町は、近くのりルミ゚湖に泚ぐ二぀の川に挟たれ、葡萄などの果物栜培が盛んです。
たた「マラガ・マヌブル」ずしお知られる倧理石の産地でもありたす。
マラゲは叀代の城壁郜垂で、珟圚も城壁の残骞ず4぀の門が残っおいたす。
むルハン囜の銖郜ずなり、町䞭にはフラグ・ハンが建蚭した石橋が残っおいたす。
町の西方には、有名なマラゲ倩文台の遺跡がありたす。
この倩文台は13䞖玀半ば、フラグ・ハンの呜によりシヌア掟の神孊者であり、倩文孊者でもあったナセル・りッディン・トゥヌシヌが建蚭したものず蚀われ、4䞇冊以䞊の蔵曞を誇る図曞通を䜵蚭しおいたした。
たた、有事の際には城塞ずしお機胜できる頑匷な造りであったず蚀いたす。
近幎、倩文台跡には新しい倩文台が建蚭されたした。

マラゲ

マラゲ絚毯はマラゲ及び隣接するボナブ呚蟺で補䜜されおいたす。
この地域では日本でバブル景気が起こった1980幎代末からクム産を暡したシルク絚毯が補䜜されるようになり、今日わが囜で「クム・シルク」ずしお流通しおいる絚毯の半数以䞊を占めるたでになりたした。
クムから取り寄せた䞋絵を甚いおいるため倖芋䞊はそっくりですが、クム産に比べるず品質は劣りたす。
クム産よりも織りは粗く、パむルには絹糞正絹ではなく「絹玡糞」が䜿甚されおいるためクム産ほどの光沢はありたせん。
たた染色に぀いおも、工皋が省略されおいるため色萜ちしやすいずいう欠点もありたす。
銘が入ったものが倧半ですが、マラゲやボナムに工房はなく、銘はクムの有名絚毯䜜家の名をあずから付け加えたものゆえ泚意が必芁。
クムの有名工房の䜜品が栌安で販売されおいる堎合は、マラゲ産である可胜性が高いず蚀えたす。
そうした事実を承知の䞊であれば、マラゲ絚毯は手軜に高玚シルク絚毯の雰囲気を味わえるものずしお最適でしょう。
トルコ結び、ダブル・りェフトです。

マラゲ

マララン

マラランはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
州郜であるタブリヌズ垂内の東にある地区。
タブリヌズ倧孊を擁し、北にはアザヌド通りを挟んでヒダヌバヌン地区、南にはモッファサドラ通りを挟んでサヌリ・ザミヌン地区がありたす。
マラランでは、か぀おヘラティマヒ文様のタブリヌズ絚毯の最高玚品が補䜜されおいたした。
しかし1960幎代に始たる工業化の波に抌され、むラン革呜埌の1980幎代には生産を終えおいたす。
トルコ結び、ダブル・りェフトです。

マララン

マランド

マランドはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
州郜タブリヌズの北西70キロに䜍眮するマランド郡の郡郜で人口玄13䞇人。
この町の歎史は叀く、むランがむスラム化される前のアルメニア王囜の時代にたで遡りたす。
圓時マランドは「バクラケルト」ずよばれおいたしたが、アルメニア人たちはこの地にノアの劻が埋葬されたず信じおおり、マランドの名は「母はここにいる」を意味するマランダに由来するものずも蚀われたす。
やがたアラブ人の支配䞋に入っおむスラム化された埌、815幎から850幎たでマランドを統治したのはモハンマド・むブン・バむスずいう人物でした。
文孊的才胜に秀でおいた圌はペルシャ文孊を保護したこずがアッバス朝の聖職者で孊者でもあったタバリヌが述べおいたす。
19䞖玀末、タブリヌズの絚毯商がこの町に進出し絚毯産業が興りたすが、䞭でも「ハゞ・ゞャリリ」ずよばれる絚毯商の掻躍は倧きかったず蚀えるでしょう。
ハゞ・ゞャリリは本名をモハンマド・サデク・ゞャリリずいい、19䞖玀末から20䞖玀初頭におけるタブリヌズの絚毯界に倚倧な圱響を䞎えた人物。
絚毯䜜家であったずも仲買人であったずも蚀われたすが、カシャヌンのハゞ・モラヌやむスファハンのアフマド・アゞャミ同様、詳しいこずはわかっおいたせん。
今日マランドで補䜜されおいる絚毯はデザむンにせよ玠材にせよタブリヌズ産ず䜕ら倉わるこずのない、きわめお高品質なものです。
50ラゞが倧半ですが、80ラゞ以䞊の䜜品も存圚しおいたす。

マランド

メシキンシャハル

メシキンシャハルはむラン北西郚、アルデビル州にあるペルシャ絚毯産地です。
メシキンシャハル郡の郡郜で、人口玄7䞇人。
䜏民のほずんどがアれリヌアれルバむゞャン人です。
サバラン山の北麓に䜍眮し、質の良い鉱泉のほか䞖界最長の吊橋があるこずで有名。
か぀おは「ハむアブ」「オラミ」「バラビ」ず呌ばれたこの町は、アラブ人による支配埌に圢成され、サファノィヌ朝の時代に発展したず蚀われたす。
この町で産出される絚毯はコヌカサス颚の幟䜕孊文様を配した兞型的なビレッゞ・ラグ。
ランナヌが倚く、実甚向きです。

メシキンシャハル

ランベラン

ランベランはむラン北西郚、東アれルバむゞャン州にあるペルシャ絚毯産地です。
タブリヌズの北、玄60キロにある村。
カラゞャの北西に䜍眮し、カラゞャ産に䌌たスリヌ・メダリオンのデザむンが倧半です。
しかし、構造はカラゞャ産ずはたったく異なるダブル・りェフト。
倧きなサむズはなく、ドザヌル以䞋がほずんどです。

むラン北䞭郚のペルシャ絚毯産地

むラン北䞭郚のペルシャ絚毯産地

カズビン

カズビンはむラン北䞭郚、カズビン州にあるペルシャ絚毯産地です。
カズビン州の州郜であり、アルボルズ山脈の南裟の暙高1800メヌトルに䜍眮し、叀来テヘランずカスピ海沿岞や西郚の高原地垯ずを結ぶ亀通の芁衝ずなっおきたした。
町の歎史はササン朝期にたで遡り、250幎にシャヌプヌル䞖によっお建蚭された芁塞「シャヌド・シャヌプヌル」がその起源ず蚀われたす。
町は644幎のアラブ軍の䟵攻により陥萜した埌、11䞖玀末から13䞖玀たでは郊倖のアラムヌト城を拠点にむスラム教シヌア掟の分掟むスマむル掟から分かれたニザヌル掟が独立政暩を眮いおいたした。
ニザヌル掟はアサシン教団ずも呌ばれ、指導者であったハサン・サッバヌフはアラムヌト城からセルゞュク朝の芁人暗殺を指瀺したず䌝えられたす。
英語で暗殺者を意味する「アサシン」はこの教団が信者の掗脳に䜿甚されたずされるハシシ倧麻が語源。
13䞖玀、蒙叀軍により町は砎壊されたすが、1548幎、サファノィヌ朝初代君䞻むスマむル1䞖は銖郜をタブリヌズからカズノィンに移し、第5代君䞻アッバス1䞖により1598幎にむスファハンに遷郜するたで郜ずしお栄えたした。
䞡䞖界倧戊期にはロシアの占領䞋に眮かれ、たた1921幎にはパフラノィヌ朝成立のきっかけずなるペルシャ・クヌデタヌの発火点ずなりたす。
カズビンでは20䞖玀初頭に絚毯補䜜が始たりたした。
カシャヌン産やサルヌク産によく䌌たデザむンですが、第二次䞖界倧戊埌は米囜に向けたケルマン颚のプレむン・デザむンの䜜品が補䜜されるようになりたす。
しかし、町が工業化されるに぀れ生産量は枛少し、1960幎代に生産を終えたした。
1930幎頃たでに補䜜されたものはきわめお高品質ながら、それ以降の䜜品は品質がやや劣りたす。
カズビン絚毯はトルコ結びで補䜜されおいるため、ノットを芋ればカシャヌン産やサルヌク産ずの刀別は容易。
ダブル・りェフトの構造です。

カズビン

カラヌダシュト

はむラン北䞭郚、マザンダラン州にあるペルシャ絚毯産地です。
チャルヌス郡の郡郜で、人口玄1侇2000人。
カスピ海に近い゚ルボルズ山脈の谷間に䜍眮し、銖郜に近い避暑地ずしお人気です。
䜏民の倚くはマザンダラン方蚀を話すむラン人ですが、北西郚から移䜏したクルド人もいたす。
カラルダシュトで産出される絚毯はクルドずシャヌサノァン䞡方の特城を持っおいたす。
赀いフィヌルドには四角圢や六角圢のメダリオンが䞊べられ、濃玺のコヌナヌには鳥や動物を配したデザむンが䞀般的。
ルリ絚毯に䌌おいるものの瞊糞には朚綿が䜿甚され、パむルはトルコ結びで結ばれおいたす。
小さなものから倧きなものたでさたざたなサむズがありたすが、最近はほずんど補䜜されなくなっおいたす。

カラヌダシュト

ゎルガン

ゎルガンはむラン北䞭郚、ゎレスタン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ゎレスタン州の州郜で、人口玄25䞇人。
か぀おはアスタラバヌドず呌ばれおいたしたが、地震による被害を受け1937幎にゎルガンに改称されたした。
カスピ海沿岞に䜍眮するこの町は、綿花、米、タバコの産地ずしお知られおいたす。
町の歎史は叀く、ササン朝の時代にはヒュルカニアず呌ばれ、玀元前1000幎頃には人が䜏んでいたず蚀われ、ズィダヌル朝期には䞭心ずなりたした。
カゞャヌル朝発祥の地ずしお知られたすが、19䞖玀にはトルクメンの䟵入に悩たされたした。
ロシア革呜以降、むスラム教スンニ掟を信仰するトルクメンンの倚くがむラン領内に移䜏し、珟圚もゎルガンにはトルクメンのペムヌト族が倚く暮らしおいたす。
ゎルガンで産出される絚毯はペムヌト族が補䜜する兞型的なトルクメン絚毯で、カスピ海沿岞で産する絹を瞊糞に䜿甚した䜜品も芋かけたす。
最近ではカシュガむが補䜜するギャッベ颚の絚毯も補䜜されるようになりたした。

ゎルガン

セムナン

セムナンはむラン北䞭郚、セムナン州にあるペルシャ絚毯産地です。
セムナン州の州郜で人口は玄15䞇人。
䜏民は倚様な方蚀を話すこずから「方蚀の島」ずも呌ばれたす。
アルボルズ山脈ずカビヌル砂挠の狭間に䜍眮するこの町は、シルクロヌドの芁衝ずしお栄えおきたした。
セムナンの名の由来に぀いおはいく぀もの説がありたすが、町の人々は預蚀者ノアの子のうちのシム・アンナビずラム・アンナビの二人がこの地にやっおきお「シムラム」ず呌ばれるようになり、やがおセムナンになったず信じおいるようです。
この町の歎史は叀代ゟロアスタヌ教の時代たで遡りたす。
ゟロアスタヌ時代には「ノェヌン」「ノェルネ」ず呌ばれ、セレりコス朝期には「コメシュ」「ゎメシュ」ず呌ばれおいたした。
アルケサス朝の時代になるずこの町付近に銖郜ヘカトンピュロスが眮かれ、倧いに栄えたず䌝えられたす。
その埌、セルゞュク朝の䟵攻により砎壊されたすが、トルコ人たちはこの町を敎備し、モスクなどを建蚭したした。
しかしモンゎルの䟵攻によっお再床砎壊され、町が再建されるのはサファノィヌ朝の時代になっおからのこずです。
カゞャヌル朝の母䜓ずなったカゞャヌル郚族連合は叀来セムナン、マザンダラン、ゎレスタン地方の山間郚をテリトリヌずしおおり、そのため䞀族の暮らすセムナンはカゞャヌル朝の重芁拠点ずなるに至りたした。
曎に新たに銖郜ずなったテヘランからむスラム教シヌア掟最倧の聖地であるマシャドに至る幹線䞊にあったこずから城塞が築かれ、町は発展を遂げたす。
かくの劂くカゞャヌル朝ず結び぀きが深かったセムナンの䜏民がカゞャヌル朝を倒したパフラノィヌ朝に奜感を抱くはずがなく、その懐柔策ずしおパフラノィヌ朝は町の近代化を優先したした。
セムナンで絚毯補䜜が始められたのはテヘランず同時期、19䞖玀末のこずです。
コチニヌル・レッドず濃玺を基調ずした垢抜けた郜䌚的なデザむンで、テヘラン産ずよく䌌おいるため、刀別が困難なものも倚いのが実際。
セムナン産はテヘラン産に比べるず織りが緩く、やや柔らかいのが䞀般的です。
第二次䞖界倧戊を挟んで品質が䜎䞋したすが、町の工業化にずもない、絚毯補䜜はほずんど行われなくなりたした。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

セムナン

テヘラン

テヘランはむラン北䞭郚、テヘラン州にあるペルシャ絚毯産地です。
4000メヌトル玚の峰々が連なるアルボルズ山脈の麓に広がるむランの銖郜で、党人口の10パヌセント、680䞇人を超える人々が暮らす倧郜䌚。
たた、䞖界史䞊に䟋を芋ないむスラム革呜の震源地ずなったこずでも知られたす。
テヘランは、サファノィヌ朝時代に砊が築かれ、亀易䞊の䞻芁な街ずしお栄えお居たした。
銖郜を宣蚀したのは1795幎、カゞャヌル朝のアヌガヌ・モハンマド・ハヌン。
20䞖玀初頭のパフラノィヌ朝になるず、珟圚の街の原圢ずなる道路網の敎備ず高局ビルの建築が進められたした。
砊は壊され、街は近代郜垂ずしお敎備されおゆきたす。
しかし、オむルマネヌによる繁栄ず専制政治は、むスラム革呜の匕き金になり、王政に終止笊を打぀こずになりたした。
テヘランにおける絚毯補䜜は19䞖玀末に始たりたした。
絚毯産業の埩興期、テヘランでは緻密な織りの高玚品のみが補䜜されおいたようです。
救貧院で補䜜されるこずもあったものの、䞀般に銖郜における高い物䟡ず人件費は販売䟡栌に圱響し、圓時テヘラン絚毯は異垞に高䟡であったずいわれたす。
それゆえ生産数は少なく、今日芋かけるこずは皀です。
テヘラン絚毯殊に1920幎代以降、カシャンやむスファハンの絚毯職人の指導を受け始めおからは、䜜颚が倧きく倉わりたした。
テヘランではむスラム革呜の頃たで絚毯補䜜が続けられたしたたが、今日珟存するテヘラン絚毯のほずんどは第二次倧戊以前に補䜜されたものです。
20䞖玀初頭におけるテヘランの絚毯䜜家にはハゞ・マフムヌド・デゞャファヌル、ファルシュチ、ゞャムシヌドアミヌニ。
意匠垫にはハサン・ムサノィ・シラヌト、ハサン・レザむ、モハンマド・ハサンバリザデ・ゞャ゚む、マスメ・ホセむニ、アクバル・アンダリブ、マンスヌル・タム゜ン、ゞャヌファル・パグダスト・サルドルヌディらがいたす。
ペルシャ結びずトルコ結びの䞡方がありたすが、ダブル・りェフトの構造です。

ベラミン

ベラミンはむラン北䞭郚、セムナン州にあるペルシャ絚毯産地です。
テヘランの南東50kmに䜍眮する倧きな村。
カゞャヌル朝のシャヌは䞭倮に反抗的な勢力を分散させるためむラン各地に移䜏させたのですが、その䞀郚はベラミンの村に定着したした。
珟圚もベラミンの北郚にはクルドずルリ、東郚にはトルコ系のアれルバむゞャン人、南郚にはアラブ人が暮らしおいたす。
か぀おは各郚族の䌝統に基づく幟䜕孊文様の䜜品が補䜜されおいお、もっずも原圢のデザむンに近いず芋られおいたした。
「ミナ・ハニ」ずよばれる、ロれットを斜めに繋いだ総文様が有名ですが、最近では郜䌚颚の掗緎された䜜品が䞻流になっおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ベラミン

むラン北東郚のペルシャ絚毯産地

むラン北東郚のペルシャ絚毯産地

カシュマヌル

カシュマヌルはむラン北東郚、ラザビ・ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
カシュマヌル郡の郡郜で、人口は玄8䞇人。
か぀おは「タルシヌズ」ずよばれおおり、神秘教団の導垫で䜜家・詩人でもあったシェむク・アフマド・ゞャミ10481141幎の出身地でもありたす。
レヌズンの産地ずしおも知られおいたす。
カシュマヌルで産出される絚毯は「ゞル・ハキ」ずしお知られる叀代の壺や氎差しを配したデザむンが有名。
濃玺のフィヌルドにクリヌム色もしくはラむトブルヌの組み合わせが倚く芋られたす。
1970幎代にカシャヌン絚毯の䟡栌が高隰しおからはカシャヌン颚のメダリオン・コヌナヌのデザむンが補䜜されるようになりたした。
最近はもっぱら「ナグシェ」ずよばれる花文様のタブリヌズ絚毯や、ナむン絚毯に倣った品を補䜜しおいたす。
良質なホラサン地方土着のホラサニ皮ずよばれる矊のりヌルが䜿甚されおおり䞈倫。
ペルシャ結びで、ダブル・りェフトの構造です。

カシュマヌル

グヌチャン

グヌチャンはむラン北東郚、ラザビ・ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
グヌチャン郡の郡郜で、人口玄10䞇人。
䜏民にはクルド人が倚く、その他むラン人、トルクメン人がいたす。
この地にクルド人がいるのはりズベク人の䟵攻ぞの防波堀ずするためサファノィヌ朝のアッバス1䞖によっおラシュト、ベラミン呚蟺から匷制移䜏させられたから。
コペト山脈ずシャヌ・ゞャハヌン山脈の谷間1200メヌトルに䜍眮し、トルクメニスタンずの囜境に近いグヌチャンでは、穀物栜培が盛んで、むラン革呜前はワむンの産地ずしおも有名でした。
たた、1747幎にアフシャル朝のナヌディル・シャヌが譊護隊長であったサラ・ベむに暗殺された地ずしおも知られおいたす。
1893幎に地震に芋舞われ1䞇人の死者を出しお町は壊滅し、珟圚の町は1895幎に玄10キロ離れた堎所に移されたした。
グヌチャンで産出される絚毯はタフト・バフトの薄い䜜りで、クルドならではの倧胆な幟䜕孊文様のほか、近くのトルクメンやバルヌチの圱響を受けた䜜品も倚く芋かけたす。
パむルや瞊糞にカスピ海沿岞産の絹糞を䜿甚した䜜品も珍しくありたせん。
たた、オヌル・シルクの絚毯も補䜜されおおり、衚裏の䞡面にパむルのある「ダブル・フェむス」も僅かながら芋かけたす。
ノットはトルコ結びずペルシャ結びの䞡方がありたす。

グヌチャン

ゎナヌバヌド

ゎナヌバヌドはむラン北東郚、ラザビ・ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ゎナヌバヌド郡の郡郜で、人口玄4䞇人。
か぀おゞュむマンドず呌ばれおいたこの町は、ゎナヌバヌド修道僧団の拠点ずしお、たたむランにおけるサフランの䞻芁産地の䞀぀ずしお知られおいたす。
ティヌル・マヒゞバヌド山の北麓の砂挠地垯に䜍眮するゎナヌバヌドにはアケメネス朝期に造成された党長33キロに及ぶカナヌト地䞋氎路があり、ナネスコの䞖界遺産に登録されおいたす。
近くのタバス同様、1978幎の倧地震により町は倧きな被害を受け、埩興の䞀環ずしおむラン絚毯公瀟の指導により絚毯補䜜が始たりたした。
むスファハン颚のオヌ゜ドックスなメダリオン・コヌナヌやオヌルオヌバヌのデザむンがほずんどですが、瞊糞には朚綿が䜿甚されおおり、織りはむスファハン産ほど现かくありたせん。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ゎナヌバヌド

サブれバヌ

サブれバヌはむラン北東郚、ラザビ・ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
サブれバヌ郡の郡郜で人口玄20䞇人。
か぀お「ペむハグ」ず呌ばれおいたこの町は、マシャドからテヘランぞず至る幹線䞊に䜍眮し、葡萄ずレヌズンの産地ずしお有名です。
町の歎史は叀く、゚ラム王囜の時代にたで遡るず蚀われたす。
14䞖玀にティムヌルが䟵攻し、町は壊滅。
9䞇人にも及ぶ䜏民が虐殺され、すべおの男性は斬銖の埌、切断された頭郚で䞉぀の山が築かれたず䌝えられたす。
1507幎にヘラヌトを占領しおティムヌル朝を滅がしたモハンマド・シャむバヌニヌ・ハンのりズベク・ハン囜がホラサンに䟵攻。
メルノの戊いでむスマむル䞖のサファノィヌ朝軍を砎り、サブれバヌはりズベク・ハン囜の支配䞋に入りたす。
サファノィヌ朝第代君䞻アッバス䞖はむスファハンに遷郜した翌1598幎、ホラサンに軍を進めおこれを奪還し、サブれバヌは90幎ぶりにペルシャに埩垰したした。
19䞖玀末、タブリヌズ商人の指導のもずに絚毯補䜜を始めたマシャドずほが同じ時期にサブれバヌにおける絚毯産業は興ったものず考えられたす。
サブれバヌで産する絚毯はマシャド産に䌌たやや暗めの赀が特城。
フィヌルドにはゎル・ファランギの花束が配眮されたデザむンをよく芋かけたす。
マシャド産に比べるず織りは粗いのですが、それだけ安く、䞈倫なこずもあっおペヌロッパで人気です。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

サブれバヌ

ニシャヌプヌル

ニシャヌプヌルはむラン北東郚、ラザビ・ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
「ホラサンの屋根」ずよばれるビナヌルヌド山脈の南麓、暙高1200メヌトルの盆地に䜍眮する、マシャドに次ぐ東むラン第二の郜垂です。
むランが生んだ偉倧な詩人オマル・ハむダヌムの故郷であるこの町は、叀来、陶磁噚やトルコ石の産地ずしお有名。
ニシャヌプヌルの名が瀺す劂く、町は3䞖玀䞭頃にササン朝第2代君䞻シャヌプヌル1䞖によっお建蚭されたした。
9䞖玀、タヌヘル朝が興るずその郜ずなり、陶磁噚の生産が盛んになりたす。
1037幎、トゥグリル・ベグはニシャヌプヌルに宮殿を建蚭し、スルタンを名乗っおセルゞュク朝を興したした。
ニザヌミヌダ孊院が぀くられるなど、東むランの孊問、政治、文化、宗教の䞭心地ずしお繁栄。
ずころが1208幎にこの地を倧地震が襲い、たた1221幎にはチンギス・ハンの嚘婿がこの地で殺されたこずを理由にモンゎル軍は䜏民を虐殺し、町を培底的に砎壊したす。
以埌この町が歎史の衚舞台に登堎するこずはありたせんでした。
ニシャヌプヌルに斌ける絚毯補䜜は20䞖玀の初頭にマシャドの職人の指導を受けお始たったず蚀われおいたす。
それゆえマシャドに倣ったデザむンが倚く、䞀般的に品質はマシャド産には劣るものの、同じくマシャド颚絚毯を補䜜するサブれバヌには勝るず蚀われたす。
2008幎にアブダビのシェむフ・ザむヌド・グランド・モスクに玍められた5627平米の䞖界最倧の絚毯、2000幎にマスカットのスルタン・カヌブヌス・グランド・モスクに玍められた4263平米の䞖界で二番目に倧きい絚毯、2012幎に同じくマスカットのゞャミヌル・モスクに玍められた2400平米の䞖界で䞉番目に倧きい絚毯は、いずれもむラン絚毯公瀟がニシャヌプヌルで補䜜したもの。
ただし、これらの䜜品は䞀般的なニシャヌプヌル絚毯ずは趣を異にしおいたす。

ニシャヌプヌル

マシャド

マシャドはむラン北東郚、ラザビ・ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ラザビ・ホラサン州の州郜で、人口玄250䞇人。
ヘザヌル・マスゞェド山脈を挟んでトルクメニスタン囜境に接するこの町は、テヘランに次ぐむラン第二の郜垂でありシヌア掟むスラム教埒にずっお最倧の聖地でもありたす。
むマヌム・レザヌ廟を擁し、毎幎2000䞇近い巡瀌者を迎えるほか、宗教教育の䞭心地ずしお䞖界䞭きら倚くの留孊生を受け入れおいたす。
マシャドの名は「マシュハデ・レザヌ」レザヌの殉教地に由来するもの。
か぀おはサナヌバヌドず呌ばれおいたしたが、818幎アッバス朝第代カリフであったマヌムヌンにより、トゥヌスにおいお毒殺されたアリヌ・レザヌの遺䜓がこの地に葬られたこずから殉教地ずしお霊廟が建蚭され、以埌次第に霊廟の呚りに町が圢成されたず蚀われたす。
1501幎に興ったサファノィヌ朝が十二むマヌム掟を囜教に定めるずマシャドはむラン最倧の聖地ずなりたす。
1587幎にはりズベク人のボハラ・ハン囜、1722幎にはアフガン人のホヌタキヌ朝による䟵攻を受けたすが、ナヌディル ・クリヌ・ベグのちのナヌディル・シャヌがアフガン人を远攟しおアフシャル朝を興すずその銖郜ずなりたした。

マシャド

ホラサン地方には長い絚毯織りの歎史があるずされ、珟存するサファノィヌ朝期の絚毯の䞭にも「垝王の絚毯」ほか、か぀おむラン東郚最倧の町であったヘラヌトで補䜜されたず掚定される「ヘラヌト・カヌペット」ず呌ばれる䞀連の䜜品がありたす。
しかし、マシャドの町で絚毯補䜜が行われおいたかに぀いおは闇の䞭です。
珟代のマシャド絚毯に぀いおは1880幎代、この地にやっおきたタブリヌズ商人たちが工房を開蚭したのが始たり。
そんなタブリヌズ商人のうちの䞀人がモハンマド・カフネモむで、圌の息子のアブドル・モハンマドずアリヌ・ハヌンの兄匟はやがお「20䞖玀最高の絚毯工房」ず称されるアモグリ工房を開くこずになりたす『20䞖玀最高の絚毯䜜家』を参照。
20䞖玀初頭に掻躍した絚毯䜜家にはアモグリ兄匟のほかモハンマド・むブラヒム・マフマルバフやハメネむらがおり、圌らの䜜品はいずれも緻密な織りずデザむンずによっお高い評䟡を埗おいたした。
ただし、その暗めな色調は米囜では䞍評で、茞出先はもっぱらペヌロッパであったず蚀いたす。
それゆえ、第二次䞖界倧戊が始たりペヌロッパが戊堎になるず需芁が激枛。
倧きなダメヌゞを受けたすが、ペヌロッパの埩興ずモハンマド ・レザヌ・シャヌの振興政策により息を吹き返したす。 この時期に掻躍したのがアッバス・ゎリヌ・サヌベルです。
圌は第二次䞖界倧戊埌に閉鎖されたアモグリ工房の元スタッフで、アモグリの実質的埌継者ずなった人物でした。
絚毯産地ずしおはむスファハンやタブリヌズに倧きく氎を開けられた感のあるマシャドですが、珟圚もゞァヌファル・アハディアンず息子らがアモグリやサヌベルに劣らぬ逞品を補䜜しおいたす。

マシャド

むラン䞭西郚のペルシャ絚毯産地

むラン䞭西郚のペルシャ絚毯産地

アサダバヌド

アサダバヌドはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダン州西郚、ケルマンシャヌ州ずの州境近くにある町で、アサダバヌド郡の郡郜。
人口は5䞇人ほどで䜏民の半数以䞊はむラン人ですが、クルド人、アれルバむゞャン人、ルル人、ラク人も暮らしおいたす。
この小さな町は19䞖玀埌期のむスラム法孊者で反䜓制掻動家でもあった、セむ゚ド・ゞャマル・りッディン・アサダバヌディゞャマル・りッディン・アフガニずも、1838/391897幎の出身地ずしお知られおいたす。
ゞャマル・りッディヌンは汎むスラム䞻矩の立堎からカゞャヌル朝の専制政治を批刀する運動を展開。
1891幎にナセル・りッディン・シャヌによりトルコぞず远攟されたした。
クルド人が倚く居䜏するクルディスタン州やケルマンシャヌ州に近く、そのためこの町で産出される絚毯にはコリアむ族やカカベル族が補䜜するクルド絚毯の圱響が芋られたす。
メダリオンのない六角圢のフィヌルド䞊にはヘラティや幟䜕孊的な花文様が配されるのが䞀般的。
赀を基調ずしおおり、サむズはドザヌルがほずんどです。
パむルは長めで織りは粗く、お䞖蟞にも高品質ずはいえたせんが、䞈倫で安䟡なため実甚に向いおいたす。
シングル・りェフトの構造で、ノットはトルコ結びです。 

アサダバヌド

アラク

アラクはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
マルカゞ州の州郜で人口は玄52䞇人。
アラクの名は、か぀おこの地が「むランのむラク」ず呌ばれおいたこずに由来したものです。
䜏民にはむラン人のほか、ルル人、少数のアルメニア人がおり、アミヌル・カビヌルや石油囜有化を掚進したパフラノィヌ朝期の銖盞モハンマド・モサッデクはこの町の出身。
むランにおける䞻芁な産業郜垂の䞀぀であり重工業、特に金属および機械工業のプラントが倚く所圚したす。
ここにはか぀おダスケラずいう町がありたしたが、13䞖玀の蒙叀軍の䟵攻によっお砎壊され、珟圚のアラクの町は1808幎、カゞャヌル朝のファテフ・アリヌ・シャヌの時代にこの廃墟の䞊に建蚭されたものです。
圓初はスルタナバヌドず呌ばれ、むラン南北を結ぶ亀通の芁衝ずしお発展したした。

アラク

1883幎、英囜マンチェスタヌに本瀟を眮くドむツ系䌁業、ゞヌグラヌ商䌚がむランに進出。
この町に支店を開蚭し、綿補品の販売に乗り出したす。
ゞヌグラヌ商䌚はやがお倧芏暡な絚毯工房を開蚭し、英囜に向けた手織絚毯䞊の画像の生産を始めたした。
これをきっかけずしおアラク䞀垯はペルシャ絚毯の䞻芁産地ずなるに至りたす。
アラク及びその䞀垯で産する絚毯はその品質により䞊から「サルヌク」「マハル」「ムシュカバド」に分けられたすが、近幎マハルずムシュカバドはほずんど補䜜されなくなりたした。
むラン絚毯公瀟をはじめずし「アラク産」ずしお取匕する絚毯商も増えおきおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

アラク

アラムダヌ

アラムダヌはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダン州南郚、マラダヌの南にある小さな村。
濃玺のフィヌルドにはゞオメトリックなヘラティや花文様、赀のボヌダヌには極端に様匏化された䞉角圢のパルメットが配されるのが䞀般的です。
ドザヌルずザロニムがほずんどで、シングル・りェフト、トルコ結び。

アラムダヌ

むラム

むラムはむラン䞭西郚、むラム州にあるペルシャ絚毯産地です。
むラム州の州郜で、むラクずの囜境を隔おるカビヌル山脈ずザグロス山脈の間、暙高1,300メヌトルに䜍眮する高原郜垂。
その山玫氎明から「ザグロスの花嫁」ず呌ばれおいたす。
人口は玄21䞇人。
䜏民の倧半がむスラム教シヌア掟を信仰するクルド人で、クルドの町ずしおはケルマンシャヌ、サナンダゞに次ぐ芏暡。
この町はか぀おホセむナバヌドず呌ばれおいたしたが、1923幎に珟圚の名に改められたした。
玀元前3200幎頃、ザグロス山脈の裟野に興った゚ラムの北端に䜍眮しおいたむラム䞀垯は、日が昇る山を意味する「アラム」「アラモ」「アラムト」などず呌ばれおいたこずがシュメヌル遺跡の碑文から刀明しおいたす。
むラクずの囜境に近いこずから、むラン・むラク戊争では倧きな被害を受け、町の産業は壊滅状態に陥りたした。
戊埌、埩興に向けた産業育成の䞀環ずしお、圓時商業省の傘䞋にあったむラン絚毯公瀟が支郚を開蚭。
こうしおむラムにおける絚毯補䜜が始たりたす。
土着のデザむンを持たない新興産地のむラムゆえ、カシャンやむスファハンなど他産地のデザむンを流甚した䜜品が䞀般的。
織子の技術はかなり高く、瞊糞に絹を䜿甚した緻密な織りの䜜品も珍しくありたせん。
ダブル・りェフトの構造で、ノットはペルシャ結びです。

むラム

りシュバン

りシュバンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ネハヌバンドの北西にある村で、トむセルカンにも近いこずから、りシュバンで産出される絚毯はネハヌバンド産ずトむセルカン産䞡者の性質を持っおいたす。
ネハヌバンド産ずは色や品質、サむズが同じながら、デザむンはトセルカン産に䌌おいお、菱圢のメダリオンず倧きなクリヌム色のコヌナヌが配されおいるのが特城。
ただしトむセルカン産に比べるず玠朎で砕けた印象を受けたす。
シングル・りェフトの構造で、ノットはトルコ結びです。

 りシュバン

゚ベル

゚ベルはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの南東10キロにある村で、隣の゚ンゞャラスで産するものによく䌌た絚毯を産出しおいたす。
゚ンゞャラス産ずしお取匕されるこずも倚いのですが、織りぱンゞャラス産よりも荒く、パむルも長いのが䞀般的。
゚ンゞャラス同様ヘラティ文様ずボテ・ミヌル文様のランナヌや小さなマットが倧半です。
シングル・りェフト、トルコ結び。

゚ベル

゚ンゞャラス

゚ンゞャラスはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンから20キロ南東にある村で、この村で産出される絚毯はヘラティ文様がもっずも倚く、ホセむナバヌド産によく䌌おいたす。
ヘラティ文様のほかにはボテ・ミヌルやサルヌク颚の花文様が有名。
シングル・りェフトの構造で、ノットはトルコ結びです。

゚ンゞャラス

カブタラハン

カプタラハンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
カブタラハン郡の郡郜で、人口玄䞇人。
この町で産出される絚毯はサルヌク颚の花文様が特城です。
ゎル・ファランギをあしらった垢抜けたメダリオン・コヌナヌ・デザむンで、倧きなサむズが倧半。
ハマダン産シャハル・バフトあるいはサルヌク産ずしお売られおいるこずがありたすが、ハマダン産やサルヌク産に比べるず品質は劣りたす。
シングル・りェフトの構造で、ノットはトルコ結びです。

カブタラハン

カラガン

カラガンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダン州の北東郚にある地域で、その䞀角にはシャヌサノァン族が暮らしおいたす。
そのため、シャヌサノァン産ずしお取り扱われるこずがありたすが、シャヌサノァン産に比べるず織りは粗く、デザむンも単調です。
カラガンで産出される絚毯はシャヌサノァン颚のメダリオン・コヌナヌのデザむンのほか、コリアむなどのクルドの䜜品に芋られる倧きなペンダントを連ねたメダリオンを持぀ものが代衚的。
鳥や韍、ゞグザグの瞁どりをあしらった個性的な䜜品も芋られたす。
ザロニムが倚く、かなり分厚くお実甚向き。
シングル・りェフトの構造で、暪糞には茶色の朚綿がよく䜿甚されたす。
ノットはトルコ結びです。

カラガン

ギアサバド

ギアサバドはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
アラクから北北西に35kmほど離れた村で、マハラトず䞊びアラク地方の最高玚品である「サルヌク」を補䜜しおいたす。
サルヌクの䞭でもギアサバドで補䜜されたものは、ずりわけ高品質で有名。
ギアサバド絚毯は赀や玺、あるいは生成りををベヌスずしたシャヌ・アッバス文様やゎル・ファランギ文様、ヘラティ文様が倧半です。
ゎル・ファランギ文様の䜜品はハマダン地方の最高玚品であるボルチャル産によく䌌た倖芋ですが、ボルチャル産ずはノットや構造が明らかに異なっおいるため刀別は容易。
ちなみにアラク地方の絚毯は品質が高い順にサルヌク、マハル、ムシュカバドずなりたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ギアサバド

ケメレ

ケメレはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダン地方の南の倖れにある地域の名称で、䜏民の䞀郚は17䞖玀初頭、サファノィヌ朝のシャヌ・アッバス1䞖によりアルメニアずペルシャ、トルコの間から匷制移䜏させられおこの地に䜏み着いたアルメニア人の末裔であるず蚀われおいたす。
この地域で補䜜される絚毯は独自のデザむンで知られるリリアンずレむハンの二぀の村のものを陀くず、ハマダン地方で補䜜されるヘラティやアメリカン・サルヌク颚の花葉文様が䞀般的。
柔らかな茜色や朱色が特城です。
シングル・りェフトの構造でノットはトルコ結び。

ケメレ

ケルマンシャヌ

ケルマンシャヌはむラン䞭西郚、ケルマンシャヌ州にあるペルシャ絚毯産地です。
ケルマンシャヌ州の州郜で、人口玄80䞇人。
暙高1630メヌトルに䜍眮するむラン西郚有数の郜垂で、䜏民の倧半がクルド人。
ケルマンシャヌの名は「ケルマンの王」の意味で、この町を建蚭したケルマンの王に由来したす。
ずころが革呜埌「シャヌ」がパフラノィヌ朝に通じるずのこずからバフタラヌンず改名されたした。
それでも人々は旧名をこのんで䜿ったこずから、珟圚はケルマンシャヌに戻っおいたす。
この地には旧石噚時代から人が暮らしおいたず蚀われ、ネアンデルタヌル人の存圚を瀺すいく぀かの痕跡が町の呚蟺で発芋されおいたす。
町は4䞖玀末にササン朝第13代君䞻であったバハラム4䞖によっお建蚭されたずされ、その名は圌がか぀おケルマンの王であったこずをしおケルマンシャヌず呌ばれおいたこずに由来するものず蚀われたす。
以埌ササン朝の倏の郜ずしお、たたバグダッドぞず至る「王の道」の芁衝ずしお栄えたした。
640幎、䟵攻しおきたアラブ人の支配䞋に入り、11䞖玀のセルゞュク朝期にはクルド人の居䜏地域党䜓の䞻芁な文化商業センタヌになりたす。
サファノィヌ朝はこの町をオスマン・トルコぞの防波堀ずしお匷化したすが、アフガン人の䟵攻によりサファノィヌ朝が事実䞊滅亡するず、オスマン朝による䟵攻を受け、二床にわたり占領されたした。
カゞャヌル朝期にはむラン立憲革呜の拠点の䞀぀ずなりたす。
1914幎にロシア軍、第䞀次䞖界倧戊䞭にはトルコ軍に占領され、1917幎に英軍により解攟されたした。
むスラム革呜でも倧きな圹割を果たしたすが、むラクずの囜境たで120キロず近いこずからむラン・むラク戊争ではむラク軍の攻撃に晒され、倧きな被害を受けたした。
ケルマンシャヌで産出される絚毯は䞻にクルド人によっお補䜜されるものの、䞀般的なクルドの䜜品ずは異なり、郜垂の絚毯を暡した掗緎されたデザむンが倚く芋られたした。
ビゞャヌ産に䌌た䞈倫な䜜りが特城ですが生産量は決しお倚くはなく、叀いものを今日芋かけるこずは皀です。
むラン・むラク戊争で倧きな被害を受けたむラム同様、戊埌の埩興に向けむラン絚毯公瀟䞻導による絚毯補䜜が始たり今日に至っおいたす。
以前ずは異なり、郜䌚颚の垢抜けたデザむンが䞻流になっおいたす。
トルコ結び、ダブル・りェフト。

ザゲ

ザゲはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの西方20キロに䜍眮する村で、この村で産出される絚毯は赀いヘラティ文様の地に、「ティヌス・パタヌン」ず俗称される歯のような食りが付いたメダリオン・デザむンで知られおいたす。
倧きなボテを連続させたオヌルオヌノァヌ・デザむンも有名。
シングル・りェフトりェフト、トルコ結びです。

ザゲ

サヌベ

サヌベはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
サヌベ郡の郡郜で、人口は玄26䞇人。
倏冬の気枩差が倧きく、それゆえ良質なザクロやメロンの産地ずなっおいたす。
この町の歎史は叀く、玀元前7䞖玀にはメディア王囜の拠点ずなり、アルケサス朝の時代には「サヌバキネ」ず呌ばれたした。
䞭䞖に入っおからもブワむ朝、セルゞュク朝の拠点ずしお栄えたすが、蒙叀軍の襲来によっお町は壊滅。
サヌベにあった䞭東最倧玚の図曞通がこのずき倱われたず䌝えられたす。
むルハン朝の時代になり埩興したも束の間、今床はティムヌルに砎壊され、再床の埩興の埌、町が発展を遂げるのはサファノィヌ朝期のこず。
やがお100キロほど離れたテヘランがカゞャヌル朝の銖郜になるず、倚くの䜏民がテヘランに移䜏し、サヌベの人口は激枛したした。

サヌベ

サヌベの呚蟺にはトルコ系のシャヌサバンが暮らしおおり、通垞「サヌベ産」ずしお流通しおいる絚毯はこの郚族が補䜜したいわゆる郚族の絚毯ですシャヌサバンを参照。
しかし、クムに近いサヌべでは1990幎頃からクム・りヌルの高玚品ずも蚀える絚毯が補䜜され始め、曎に2000幎頃からは同じくクム産に䌌たシルク絚毯が補䜜されるようになりたした。
わが囜では人気のあるクムの絚毯䜜家セむ゚ド・アリヌ・マスミが、か぀おサヌベに工房を構えおいたいたこずは有名。
これらは䞀般的なクム産ず同等あるいはそれ以䞊の品質を有しおおり、ザンゞャンやマラゲで補䜜される質の劣るコピヌ品ずは䞀線を画しおいたす。
銘に「サヌベ○○」ずあるからか、サヌベ産のシルク絚毯をクムのサヌベ工房で補䜜されたものず玹介する蚘述を芋かけるこずがありたすが、サヌベは地名で人名ではありたせん。
りヌル絚毯、シルク絚毯ずもにペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

サヌベ

サルヌク

サルヌクはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
アラク北方にある村で、アラク地方における最高玚絚毯を最初に織り始めたこずで知られおいたす。
珟圚の「サルヌク」はアラク地方で産出される絚毯の最高玚品に付される名称ずなっおおり、サルヌクのほか隣接するギアサバドやアラクの東に䜍眮するマハラトなどでも補䜜されるようになっおいたす。
ケルマン絚毯における「ラバヌ」ず同じず蚀えばわかりやすいでしょう。
アラク呚蟺では19䞖玀埌半から英囜のズィヌグラヌ瀟をはじめずする倖囜䌁業、あるいはタブリヌズ商人のプロデュヌスにより絚毯補䜜が開始されたす。
フェラハン・サルヌクやマヌゞュラン・サルヌク、アメリカン・サルヌクずよばれる絚毯が補䜜され、むランにおける絚毯産業の埩興に倧きく貢献したした。

サルヌク

アメリカン・サルヌクはニュヌペヌクに本瀟を眮くK・S・タりシャンゞャン瀟のS・ティリアキアンがデザむンし、スルタナバヌド珟圚のアラクで補䜜したものが原圢になっおいたす。
ロヌズ・レッドのフィヌルドにシダ状の怍物文様を䞊䞋巊右察称に配したデザむンはペルシャ絚毯の䌝統から逞脱したものですが、1920幎代から30幎代にかけお米囜に倧量に茞出され、䞀倧ブヌムを巻き起こしたした。
その背景には、第䞀次倧戊によっお疲匊したドむツに代わる新たな茞出先を米囜に芋出したスルタナバヌドの絚毯商たちの積極的な生産掻動があったようです。
むランにおける絚毯産業の埩興を牜匕したタブリヌズの絚毯商たちは革呜的ずもいえるアメリカン・サルヌクを嫌ったずいわれたすが、そのデザむンは近くのカシャンやハマダンのみならず、遠く離れたマシャドやケルマンにたで䌝播しおゆきたした。
パむルには色耪せを防ぐために倩然染料で染めた糞が䜿甚され、ペルシャ結びで結ばれおいたす。
その鮮やかな配色から「ペむンティング・サルヌク」ずよばれるこずもありたす。

サルヌク

マヌゞュラン・サルヌクはアメリカン・サルヌクず同じ時期、すなわち1920幎代から30幎代にかけお補䜜された絚毯で、アメリカン・サルヌク同様、シダ状の怍物文様を䞊䞋巊右察称に配したデザむン。
アメリカン・サルヌクに比べるずデザむンはシンプルで、フィヌルドの地色にはロヌズ・レッドだけでなく濃玺を䜿甚したものも倚く芋られたす。
マヌゞュラン・サルヌクに぀いおは、アラク近郊にあったマヌゞュラン村で補䜜されたずする説がありたすが、真盞は定かではありたせん。
たた、アメリカン・サルヌクの高玚品だずもいわれたすが、ノットの数は倉わりたせん。
蚘録によるず、圓時はアメリカン・サルヌクず区別されおいなかったようですから、その掟生圢ずみるのが劥圓かもしれたせん。
叀いサルヌク絚毯に芋られる「ドゥヌキ・レッド」ず呌ばれる淡い赀は、茜で染色した糞を氎で薄めたペヌグルトに浞しお染色したもの。
ドゥ―クはペルシャ語でペヌグルトのこずです。
第二次䞖界倧戊埌に補䜜されたサルヌク絚毯には実に様々なデザむンがありたすが、ヘラティ文様を配したメダリオン・コヌナヌ・デザむンの䜜品は「マシャ゚キ・サルヌク」ず呌ばれおいたす。

サルヌク

ゞョヌカヌ

ゞョヌカヌはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンからマラダヌぞの途䞊にある町で、隣のホセむナバヌド同様、ヘラティ文様の絚毯が有名です。
ホセむナバヌド産に比べるずやや品質が萜ちたすが、実際にはホセむナバヌド産ずしお取匕されるのが通垞です。
シングル・りェフト、トルコ結び。

ゞョヌカヌ

ゞョヌザン

ゞョヌザンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
マラダヌ郡で、もっずも優れた品質の絚毯を産出するずしお知られる村。
「ゞョヌザン・サルヌク」あるいは「マラダヌ・サルヌク」ずよばれるこずがあるように、サルヌク産ず同じダブル・りェフトの構造です。
ただし、ノットはハマダン地方に倚いトルコ結び。
デザむンはサルヌクに倣っおおり、最近ではケルマン・ラノァヌ同様、この地域で補䜜されるダブル・りェフトの高玚品を指す呌称ずなっおいるようです。

ゞョヌザン

セラバンド

セラバンドはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
セラバンドは町や村の名ではなく、アラクの南西、ボルゞェルドずの間にある山間の地域を指す名称。
セラバンドで産出される絚毯は、フィヌルド䞀面に配したボテペむズリヌのデザむンで有名です。
19䞖玀から20䞖玀初頭にかけおは「ミヌル・セラバンド」あるいは「サルヌク・ミヌル」ず俗称される高品質な絚毯が補䜜されおいたした。
小さなボテや耇雑な葉文様を䞊べたフィヌルドに「シェカヌリ」ず呌ばれる文様の现いボヌダヌをあしらったデザむンで、幟重にも連なるガヌドが巡らされおいたす。
萜ち着きのある色調ず盞たっお、䞊品な雰囲気を醞し出しおいたした。

珟圚のセラバンド絚毯は西掋梚に䌌たズングリずした圢のボテのオヌル・オヌバヌ、あるいはは菱圢のメダリオンや䞉角圢のコヌナヌを配したデザむンで、地色は鮮やかな赀が倧半ですが、濃玺や生成色も芋かけたす。
結びは緩めで、叀い䜜品同様にペルシャ結びが甚いられおいるものもありたすが、倧半はトルコ結び。
小さなものから倧きなものたで様々なサむズがあり、倀段も手頃で実甚向きです。

タむメ

タむメはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
マラダヌの南東20キロに䜍眮する村で、この村で産出される絚毯は隣接するゞョヌザン産ず同じダブル・りェフトの構造。
ヘラティ文様のフィヌルドに菱圢のメダリオンを配したものが倧半ですが、ハマダン地方で産出される他のヘラティ文様の絚毯よりも織りは现かく構造も異なるため刀別は容易です。
メダリオンずコヌナヌの䞭には枝に連なるボテ文様が入れられるのが䞀般的。
地色は生成りもしくは濃玺がほずんどです。

タむメ

タフリシュ

はむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
「クロック・フェむス」時蚈の文字盀ずよばれる独特のメダリオン・コヌナヌを持぀絚毯で知られる産地。
このデザむンはゟロアスタヌ教の唯䞀絶察神である倪陜神を意匠化したものずもいわれたすが、近くに䜏むシャヌノァン族の圱響を受けたものずの説もありたす。
ハマダン地方の町や村で産出される絚毯の䞭では垢抜けた印象で、織りは现かくパむルも短く刈られおいたす。

タフリシュ

ダルゞェゞン

はむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの北東70キロに䜍眮する村で、ダルゞェゞンで産出される絚毯はヘラティやボテ・ミヌルのほか、サルヌク颚の花文様が䞀般的。
サルヌク颚のデザむンはゎル・ファランギを廃したメダリオン・コヌナヌのほか、アメリカン・サルヌクに倣ったものもありたす。
織りは粗く実甚向き。
トルコ結び、シングル・りェフトです。

ダルゞェゞン

トむセルカン

トむセルカンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの南30キロに䜍眮する町で、胡桃の名産地ずしお有名。
か぀おはルヌドバヌずよばれおいたしたが、モンゎル軍に町を砎壊された䜏民はトむに避難したした。
その埌、トむずこの町の北西にある町の名であるセルカンずを合わせおトむセルカンず呌ばれるようになったず蚀いたす。
マラダヌ産に䌌た幟䜕孊文様が特城で、濃玺もしくは生成りのベヌスに六角圢のメダリオンを配したデザむンが倧半。
コヌナヌは階段状に仕切られおいるものをよく芋かけたす。
トルコ結び、シングル・りェフト。

トむセルカン

ナナゞ

ナナゞはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダン州の南、マラダヌ県にある村で、県庁所圚地のマラダヌからは北に10キロ。
俗に「ハルチャンギ」蟹の意ずよばれる、ややゞオメトリカルなパルメットを配したアフシャン文様が特城で、濃玺のフィヌルドに赀のボヌダヌの組み合わせが倧半です。
シングル・りェフト、トルコ結び。

ナナゞ

ネハヌバンド

ネハヌバンドはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの南60キロに䜍眮する町で、サフランの集積地ずしお知られおいたす。
むラク北郚ぞず至る幹線䞊にあるこずから、この地においおは戊いが繰り返されたしたが、ずりわけササン朝最埌の君䞻ずなったダズドガルド3䞖圚䜍632651がアラブ軍に敗れた「ネハヌバンドの戊い」は有名。
ネハヌバンドで産出される絚毯は、幟䜕孊的な花文様をあしらったメダリオン・コヌナヌのデザむン、あるいは遊牧民颚の動物や鳥を配したデザむンが䞀般的です。
織りは決しお现かいずは蚀えないものの、パむルには光沢のある良質なりヌルが䜿甚されおいたす。
赀もしくは濃玺ベヌスのものが倧半。
トルコ結び、シングル・りェフト。

ネハヌバンド

ハマダン

ハマダンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
アルノァンド山麓、暙高1800メヌトルに䜍眮する高原郜垂で、ハマダン州の州郜。
むラン最叀の町の䞀぀であり、その起源は2000幎前にたで遡るず蚀われたす。
玀元前715幎に興ったメディア王囜の郜゚クパダナずしお、続くアケメネス朝の時代には倏の郜ずしお栄えたした。
町の呚蟺には倚くの遺跡が残っおおり、避暑地でもあるこずからむラン人には人気の芳光地。
陶噚の産地ずしおも有名です。
䞀般に「ハマダン産」ずしお流通しおいる絚毯はハマダン呚蟺の町や村で補䜜されたものが倧半で、実際にハマダンで補䜜されたものはそれほど倚くありたせん。
ハマダンの町で産出される絚毯は「シャハル・バフト」ずよばれ、織りは现かくデザむンも掗緎されおいたす。
赀ず濃玺をベヌスずしたメダリオン・コヌナヌ・デザむンを倚く芋たすが、ミフラブやオヌル・オヌバヌ等のデザむンもありたす。
トルコ結び、シングル・りェフト。

ハマダン

ビビカバド

ビビカバドはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの北東45キロに䜍眮する村で、その名は「祖母の村」を意味したす。
この村で産する絚毯は、赀のフィヌルドにヘラティ文様を配したメダリオン・コヌナヌのデザむンが倧半で、菱圢のメダリオンに連なる枝状のペンダントが特城。
倧きなサむズが倚く、ハマダン地方の絚毯の䞭では䞊クラスに䜍眮したす。
シングル・りェフト、トルコ結び。

ビビカバド

フェラハン

フェラハンはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
アラクの北、サルヌクの東にある地域の名で、フェラハンでは1880幎代に絚毯補䜜が始められたず蚀われおいたす。
倧きなメダリオンを持぀、ややゞオメトリックな花葉文様が特城で、パむルはペルシャ結びで結ばれおおり、倪い暪糞を本だけ掛けるシングル・りェフトの構造が特城。
フェラハン呚蟺では1890幎頃からタブリヌズの職人の指導を受けおトルコ結び、ダブル・りェフトの絚毯が補䜜されはじめたす。
このタむプの䜜品もフェラハンず呌ばれるこずがあるのですが、圓時は「サルヌク」ず呌称されお区別されおいたした。
今日、ダブル・りェフトの䜜品は「フェラハン・サルヌク」ず呌ばれるこずが倚くなっおいたす。
たた、マラダヌ絚毯に䌌おいるこずから「フェラハン・マラダヌ」ず呌ばれるこずもありたすが、マラダヌではトルコ結びを甚いおいるのでマラダヌ産ず別物であるこずは明らかです。

フェラハン

ホセむナバヌド

ホセむナバヌドはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの南40キロにある村で、この村で産出される絚毯は、赀もしくは濃玺、生成りのフィヌルドに配されたヘラティ文様が代衚的。
ハマダン地方の絚毯の䞭では䞭グレヌドで、シングル・りェフト、トルコ結びです。

ホセむナバヌド

ボルチャル

ボルチャルはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの東からフェラハンの西にある地域をボルチャルず呌びたすが、13䞖玀、フラグ・ハンに埓いむラン高原に進出した蒙叀人のボルチャル族の末裔が暮らすクマゞンやクンバザンの䞀垯が、やがおそう呌ばれるようになったず蚀いたす。
ボルチャルで産出される絚毯は19䞖玀の「フェラハン」に由来し、花葉文様ずヘラティ文様の二぀がありたす。
花葉文様はアメリカン・サルヌクの圱響を匷く受けたデザむンで、ハマダン地方のビレッゞ・ラグずしおは䞊䜍に䜍眮するず蚀えるでしょう。
パルデたでのすべおのサむズが補䜜されおいたすが、ずりわけドザヌルずザロニムを倚く芋たす。
同じタむプのヘラティ文様の絚毯はクマゞンの西、ホセむナバヌド方面にあるムヌサ・ハヌン・ボラギの村で補䜜されおいたす。

ボルチャル

ボルドンベ

ボルドンベはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
トむセルカンの北西に䜍眮する村で、織りず構造はトゥセルカン産ずほが同じですが、クルドが暮らす地域に隣接しおいるため、トむセルカン産にはない駱駝色のりヌルをフィヌルドの地に䜿甚した䜜品も芋られたす。
シングル・りェフトの構造で、ノットはトルコ結び。

マズラガン

マズラガンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンからテヘランぞず至る幹線䞊にある村で、この村で産出される絚毯は俗に「ラむトニング・パタヌン」ず呌ばれる、雷状のメダリオン・コヌナヌ・デザむンで知られたす。
赀いフィヌルドに濃玺のメダリオンずコヌナヌずを配し、メダリオンずコヌナヌの内偎にはロれットやボテ等を䞊べたものが倧半。
瞊糞には朚綿が䜿甚されるのが䞀般的ですが、たれにりヌルもしくはりヌルずゎヌト・ヘアダギの毛の混玡を䜿ったものもありたす。
同じタむプの絚毯は隣接するノベランやケルダルの村でも補䜜されおおり、それらを含めお「マザルガン産」ずするのが通垞。
トルコ結び、シングル・りェフトです。

マズラガン

マハラト

マハラトはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
マハラト郡の郡郜で、胞の病に効くず蚀われるマハラト枩泉があるこずで有名です。
ザグロス山脈から泚ぐアナルバヌル川沿いに䜍眮し、ビニヌルハりスによる花卉栜培が盛ん。
毎幎8月の終わりには花祭りが倧々的に開催されたす。
1875幎にむラン人ずしお最初に米囜の垂民暩を獲埗した、旅行家にしお政治運動家であったハゞ・サダヌフミヌルザ・モハンマド・アリヌはマハラトの出身。
町の呚蟺には叀くから人が䜏んでおり、ヘレニズムやゟロアスタヌ時代の遺跡がありたす。
か぀おは北郚のマハラテ・バヌラヌ䞊マハラト、䞭郚のマハラテ・ガヌレ䞭マハラト、南郚のマハラテ・パむン䞋マハラトの䞉぀の地域に分かれおいたした。
アラク地方で産出される絚毯はそのグレヌドにより「サルヌク」「マハル」「ムシュカバド」の䞉぀に分類されたすが、そのうちのマハルはマハラトに由来する名です。
しかし、実際にマハラトで生産されおいるのは最高玚品であるサルヌクが䞻流。
なお、むラン絚毯公瀟ICCにおいおはサルヌクの呌称を甚いず、「マハラト産」ずしお出荷しおいたす。

マハラト

マラダヌ

マラダヌはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
マラダヌ郡の郡郜で、人口16䞇人。
ハマダン州ではハマダンに次ぐ第二の町であり、レヌズンの産地ずしお有名です。
ザグロス山脈の北麓に䜍眮する緑豊かなこの町にはマラダヌ公園をはじめずするいく぀もの公園があり、避暑地ずしおも人気。
1722幎、サファノィヌ朝厩壊の混乱に乗じおむラン高原に䟵攻したオスマン・トルコずの間で繰り広げられたオスマン・ペルシャ戊争では、ナヌディル・クリヌ・ベグのちのナヌディル・シャヌがトルコ軍を撃退した「マラダヌの戊い」がこの地で起こりたした。
マラダヌで産出される絚毯はトルコ結びでシングル・りェフトの構造が特城。
西のりシュバンやネハヌバンド、東のゞョヌザンやタむメ、南のボルゞェルドなどで補䜜された絚毯を含めお「マラダヌ産」ず呌ぶこずがありたすが、それらの村々で補䜜される絚毯はこもごも性質が異なっおおり、䞀括りにするには無理があるでしょう。
タむメに近い地域で補䜜される絚毯は「ミッシャン・マラダヌ」ず呌ばれ、タむメ産に䌌たデザむンでメダリオンの倖呚には「コック・コンブ」雄鶏のトサカず俗称される鋞状の食りが付いおいたす。
ミッシャンはタむメに近い村の名。
倧きなサむズはあたりなく、ドザヌル以䞋がほずんどです。

マラダヌ

ムシュカバド

ムシュカバドはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
アラク郡にある村で、産業は穀物や果物の栜培ず絚毯補䜜が䞭心。
か぀おはアラク地方における䞻芁な町の䞀぀でしたが19䞖玀初めに町は砎壊され、その埌再建されたした。
通垞「ムシュカバド」ず蚀えば、アラク地方で産する絚毯のうちもっずも䜎品質なものを指し、ムシュカバドを含めたいく぀もの村々で補䜜されおいたす。
パむルは短く傷みやすいため、テヘランのバザヌルでは䜕か倱敗をやらかすず「ムシュカバドみたいなこずをするな」ず怒られるそう。
最近ではサル・チャシュメで補䜜されたハマダン地方のビレッゞラグに䌌る絚毯を呌ぶこずが倚いようです。

ムシュカバド

メヘラバン

メヘラバンはむラン䞭西郚、ハマダン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ハマダンの北の山間、ダマクの西にある地域の名称。
東アれルバむゞャン州のヘリズの南にも同名の村があり絚毯が補䜜されおいたすが、ここで玹介するのはハマダン州のメヘラバンです。
メヘラバンでは䞻に现長い圢状のランナヌ・タむプの絚毯が補䜜されおおり、䞭には10メヌトルを超えるものたでありたす。
アメリカン・サルヌクのデザむンが倧半で、フィヌルドの地色は柔らかな赀、ボヌダヌは濃玺か生成色が䞀般的。
トルコ結び、シングル・りェフトです。

メヘラバン

リリアン

リリアンはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
アラク南東のケメレず呌ばれる地域にある町。
䜏民はサファノィヌ朝のアッバス䞖により匷制移䜏させられたアルメニア人の子孫で、圌らは珟圚もキリスト教を信仰しおいたす。
リリアンで産出される絚毯はむランでは「アルメニバフ」すなわちアルメニア織りず呌ばれおいたす。
シングル・りェフトの構造で、ペルシャ結びだけでなくトルコ結びを甚いお補䜜されたものもあるため、ハマダン地方の絚毯ずよく間違われたすが、ピンク色の暪糞を䜿甚したものが倚いので刀別は容易。
ヘラティずアメリカン・サルヌクのデザむンのほか、䞭倮に十字架を隠したスパむラル状のメダリオンず花束ずをピンクに近い淡い赀のフィヌルドに配した独自のデザむンがありたす。
パむルには艶のある柔らかいケメレ産のりヌルが䜿甚されおいたす。

リリアン

ルヌドバヌ

ルヌドバヌはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
フェラハンの北にある村で、この村で産出される絚毯は織りず配色が隣接するタフリシュずほが同じであるものの、デザむンはフェラハンによく䌌おいたす。
生成りのフィヌルドに描かれる赀を䞻䜓ずしたヘラティ文様は、フェラハン産よりも花の郚分がより匷調されおいお、色は明るめ。
パむルはスポンゞのように柔らかく匟力性に富むのが特城で、暪糞にはピンクの朚綿糞が䜿われるこずが倚いようです。
シングル・りェフト、トルコ結び。

ルヌドバヌ

レむハン

レむハンはむラン䞭西郚、マルカゞ州にあるペルシャ絚毯産地です。
マルカゞ州の州郜アラクの南東にあるケメレ地区にある村。
䜏民の倚くがアルメニア人ですが、隣接するリリアンずは異なり、レむハンの人たちはむスラム教シヌア掟を信仰しおいたす。
レむハンで産出される絚毯はリリアン産ず同じシングル・りェフトの構造。
赀いフィヌルド䞀面に幟䜕孊的なヘラティ文様を配し、花を連続させた癜いボヌダヌで囲ったデザむン代衚的です。
ドザヌル以䞋のサむズがほずんどで、倧きなものは芋かけるこずがありたせん。
リリアン産同様、パむルにはケメレ産の滑らかで艶のあるりヌルが䜿甚されおいたす。
トルコ結びずペルシャ結びの䞡方がありたす。

レむハン

むラン䞭倮郚のペルシャ絚毯産地

むラン䞭倮郚のペルシャ絚毯産地

アルデカン

アルデカンはむラン䞭倮郚、ダズド州にあるペルシャ絚毯産地です。
アルダカン郡の郡郜で人口玄7侇5000人。
砂挠ず岩山に囲たれたこの町は、改革掟ずしお知られたセむ゚ド・モハンマド・ハタミ元倧統領の出身地でもありたす。
アルダカンは「聖地」「枅い堎所」の意味で、名が瀺すずおり叀来この地域はゟロアスタヌ教の拠点の䞀぀。
近郊のシャリファバドにはむラン囜内だけでなく、パキスタンやむンドからも倚くの巡瀌者が蚪れたす。
アルダカンにおける絚毯補䜜はむランの囜内垂堎においおカシャヌン絚毯が品薄ずなった1970幎代に始たり、以来カシャヌン絚毯のコピヌ品を補䜜しおいたす。
カシャヌン産ずしお売られるこずが倚いのですが、カシャヌン産に比べるず織りが粗く、品質は萜ちるので泚意が必芁。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

アルデカン

アルン

アルンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
むスファハン州の北にある小さな町で、珟圚は隣接するビッゎルず合䜵し、アルノ・ビッゎル郡人口5侇5000人を圢成しおいたす。
町の歎史は叀く、シルクロヌドに近かったこずから、か぀おは倚くの隊商が行き来したず蚀われたす。
カビヌル砂挠の西端に䜍眮するこの町は、幎間を通じおほずんど雚が降らず、蟲業に適しおいたせん。
それゆえ産業は手工業䞭心で、ずりわけ絚毯補䜜はこの町の倧きな収入源になっおいたす。
アルンにおける絚毯補䜜は19䞖玀末に始たったず考えられたすが、カシャヌンに近いこずから、カシャヌン絚毯に倣った䜜品がほずんど。
カシャヌン産に比べるず品質はやや劣るのが䞀般的です。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

アルン

むスファハン

むスファハンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
むスファハン州の州郜で人口玄160䞇人。
むラン第二の人口を有し「むランの真珠」ずも讃えられるこの町は、むラン有数の工業郜垂ずしお、たた䞭東随䞀の芳光郜垂ずしお有名です。
ザグロス山脈東麓、暙高 1590mの高原地垯に䜍眮し、南北、東西を結ぶ幹線が亀わる芁衝ずしお、叀くから栄えおきたした。
むスファハンの歎史はアケメネス朝の時代、ナダダ人がこの地に町を築いたのが始たり。
ササン朝期には町の呚蟺に軍の駐屯地や捕虜の収容所が眮かれたした。
むスファハンの名は軍隊を意味する「セパヌハン」「アスパハン」に由来し、7䞖玀に町を埁服したアラブ人によっお定着したず蚀われたす。
1072幎にセルゞュク朝の第3代スルタンずなったマリク・シャヌ䞖が、宰盞ニザヌム・アルムルクの進蚀に基づきニシャヌプヌルからむスファハンに遷郜。
これによりむスファハンは最初の繁栄期を迎えたす。
町は敎備され、モスクやマドラサ神孊校、キャラバン・サラむ隊商宿が建蚭されたした。
いたも残るむスファハンで最も高い建造物であるミナヌレ・マスゞェデ・アリヌは、マリク・シャヌが狩りの最䞭に誀っお殺しおしたった子䟛の慰霊のために建立したものず䌝えられたす。

むスファハン

セルゞュク朝の滅亡埌は停滞期に陥りたすが、1597幎にサファノィヌ朝第代皇垝アッバス䞖がカズビンからこの町に遷郜を実斜。
むスファハンは第二の繁栄を迎えたす。
町は倧芏暡な郜垂蚈画に基づいお敎備され、壮麗なモスクや宮殿、バザヌルや新垂街が建蚭されたした。
人口は50䞇人に達し、その繁栄ぶりは「むスファハンは䞖界の半分」ず讃えられるほどであったず蚀いたす。
しかし、1722幎にミヌル・マフムヌド率いるアフガン軍がこの町に䟵攻。
むスファハンは陥萜し、サファノィヌ朝は事実䞊滅亡したした。
サファノィヌ朝の滅亡埌、䜏民はむラクやむンドに移䜏し、人口は䞇人にたで枛少。
カゞャヌル朝の時代になるずバクチアリ郚族連合のもずで埩興が始たり、続くパフラノィヌ朝の時代には工業ず芳光産業が集䞭的に振興され、芋事埩興を遂げたした。
サファノィヌ朝の時代には宮廷盎営あるいは宮廷埡甚達の絚毯工房が倚数存圚しおいたずされ、17䞖玀埌半にむスファハンを蚪れたフランスの商人ゞャン・シャルダンの旅行蚘にもこの町で絚毯補䜜が行われおいたこずが蚘されおいたす䞊画像。
しかしサファノィヌ朝の滅亡ずずもにそれらの工房は廃業に远い蟌たれ、むスファハンにおける絚毯産業は途絶。 それが再開されるのは20䞖玀初頭になっおからのこずです。

むスファハン

埩興期にはアフマド・アゞャミ䜜品は䞊画像ら、カシャヌンからやっおきた絚毯䜜家や職人の指導を受けたものず考えられたすが、やがおこの町出身の絚毯䜜家アブドラヒム・シュレシやデザむナヌのミヌルザ・アガヌ・むマヌミずいった名匠が登堎し、むスファハンにおける絚毯産業を牜匕したした。
瞊糞に絹を甚いた緻密な織りの䜜品が補䜜されるようになり、20䞖玀半ばにはケルマンやカシャヌンに倉わるペルシャ絚毯の最高玚品を産出する町ずしお有名になりたす。

むスファハン

モハンマド ・レザヌ・シャヌの時代にはレザヌ・セヌラフィアン、ムスタファヌ・サッラフ・マムリ䜜品は䞊画像、ハサン・ヘクマトネゞャヌドらの絚毯䜜家やむヌサヌ・バハヌドリヌ、アフマド・アルチャング、ゞャノァッド・ロスタム・シラヌズィヌらの䞋絵垫が珟れ、埩興埌の最盛期を迎えたした。
しかし、需芁の高たりが品質の䜎䞋を招くのは䞖の垞で、むスファハンにおいおも「ゞュフティ」ず呌ばれる誀魔化しのテクニックが蔓延するようになりたす。
たた無銘の䜜品に有名工房の停サむンを付け加えるこずも頻繁に行われるようになりたした。
珟代においおもむスファハンはペルシャ絚毯の最高玚品を産する町ずしおの地䜍は保っおいるものの、品質にはバラ぀きがあるこずを知っおおく必芁があるでしょう。

むスファハン

カシャヌン

カシャヌンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
人口は玄40䞇人のカビヌル砂挠の西端に䜍眮するオアシス郜垂で、町の呚蟺には「カナヌト」ず呌ばれる灌挑甚の地䞋氎路を芋るこずができたす。
叀来、織物や陶噚、タむルなどの手工芞が盛んで、ロヌズ・りォヌタヌの産地ずしおも有名。
この地域には先史時代から人が䜏んでいたず蚀われ、西4キロにあるシアルクにはその痕跡が残されおいたす。
セルゞュク朝の時代には城塞が築かれ、テヘランの南に䜍眮するレむずずもに陶噚や圩釉タむルの産地ずしお名を知られるようになりたした。

カシャヌン

サファノィヌ朝の時代になるず宮廷の保逊地ずなり、ずりわけ第代君䞻であったアッバス䞖は、近郊のフィンに庭園を造営し、この町に埋蔵されるこずを望んだず蚀われたす。
遺蚀どおりアッバス䞖の遺䜓は、町䞭に建おられたハビヌブ・゚ブネ・ムヌサヌ廟に安眮されたした。
ちなみにフィヌン庭園はむラン近代化の祖、アミヌル・カビヌルミヌルザ・タギヌ・ハヌンが暗殺された堎所であるこずから「アミヌル・カビヌル庭園」ずも呌ばれおいたす。
アミヌル・カビヌルはカゞャヌル朝第代君䞻であったナセル・りッディン・シャヌの䞋で「䞊からの改革」を進めたすが、シャヌは圌を曎迭。
カシャヌンに隔離された埌、シャヌの䜿いによりフィン庭園の济宀で殺害されたした。
カシャヌンはサファノィヌ朝の時代に織物業が盛んになったず蚀われたす。
ロンドンのビクトリア・アンド・アルバヌト博物通に収蔵されおいるサファビヌ朝時代の倧䜜「アルデビル絚毯」䞊画像も、䜜者であるマクスド・カシャヌニが同地の出身であるこずや圓時の時代背景から、カシャヌンで補䜜されたずする説がありたす。

カシャヌン

カシャヌンにおける絚毯産業は1722幎のサファノィヌ朝の滅亡以来、途絶したものの19䞖玀末に埩興し、カシャヌン産絚毯は20䞖玀初頭には、それたでのケルマン産絚毯にずっおかわり高玚絚毯の代名詞ずいわれるたでになりたした。
埩興期にはパむルに茞入品のメリノ・りヌルを䜿甚した、いわゆる「マンチェスタヌ・カシャヌン」や、サファノィヌ朝期のポロネヌズ絚毯を再珟したシルクず金銀糞による「スフ」レむズド・シルクの䜜品䞊画像など、倚圩な䜜品が登堎しおいたす。
しかし第二次䞖界倧戊で欧州が戊堎になり茞出が䜎迷したこずをきっかけに埐々に品質が䜎䞋し、トップの座を近くに䜍眮するむスファハンに奪われおしたいたした。
1970幎代に入るず原油䟡栌の高隰に䌎う富裕局の増加により囜内需芁が急増。
以埌カシャヌンでは実甚品に近い䜜品が倧半ずなりたす。
今日カシャヌンにはむスファハンニアンをはじめずするいく぀かの工房が存続しおおり、シルク絚毯も補䜜されおいたす。

カシャヌン

クム

クムはむラン䞭倮郚、クム州にあるペルシャ絚毯産地です。
クム州の州郜で、人口は玄120䞇人。
か぀おはマルカゞ州に属しおいたしたが、1995幎にクム州が新蚭されたこずにより、その州郜ずなりたした。
カビヌル砂挠の西端、テヘランからむスファハンぞず至る幹線䞊に䜍眮し、町の東には塩挠が広がりたす。
そのため氎質が蟲耕・飲料に適さず「クムの氎を飲むず病気になる」ず蚀われるほど。
ハズラテ・マスメを擁し囜内倖から倚くの巡瀌者が蚪れるこの町は、マシャドに次ぐむスラム教シヌア掟の聖地ずしお知られおきたした。
アッバス2䞖をはじめずするサファノィヌ朝の君䞻たちや聖職者たちの霊廟が立ち䞊ぶクムはたた、神孊教育の拠点ずもなっおおり、むラン革呜を指導したルヌホッラヌ・ホメむニもこの地に孊んだ䞀人でした。
むマヌム・ホメむニ囜際神孊校は3000人にのがる留孊生を無償で受け入れおいたす。
クムの歎史はササン朝の時代に遡り、䞖玀初頭、メルノに滞圚䞭の兄むマヌム・レザヌを蚪ねおむランを旅しおいたファヌティマがこの町で客死し、圌女の墓を䞭心ずした巡瀌地が誕生しお宗教郜垂になったず蚀われたす。
ファヌティマはむスラム教の開祖であるモハンマドの嚘ず同名ゆえ混同されるこずがよくありたすが、別人物。
1501幎に興ったサファノィヌ朝が十二むマヌム掟を囜教に定めおからは、宮廷の保護を受けお繁栄したした。
1978幎にパリに亡呜しおいたホメむニヌを䞭傷する蚘事が新聞に茉りたす。
これを受けクムで孊生を䞭心ずしたデモが発生。
この動きはたちたち党囜的な反政府暎動に広がり、翌1979幎にはホメむニヌが垰囜しお革呜政府が暹立され、パフラノィヌ朝が倒れされるむラン革呜に発展したす。
革呜埌、むスラム共和囜の最高指導者ずなったホメむニはテヘランに移るたでの数幎間、クムから囜政を叞りたした。

クムにおける絚毯補䜜は1930幎代半ばに始たったずされおいたす。
初期の時代にはアリヌ・タヌゞル・ラシュディザデ、メヒディヌ・アルサラニらカシャヌン出身の絚毯䜜家が掻躍し、この町における絚毯産業の基盀を創りたした。
この頃補䜜された䜜品には他産地のデザむンを真䌌たものが倚く、それは町の絚毯のみならず郚族民の絚毯にたで及んでいたす。
1960幎代に入るずシルク絚毯が補䜜され始め、以埌りヌル絚毯ずシルク絚毯の割合は逆転。
1980幎代にはシルク絚毯が䞻流になり、りヌル絚毯はほずんど補䜜されなくなりたした。
その埌、日本でバブル景気が起こるずクム絚毯の需芁は䞀気に増し、クムから遠く離れたむラン北西郚のザンゞャンやマラゲでそのコピヌ品が補䜜されるようになりたす。
たた補䜜にかかる時間を短瞮するため、クムにおいおもペルシャ結びからトルコ結びに切り替える工房が増え始めたした。
タブリヌズず䞊び、むランの絚毯の産地の䞭ではもっずも流行に敏感なのも特城の䞀぀ず蚀えるでしょう。

ゎルパむガン

ゎルパむガンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ゎルパむガン郡の郡郜で、人口玄5䞇人。
暙高1830メヌトルに䜍眮したす。
ゎルパむガンは「花の砊」「チュヌリップの土地」を意味し、䞀説によるずササン朝の歊将であったバフマンの嚘、サミラによっお建蚭されたずされたす。
サファノィヌ朝のむスファハン総督であったパルサダン・ゎルゞヌゞャニヌゞヌは眷免された埌、アッバス2䞖からむスハク・アガヌ祭祀長に任呜されこの地の5぀の村を䞎えられたした。
ゎルパむガンで産出される絚毯は、メダリオンやコヌナヌにハゞ・ハヌミのロれットを配したデザむンが倧半。
赀いフィヌルドには耇数の花瓶文様が眮かれるこずが倚く、゚レガントな雰囲気を挂わせおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ゎルパむガン

サマン

サマンはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャハレコレド郡にある町で、州郜シャハレコレドの北に䜍眮するこの町は、バクチアリ絚毯の高玚品を産する町の䞀぀です。
ダブル・りェフトの䞈倫な構造で、ヘシュティ文様のほかメダリオン・コヌナヌ・デザむンも倚く芋たす。
今日サマンの名は、ダブル・りェフトのバクチアリ絚毯の総称ずしおもちられるこずもあるようです。
トルコ結び。

サマン

シャハレコレド

シャハレコレドはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
チャハルマハル・バクチアリ州の州郜で、人口玄15䞇人。
䜏民はバクチアリ、カシュガむ、むラン人からなり、蟲業のほか垜子やフェルトの産地ずしおも知られおいたす。
ザグロス山脈の海抜2,070メヌトルに䜍眮し、最も高所に䜍眮する州郜であるこずから「むランの屋根」ずも呌ばれたす。
この町の歎史はアルケサス朝の時代にたで遡るず蚀われたすが、詳しくはわかっおいたせん。
ゟロアスタヌ時代には英雄の砊を意味する「デズ・ゎルド」ず呌ばれおいたのが、アラブ人の䟵攻埌「デ・クルド」クルドの村ず呌ばれるようになったず䌝えられたす。
その名が町を意味するシャハルに眮き換えられおシャハレコレドに改名されるのは1935幎のこずでした。
シャハレコレドではダブル・りェフトのバクチアリ絚毯の高玚品が補䜜されおいたす。
19䞖玀末から、この町の呚蟺にはバクチアリ郚族連合のむルハン所有の工房が次々ず開蚭されたした。
20䞖玀前半にはテリトリヌ内で石油が発芋されお郚族連合内の富裕局が拡倧。
それに䌎い絚毯の需芁も増加し、高品質の絚毯が生産されるようになったず蚀いたす。
ヘシュティず呌ばれるパネル文様が代衚的ですが、ガヌビず呌ばれる枠組み文様、むスファハン絚毯に倣ったメダリオン・コヌナヌなど様々なデザむンがありたす。
今日に至っおも倩然染料が䜿甚されおおり、その䞈倫さず盞たっおペヌロッパで人気。
ノットはトルコ結びです。

シャハレコレド

シャラムザヌ

シャラムザヌはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャハレコレドの南に䜍眮する村で、ダブル・りェフトのバクチアリ絚毯の䞭ではもっずも質の劣る絚毯を産出しおいたす。
それゆえ倀段は安く、実甚的。
ヘシュティずガヌビず呌ばれる枠組み文様が倧半ですが、シャハレコレド産、サマン産よりもデザむンは幟䜕孊的で単調なのが特城。

シャラムザヌ

シャヌレザ

シャヌレザはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャヌレザ郡の郡郜で、人口玄11䞇人。
か぀おはゎムシェず呌ばれおいたしたが、シャヌレザの霊廟があるこずから珟圚の名に改められたした。
むスファハンずシラヌズずを繋ぐ幹線䞊に䜍眮するこの町は、叀来北郚ペルシャの芁衝ずしおキャラバンサラむが眮かれ栄え、サファノィヌ朝末期には銖郜むスファハン防衛の砊が建蚭されたした。
か぀おはむスファハン颚の絚毯を補䜜しおいたしたが、クムでりヌル絚毯がほずんど補䜜されなくなっおからは、クム産に倣ったりヌル絚毯を補䜜しおおり、近くのむスファハン同様にパヌト・シルクの技法を甚いた䜜品も芋られたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

シャヌレザ

ゞョヌシャガン

ゞョヌシャガンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
メむメ郡にある村で、むスファハン北のカルカス山䞭、カシャヌンからむスファハンに至るか぀おの亀易路の途䞊に䜍眮し、むランでは「ゞョヌシャガネ・ガリ」絚毯のゞョヌシャガンの愛称でよばれおいたす。
か぀おはカシャヌンからむスファハンぞず至る亀易路の経由地ずしお垂堎が開蚭されおいたしたが、1788幎にテヘランがカゞャヌル朝の銖郜になるず、垂堎はテヘランずむスファハンずを繋ぐルヌト䞊にあるメむメに移りたした。
ゞョヌシャガンは叀くからの絚毯産地ずしお知られ、サファノィヌ朝䞋で補䜜された䞀連の「花瓶文様絚毯」はケルマンでなくゞョヌシャガンで補䜜されたずする説がありたす。
しかし、ゞョヌシャガンのような小さな村に宮廷埡甚達の工房があったずは考えにくいずしお異議を唱える研究者も倚いのが実際。
ゞョヌシャガンで産出される絚毯は、雪の結晶に䌌た幟䜕孊的な花葉文様をフィヌルド党䜓に配した「ゞョヌシャガン文様」で有名。
ゞョヌシャガン文様はカシャヌンやむスファハンの絚毯にも採り入れられおいたすが、同じデザむンの絚毯を産するメむメに比べるずゞョヌシャガンのものは織りは粗く、実甚品ずしおの印象を拭えたせん。
「ビッド・マゞュヌヌン」マゞュヌヌンの柳ず呌ばれる幟䜕孊的な柳文様ず組み合わされるこずも倚く、フィヌルドの地色は赀、濃玺、青、生成りのいずれかですが、叀いゞョヌシャガン絚毯には錆色を甚いたものもありたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトの構造で、サむズはキャレギがもっずも倚く芋られたす。

ゞョヌシャガン

チャヌデガン

チャヌデガンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
チャヌデガン郡の郡郜で、人口7000人。
ザグロス山脈の東麓に、ザヌダンデ川䞊流に䜍眮するこの町はむスファハン州最倧の貯氎湖であるチャヌデガン湖で有名。
この湖の呚りには倚くの宿泊斜蚭があり、週末をこの地で過ごすむスファハンからのリゟヌト客を迎えおいたす。
チャヌデガンにおける絚毯補䜜は町興しの䞀環ずしお、むラン絚毯公瀟の指導により始たりたした。
むスファハンやカシャヌン颚の絚毯を補䜜しおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

チャヌデガン

チャハルショトゥヌル

チャハルショトゥヌルはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャハレコレド郡にある村で、州郜シャハレコレドに近いこの村では、ビビバフを陀くバクチアリ絚毯の最高玚品が補䜜されおいたした。
チャハルショトゥヌルで産する絚毯はむランで「ヘシュティ」ずよばれるパネル文様で、栌子内のボテペむズリヌ文様や花葉文様がやや曲線的なのが特城。
もずもず生産量が少なく、ケルマン地方における「ラバヌ」やアラク地方における「サルヌク」同様、珟圚は品質を瀺すなずしお䜿われる堎合が倚いようです。
トルコ結び、ダブル・りェフト。

チャハルショトゥヌル

ツデシケ

ツデシケはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
むスファハン郡のクヌパむ゚地区にある町で、人口は玄4000人。
むスファハンずナむンの䞭間に䜍眮するこの町では、か぀おきわめお高品質な絚毯が補䜜されおいたした。
ツデシケにおける絚毯補䜜はむスファハンずほが同時期、20䞖玀初頭に始たったず蚀われたす。
「コチニヌル・レッド」ず呌ばれる青みかかった赀ず濃玺ずを基調ずし、耇雑無比なそのデザむンは圓時のむスファハン絚毯を凌駕するほどでした。
アミン・サデキらの絚毯䜜家が登堎し数々の名品を残したすが、第二次䞖界倧戊の頃に生産を終えたようです。
珟存するものが少なく、ツデシケ産ずしお流通しおいる絚毯の䞭には第二次䞖界倧戊埌に補䜜されたナむン産が倚く混じっおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ツデシケ

ナむン

ナむンはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ナむン郡の郡郜で、人口は玄7侇5000人。
カビヌル砂挠の西端、むスファハンからケルマンぞず至る幹線䞊に䜍眮する砂挠の町で、呚蟺にはカナヌト地䞋氎路が発達しおいたす。
穀物、堅果、矊毛などの蟲産物の集積地ずなっおおり、絚毯、陶噚の産地ずしおも有名。
ナむンの名はノアの子孫、ナ゚ンに由来するず蚀われるが劂く、叀い歎史を有しおいたす。
ゟロアスタヌ時代に城塞や瀌拝堂が築かれおおり、近郊のモハンマディヌ゚には「サルダブ」あるいは「アバヌ・バヌフィヌ」ず呌ばれる地䞋䜏居がありたす。
アラブ人の䟵略埌、ゟロアスタヌ寺院の䞊にむランでもっずも叀いモスクの䞀぀であるマスゞェデ・ゞャメが建造され、むル・ハン朝の時代にはミナレットや説教壇が远加されたした。
この頃には既にこの町においお機織りが盛んであったず蚀いたす。
ナむンの人たちはか぀おゟロアスタヌ教埒が掘った掞窟の䞭に機を蚭眮し、りヌル補の生地を補䜜しおいたした。
のちにナむンではアバヌず呌ばれるアラブ䌝来のコヌトが補䜜されるようになり、地䞋䜏居に付されたアバヌ・バヌフィヌの名には「アバヌ織り」の意味がありたす。
産業革呜以降、安䟡なペヌロッパ産の機械織生地が出回るようになり、曎に20䞖玀に入るずずむランにおいおも掋装が普及しはじめ、ナむンの繊維産業は衰退しおゆきたす。
そうした状況を受け、この町においおも絚毯補䜜が始たったのでした。

ナむン

ナむンにおける絚毯補䜜はむスファハンの職人の指導により1920幎代に始たったずされたす。
機織りに慣れおいたナむンの職人たちはたちたちにしお腕を䞊げ、緻密な織りの䜜品を織りあげるようになりたした。
ナむンが絚毯産地ずしお泚目を济び始めるのは第二次䞖界倧戊の頃からで、圓時ナむン産絚毯を競っお買い求めたのはテヘランの成金たちであったず蚀いたす。
そうした䞭、のちに「ナむン絚毯の父」ず称されるようになる絚毯䜜家が登堎したした。
ファットラヌ・ハビビアン・ナむニヌです。
圌の䜜品がロンドンにおいお奜評を博しおから、ナむン絚毯の䜜颚は倧きく倉わりたした。
それたでの暗めの色調はアむボリヌを基調ずした明るいものずなり、以埌ナむン絚毯の代名詞ずしお定着したす。
ハビビアンがナむン絚毯の父ず呌ばれるのはそのため。

ナむン

ナむン絚毯は品質を衚す䞉぀のランクに分けられたす。
䞊から順に「チャハヌルラヌ」「シシラヌ」「ノヌラヌ」で、チャハヌル4、シシ6、ノヌ9の数字は瞊糞の撚りの数。
数字が小さくなればなるほど糞は现くなり、織りは现かくなりたす。
瞊糞には朚綿が䜿甚されるのが䞀般的ですが、近くのむスファハン同様パヌト・シルクの技法が甚いられおいたす。
ナむンでは1990幎代にノヌラヌの生産はほずんど終了しおおり、今日出回っおいるものはむラン䞭東郚のタバスやカシュマヌルで補䜜されたコピヌ品が倧半。
これらのコピヌ品にはナむンで䜿甚される倩然染料ではなく合成染料が甚いられ、たたパむルの䞀郚に䜿われる絹糞の代わりに朚綿が䜿甚されるなど、本物のナむン産に比べるず品質は倧きく劣るので泚意が必芁です。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ナむン

ナゞャファバド

ナゞャファバドはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ナゞャファバド郡の郡郜で、人口玄20䞇人。
むラン有数の倧郜垂であるむスファハンに隣接し、柘抎やアヌモンドの産地ずしお、たた呚蟺地域における蟲産物の集積地ずしお知られおいたす。
サファノィヌ朝のアッバス䞖がむスファハンに遷郜した埌、銖郜防衛の城塞が築かれたのが町の起こり。
ナゞャファバドにおける絚毯補䜜はナむン同様、むスファハンの絚毯職人の指導により1920幎代に始たりたした。
むスファハンで調達した玠材ず䞋絵ずを甚いお補䜜されるため倖芋䞊はむスファハン産ず倉わりないものの、瞊糞には絹ではなく朚綿が䜿甚されおおり、織りもむスファハン産ほど现かくありたせん。
ずはいえ染料の質は高く、手軜にむスファハン産の高玚絚毯の雰囲気を味わえるずしお魅力でした。
パルメットやむスリムで食ったフィヌルドに八芒星型のメダリオンを配したデザむンが圧倒的に倚く、他にアフシャン文様、ゞョヌシャガン文様などがありたす。
ナゞャファバド絚毯は、か぀お欧米に倧量に茞出されおおり、絚毯業者の䞭にはこれらナゞャファバド産を「むスファハン産」ずしお販売しおいるずころがあるので泚意が必芁。
倧郜垂むスファハンの商業圏に組み蟌たれたナゞャファバドにおける絚毯補䜜は、いたではほずんど行われなくなっおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ナゞャファバド

ナスラバヌド

ナスラバヌドはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
むスファハン郡にある人口6000人ほどの村。
䜏民の倚くはルリの定䜏民で、アバデ産に䌌た「むリダティ」のデザむンの絚毯を補䜜しおいたす。
むリダティはむリダト郚族の文様の意。
この村で産出される絚毯は䞊䞋に矢印に䌌た矊の角文様を持぀メダリオンを配したデザむンが特城的です。
瞊糞は朚綿で、ダブル・りェフトの䞈倫な構造。

ナスラバヌド

ビス

ビスはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ゎルパむガン郡にある村で、郡郜ゎルパむガンの南に䜍眮するこの村で産出される絚毯はアラク地方の絚毯ずの共通点が倚く芋られたす。
しかし、そのデザむンは倧きく異なっおおり、鉀状の食りを持぀六角圢のメダリオンず菱圢の倧きなサルトランゞが特城。
織りは粗いものの、䞈倫ゆえ実甚に向いおいたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ビス

ファラドンベ

ファラドンベはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
ボルゞェン郡にあるバクチアリの村で、州郜シャハレコレドずシャヌレザのほが䞭間に䜍眮し、隣接するボルダゞ同様シングル・りェフトの絚毯が補䜜されおいたす。
ボルダゞ産に比べるず織りは緻密で、他のバクチアリ絚毯ずは異なり、ずおも柔らかなりヌルが䜿甚されおいたす。
ペヌロッパ颚の花文様を配した䜜品が倚く、色調はかなり掟手め。
シングル・りェフトのバクチアリ絚毯の䞭では䞊ランクに䜍眮したすが、色が滲みやすいのが欠点です。
パむルはトルコ結びで結ばれおいたす。

ファラドンベ

フェリダン

フェリダンはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
ザグロス山脈の東麓、チャヌデガンの北にある地域の名。
アルメニア人の居䜏する地域に接し、むスファハンからむラン北西郚の山岳地垯に至る幹線䞊に䜍眮するこの地域では、バクチアリ絚毯の䜎玚品が補䜜されおいたす。
フェリダンで産出される絚毯は、シングル・りェフトの構造ながら分厚く䞈倫で、実甚に向いおいたす。
デザむンはヘシュティずガヌビが倧半ですが、他のバクチアリ絚毯のような繊现さはなく、きわめお歊骚。
トルコ結びです。

フェリダン

ボルダゞ

ボルダゞはむラン䞭倮郚、チャハルマハル・バクチアリ州にあるペルシャ絚毯産地です。
ボルゞェン郡にある村で、シングル・りェフトのバクチアリ絚毯の䞭では䞭間ランクのものを産出しおいたす。
同じシングル・りェフトの構造を持぀フェリダンよりも織りは现かくデザむンは耇雑。
ただし、摩耗しやすいので激しく䜿う堎所には向きたせん。
ノットはトルコ結びです。

ボルダゞ

メむメ

メむメはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャヒンシャヌル・メむメ郡の郡郜で、人口玄6000人。
テヘランずむスファハンずを結ぶ幹線䞊に䜍眮し、カゞャヌル朝の時代にはゞョヌシャガン州珟圚はむスファハン州の䞀郚の州知事の邞宅がありたした。
メむメで補䜜される絚毯は隣接するゞョヌシャガンのそれ䌌た、いわゆる「ゞョヌシャガン文様」のものがほずんど。
ゞョヌシャガン産に比べるず織りはやや緻密で、はっず目を匕く矎しい赀に特城がありたす。

メむメ

モバラケ

モバラケはむラン䞭倮郚、むスファハン州にあるペルシャ絚毯産地です。
モバラケ郡の郡郜で、人口6侇5000人。
むスファハンの南50キロに䜍眮するこの町は、䞭東・北アフリカ最倧の鉄鋌䌚瀟であるむラン・スチヌル・カンパニヌを擁し、倧芏暡な工業団地を圢成しおいたす。
モバラケにおける絚毯補䜜はむスファハンず同時期、20䞖玀初頭に始たったず蚀われおいたす。
むスファハン絚毯に倣った流麗な花葉文様の䜜品を補䜜しおいたしたが、町の工業化に䌎い生産量は枛少。
1980幎代には生産を終えたした。
コチニヌルで染色された青みがかった赀ず濃玺ずをベヌスにした䜜品が倚く、織りは緻密で柔らかな䜜りが特城。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

モバラケ

ダズド

ダズドはむラン䞭倮郚、ダズド州にあるペルシャ絚毯産地です。
ダズド州の州郜で人口玄50䞇人。
カビヌル砂挠ずルヌト砂挠が亀わる荒れた高地に䜍眮し「カビヌルの橋」ず呌ばれるこの町は、叀来ゟロアスタヌ教の䞭心地ずしお、たた絹織物や陶噚などの手工芞品の産地ずしお知られおきたした。
也燥した砂挠地垯にあるこの町の呚蟺には䞖界最倧のカナヌト地䞋氎路が巡らされおおり、たた歎史地区に残る建物にはバヌド・ギヌルず呌ばれる換気甚の倧きな塔が蚭けられおいたす。
これらは2016幎から2017幎にかけお、ナネスコの䞖界遺産に登録されたした。
ダズドの歎史は3000幎前にたで遡り、メディア王囜の時代には「ダスティス」「むッサティス」ず呌ばれおいたした。
ササン朝の時代、第14代君䞻であったダズデギルド䞖圚䜍399〜420幎がネハヌバンドの戊いの埌この町に立寄ったこずからダズドず呌ばれるようになったず蚀いたす。
その埌、アラブ人の䟵攻によりむランはむスラム化したすが、それを嫌うゟロアスタヌ教埒は蟺境の砂挠の町であるダズドに逃がれお来お、以降この地に定䜏したした。
第代正統カリフであったりスマヌンの時代、バヌヌ・タミヌム族がこの地を統治し、11䞖玀に入るずセルゞュク朝の地方政暩であったカヌクむ゚朝が支配。
町は最初の繁栄期を迎えたした。
カヌクむ゚朝のガルシャヌスプ・むブン・アリヌ・むブン・ファラヌムルズがカトワヌンの戊いで戊死するず、ルクン・アッディヌン・サヌム・むブン・ランガルがアタベく摂政ずなっお、ダズド・アタベク朝が成立。 しかし13䞖玀に興ったむルハン朝に滅がされたす。
むルハン朝のアルグンは13䞖玀のモンゎルの䟵攻埌ホラサンから逃がれおきたアラブ人、シャラヌフ・りッディヌン・ムザッファルをダズドに近いメむボドの代官に任呜し、その子ムバヌリズ・りッディヌン・モハンマドは1318幎、むルハン朝の第代君䞻アブヌ・サむヌドに任じられおダズドの総督に就任。
ムバヌリズはアブヌ・サむヌドの死埌1336幎にムザッファル朝を興し、1353幎にシラヌズに移るたでダズドを銖郜ずしたした。
1392幎ティムヌル朝の時代に入るずダズドは最盛期を迎え、新しい城壁やタヌキヌ゚ず呌ばれる耇合斜蚭が建造され、町は敎備されたした。
サファノィヌ朝、カゞャヌル朝期には宮廷の盎蜄地ずなりたすが、バヌブ教埒の反乱、立憲革呜など混乱の枊に巻き蟌たれたした。
叀来、ダズドではテルメず呌ばれる絹織物が補䜜されおきたした。
テルメはか぀お䞊流階玚の衣服に甚いられたず蚀われ、1272幎にこの地を蚪れたマルコ・ポヌロの『東方芋聞録』にも蚘されおいたす。

ダズド

しかし、この地においおい぀の頃から絚毯が補䜜されおいたのかは明らかでありたせん。
サファノィヌ朝の時代、宮廷の盎蜄地であったダズドには織物工房ずずもに絚毯工房が眮かれおいたこずは十分にあり埗たすが、ダズドで補䜜されたず掚定される䜜品は䞀枚も残っおいないのが珟実です。
信頌できる説ずしおは18䞖玀のナディヌル・シャヌの遠埁埌、戊利品ずなったホラサン地方の絚毯がこの地に運ばれ、それを暡した絚毯が補䜜されるようになったずするものがありたす。
叀いダズド絚毯には萜ち着いた色調のヘラティ文様を配した䜜品䞊の画像が存圚するこずが信憑性を䞎えおおり、18䞖玀以来この町においおそうした絚毯が補䜜されおきたこずはおそらく間違いないでしょう。
しかし、それらの生産量は限られおおり、ダズドにおける絚毯産業が本栌化するのは19䞖玀末、ケルマンの職人の指導を受け始めおからのこずです。

ダズド

産業革呜以降、安䟡な機械織補品に垂堎を奪われたのはケルマンやナむンに同じ。
その打開策ずしおダズド商人たちは近くのケルマンから職人を招聘し、絚毯補䜜を始めたのでした。
以来ダズドではケルマン颚の絚毯䞊の画像が補䜜されおいたしたが、むラン革呜埌ケルマン絚毯の茞出が激枛したこずを受け、囜内需芁を狙ったカシャヌン颚絚毯の補䜜に方向転換し今日に至っおいたす。
カシャヌン颚のダズド絚毯に぀いおは「カシャヌン産」ずしお販売されおいるのをよく芋かけたすが、カシャヌン産に比べるずデザむンが単調で織りは粗く、品質は倧きく劣るので泚意が必芁。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

ダズド

むラン䞭東郚のペルシャ絚毯産地

むラン䞭東郚のペルシャ絚毯産地

タバス

タバスはむラン䞭東郚、南ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
タバス郡の郡郜で、人口は玄3侇5000人。
ルヌト砂挠ずショリヌ山脈の狭間にある暙高700メヌトルの町で、ナツメダシや柑橘類をはじめずする様々な暹朚が茂る緑豊かな町ずしお知られおいたす。
たた近くには石炭鉱山があり、この町の経枈を豊かなものにしおいたす。
タバスの歎史は叀く、ササン朝時代からホラサンぞず通じる芁衝ずしお栄えたした。
13䞖玀の蒙叀軍の䟵攻を逃れたのち、フェルドヌスずゎナヌバヌドずを含めた共同䜓ずなりたす。
ザンド朝時代に建蚭されたゎルシャン庭園はペルシャ匏庭園の傑䜜の䞀぀ずしお有名です。
1978幎この町をマグニチュヌド7.7の地震が襲い、ゎルシャン庭園を含む町の倧半が壊滅。
死者は1侇5000人にも䞊りたした。
震灜埌の埩興に向けた産業育成の䞀環ずしお絚毯補䜜が始たり、以来ナむン産に倣ったアむボリヌを基調ずする明るい色合いの絚毯を補䜜するようになりたす。
1990幎代にナむンにおいおノヌラヌずよばれる9本撚りの朚綿糞を瞊糞に䜿甚した絚毯の生産が終了しおからは、その代甚品を䟛絊する産地ずしお知られるようになりたした。
最近では6本撚りの现い瞊糞を持぀「シシラヌ」の代甚品も補䜜されるようになっおいたす。
ナむンでは柄糞の䞀郚に絹を甚いたパヌト・シルクの技法が採甚されおいたすが、タバスで補䜜された絚毯には朚綿を䜿甚したものも倚くありたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

タバス

ドロクシ

ドロクシはむラン䞭東郚、南ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ビルゞャンド郡にある町で、ビルゞャンド、ガ゚ンなどずずもに、か぀お「クヘスタン」ず呌ばれたアフガニスタン囜境に近い山岳地垯にありたす。
ホラサンはティムヌル朝期以来の絚毯補䜜の歎史を持぀ず蚀われる地方。
この地方はヘラティ文様の発祥の地ず蚀われ、ホラサンの䞭心であったヘラヌトに由来したものであるこっはよく知られおいたす。
たた18䞖玀のナヌディル ・シャヌによるむンド遠埁により戊利品ずなったムガヌル絚毯がこの地に䌝わり、そのデザむンが真䌌られるようになったずも蚀われたす。

ドロクシ

19䞖玀埌半に始たるむランにおける絚毯産業の埩興期、ドロクシにおいおも生産が本栌化したした。
ヘラティのほかムガヌル絚毯の圱響を受けたボテペむズリヌなど繊现で耇雑なデザむンに加え、フランスのオヌビュッ゜ンやサボネリ゚で補䜜された敷物䞊画像の圱響を受けたず思われる抑制された色調が特城。
䞻にフランスに向けお茞出されおいたしたが、第二次䞖界倧戊埌に生産を終えたした。
叀い䜜品には瞊暪糞にりヌルが䜿甚されおいたすが、20䞖玀に入っおからのものは朚綿が䞀般的です。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ドロクシ

ビルゞャンド

ビルゞャンドはむラン䞭東郚、南ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
南ホラサン州の州郜で、人口は玄22䞇人。
アフガニスタン、パキスタンずの囜境に近く、マシャドからペルシャ湟岞のチャヌバハヌルに至る幹線䞊に䜍眮するむラン東郚の䞻芁郜垂の䞀぀で、むラン料理には欠かせないサフラン、メギの産地でもありたす。
叀来この地方はクヘスタン山囜ず呌ばれ、サファノィヌ朝期にはそれたでクヘスタンの䞭心であったガ゚ンに代わっお栄えたした。
カゞャヌル朝期たではアラム䞀族による自治が敷かれおいたしたが、䞭倮集暩を目指したパフラノィヌ朝期に入るずその重芁性を倱い、マシャドを州郜ずするホラサン州に組み蟌たれたす。
クヘスタン地方が南ホラサン州ずしお独立するのは2004幎になっおからのこずでした。
クヘスタン地方は䞀説によるず、ティムヌル朝期以来の長い絚毯織りの歎史を持぀ずされおいたすが、生産が本栌化するのは19䞖玀埌半のこずです。
ビルゞャンドにおいおも絚毯産業を䞻導したのはミヌルザ・アブドルアリヌ・タブリヌズィヌらのタブリヌズ商人たちでした。
第二次䞖界倧戊の頃たではマシャド産に倣った暗い色調の絚毯が補䜜されおいたしたが、今日ではタブリヌズ産に䌌たヘラティ文様ず、バクチアリ颚のヘシュティ文様の䜜品が倧半。
ホラサン土着のホラサニ皮の矊の良質なりヌルがパむルに䜿甚されおおり肌觊りは滑らかですが、むスファハンやケルマン同様、ゞュフティで結んだものも倚いので品質を芋きわめる必芁がありたす。
小さなマットからランナヌたで、あらゆるサむズがあり、パむルの䞀郚に絹糞を甚いたパヌト・シルクの䜜品もよく芋かけたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ビルゞャンド

フェルドヌス

フェルドヌスはむラン䞭東郚、南ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
フェルドヌス郡の郡郜で、人口は玄3䞇人。
砂挠地垯䞻に南ず西ず山岳地垯特に北ず東の間のむランの高原に䜍眮しおおり、柘抎ずサフランの産地ずしお有名です。
メディア人によっお建蚭されたこの町は、か぀お「タバン」ず呌ばれおいたず蚀いたす。
むスラム化以降はトゥヌンず呌ばれガ゚ンずずもにホラサン南郚の䞻芁郜垂しお知られるようになりたすが、1239幎、蒙叀軍の䟵攻を受けお壊滅したした。
その埌、町は埩興しお埀幎の繁栄を取り戻したす。
1929幎にフェルドヌスに改名されたすが、1968幎の地震により倧きな被害を受け、町の芏暡は瞮小されたした。
フェルドヌスで産出される絚毯は、䞻に町の呚蟺に暮らすバルヌチ族が補䜜したもの。
1970幎代には俗に「バヌバヌ・タむプ」ず呌ばれる黒や茶、灰色の矊のりヌルを䜿甚したモノトヌン調の䜜品が登堎したした。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

フェルドヌス

ムヌド

ムヌドはむラン䞭東郚、南ホラサン州にあるペルシャ絚毯産地です。
州郜ビルゞャンドの䞀垯はマシャドやサブれノァヌ、カシュマヌルなどず䞊びむラン東郚における䞻芁な絚毯産地ずしお知られるが、そのうち最も品質の高い絚毯を産出しおいるのがムヌドです。
ムヌドにおける絚毯補䜜は、19䞖玀末にマシャドの絚毯職人の指導を受けお始たったず考えられたす。
それゆえ、か぀おはシャヌ・アッバスのパルメットをあしらった暗い色調のものが倧半でした。マシャド絚毯は䞻にペヌロッパで人気があったため、第二次倧戊を契機ずしおマシャドにおける絚毯産業が䜎迷期を迎えるず、ムヌドでは明るい色調のヘラティ文様を䞀面に配した絚毯が補䜜されるようになりたす。
ヘラティの名はか぀おホラサン地方の䞀郚であったアフガニスタン西郚の町ヘラヌトに由来するずいわれ、もずもずこの地方土着のデザむンですが、新たに補䜜されるようになったのは现やかな郜䌚颚の垢抜けたものです。
それは瞬く間にビルゞャンド䞀垯ぞず䌝搬し、やがおこの地域における䞻流ずしお定着するこずになりたした。
今日、ムヌド産ずしお流通しおいる絚毯の䞭には品質の劣るビルゞャンド産が倚く混ざっおいるのが実際で、実際にムヌドで補䜜されたものは少数です。
パむルはペルシャ結びを甚いお極めお緻密に結ばれたすが、これにはホラサニ皮ずいうホラサン地方の矊のりヌルが甚いられたす。
ホラサニ皮のりヌルは柔らかくおコシがあり、良質なこずで有名。
パむルの䞀郚に絹を甚いたパヌト・シルクの䜜品も今日では䞀般的ずなりたした。
瞊糞ず暪糞は朚綿で、ルヌル・バフト、ダブル・りェフトの構造です。

ムヌド

むラン南西郚のペルシャ絚毯産地

むラン南西郚のペルシャ絚毯産地

アバデ

アバデはむラン南西郚、ファヌス州にあるペルシャ絚毯産地です。
アバデ郡の郡郜であり、北ファヌスでは最倧の町。
人口は玄6䞇人で、䜏民にはカシュガむやルリ、アフシャルの定䜏民も倚くいたす。
ササン朝の時代からアバデ呚蟺には城塞が築かれおいたしたが、本栌的な町ずしお発展したのはシラヌズが銖郜ずなったザンド朝の時代から。
暙高2000メヌトルの肥沃な高原地垯に䜍眮するアバデは、北ファヌスの䞻芁な蟲䜜物の集積地ずしお、たた胡麻油、蓖麻子油のほか、絚毯、朚圫、ギヌベず呌ばれる垃靎などの手工芞品の産地ずしお有名です。
か぀おこの町で補䜜される絚毯は「ゞリ・スルタニ」に代衚されるナニヌクなデザむンで知られおいたしたが、最近では「ヘバトゥルヌ」ずよばれる、カシュガむ颚の幟䜕孊的なメダリオン・コヌナヌ・デザむンがほずんど。
瞊暪糞には朚綿が䜿われるので、䞀般にりヌルを䜿甚しおいるカシュガむ産やシラヌズ産ずの識別は容易です。
青い暪糞が甚いられるこずもしばしば。
ランナヌを含むすべおのサむズを補䜜しおいたすが、もっずも倚いのはドザヌルです。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

アバデ

シラヌズ

シラヌズはむラン南西郚、ファヌス州にあるペルシャ絚毯産地です。
ファヌス州の州郜で人口は玄120䞇人。
ザクロス山脈の海抜1486mに䜍眮し、枩和な気候を利甚しお穀物や柑橘類、棉花、花卉などが栜培されおいたす。
むラン革呜以前はワむンの産地ずしおも有名で、フランスのロヌヌ地方のシラヌ皮はむランからフランスに持ち蟌たれたずする説があるほど。
石油化孊コンビナヌトや粟補所、セメント砂糖肥料織物などの工堎を有する工業郜垂でもあり、たた䞖界に知られる名門シラヌズ倧孊を有する教育郜垂、曎にむスファハンに䞊んでむランを代衚する芳光郜垂でもありたす。
この町を創建したのは『シャヌ・ナヌメ』王曞に登堎する叀代ペルシャ第3代の王、タフムヌラスゞャムシヌドの父であるず䌝説されるほどに叀い歎史を有しおおり、シラヌズの名は、叀くぱラム語のティラチスあるいはチラチスに由来したものずされおいたす。
セレりコス朝からササン朝に至るたでの重芁郜垂の䞀぀であり、932幎にむマヌド・りッダりラ、ルクン・りッダりラ、ムむッズ・りッダりラのブワむフ䞉兄匟が興したブワむフ朝ではその銖郜ずなりたした。
モンゎル人の支配䞋においおシラヌズは、モスクや霊廟、倧図曞通を擁しおバグダヌドに匹敵する宗教・教育の䞭心地ずなり、むランが生んだ二倧詩人サアディヌずハヌフィズを茩出。
たた、シラヌズ掟ず呌ばれた现密画家たちの本拠地ずなり、ペルシャ文化が開花したす。
サファノィヌ朝の時代には第代君䞻であったアッバス1䞖が銖郜むスファハンずずもにこの町を敎備。
シラヌズは20䞇人の人口を擁する郜垂に成長し、最盛期を迎えたした。
サファノィヌ朝の滅亡埌、1750幎にザンド族のカリム・ハヌンが興したザンド朝の銖郜になり、新たにモスクや城塞が建造されたすが、むランの芇暩を狙うカゞャヌル郚族連合のモハンマド・ハサンがシラヌズに䟵攻。
これを撃退しモハンマド・ハサンを蚎ち取ったカリム・ハヌンは、モハンマドの息子アガヌ・モハンマドを人質ずしおシラヌズに軟犁したした。
1779幎にカリム・ハヌンが没するず、アガヌ・モハンマドはシラヌズを脱出。
カゞャヌル朝を興しおザンド朝を滅がしたす。
パフラノィヌ朝第2代君䞻であったモハンマド・レザヌ・シャヌはシヌラヌズをむスファハンずずもに「むランのパリ」にすべく倧金を投じ、町は数あるむランの郜垂のなかでもずくに近代的な倧きな郜垂ずなりたした。

シラヌズ

シラヌズ産ずしお流通しおいる絚毯は、実はシラヌズの町で補䜜されたものではありたせん。
シラヌズの呚蟺にはカシュガむやハムセ、ルリらの郚族、あるいはその亜族らが暮らしおおり、圌らが補䜜する絚毯はシラヌズのバザヌルに集積されたす。
補䜜した郚族を特定できるものには郚族名が付されたすが、そうでないものも倚く、そのため䟿宜䞊「シラヌズ産」の名称を甚いおいる蚳です。
「カシュガむ産の別名がシラヌズ産である」ずか「カシュガむ絚毯の䜎玚品がシラヌズ産ずしお取匕される」ずか説明されるこずがありたすが、完党な誀りずは蚀えないものの正解ではありたせん。
ちなみに最近人気のギャッベに぀いお「カシュガむの遊牧民が移動しながらテントの䞭で補䜜しおいる」ずする説明をする絚毯業者が倧半ですが、ギャッベは定䜏したカシュガむが補䜜したものがほずんど。
シラヌズの絚毯商の䞭にはいく぀もの「ギャッベ埡殿」を持぀者さえいるこずは知っおおいおよいでしょう。

シラヌズ

ニリヌズファヌス州

ニリヌズはむラン南西郚、ファヌス州にあるペルシャ絚毯産地です。
シラヌズずシルゞャンの䞭間にある村で、バヌブ教埒1850幎のバヌブ教埒の乱の䞭心地の䞀぀ずなりたした。
この町では支配者ず垂民の䞀郚が察立関係にあり、ダズドから来たアガヌ・セむ゚ド・ダフダ・ダラヌビが垃教を始めるず、すぐに1000人ほどがバヌブ教に改宗。
これにより察立が激化し、蜂起に至りたした。
ダラヌビ率いるバヌブ教埒は郊倖の城塞を占拠したすが、ファヌス総督軍により2ヶ月で鎮圧。
1853幎には郜垂支配者がバヌブ教埒に暗殺され、小芏暡な蜂起が再発したした。
カシュガむ颚のヘバトゥルヌ文様の絚毯などはシラヌズ産ずしお取り扱われるのが䞀般的ですが、瞊暪糞には朚綿を䜿甚されおおり、構造的にはアフシャル絚毯ずの共通点が芋られたす。
デザむンや色調にシルゞャンなどアフシャルの圱響を匷く受けたものもあり、暹朚文様はよい䟋です。
特城的な赀はシラヌズの赀より明るいのが特城。
ペルシャ結びで、ニム・ルヌル・バフトの構造です。

ニリヌズ

フィルザバドファヌス州

フィルザバドはむラン南西郚、ファヌス州にあるペルシャ絚毯産地です。
むラン南郚最倧の郜垂であり、ザンド朝の銖郜ずもなったシラヌズの南方に䜍眮する村。
この䞀垯はむランに䜏むトルコ系最倧の郚族であり、珟圚も頑なに遊牧生掻を営むカシュガむ族の冬の宿営地ずなっおおり、フィルザバドの䜏民には遊牧生掻を捚おお定䜏した元カシュガむ族もいたす。
フィルザバドで産出される絚毯は、カシュガむ族の䞭でも最も品質の高い絚毯を補䜜しおいるカシュクリ族出身者によるもので、ビレッゞ・ラグずしおは最高の品質を有しおいたす。
なかには同じくトルコ結びによっお補䜜されるタブリヌズの最高玚品に匕けを取らぬ驚異的なノット数を持぀ものさえあり、培底した品質管理がなされおいるこずがわかりたす。
パむルには少し硬さのあるファヌス地方の矊のりヌルが䜿甚されたすが、染料の質は極めお高いです。
カシュクリ族に限らずカシュガむの諞郚族は瞊糞ず暪糞にもりヌルを甚いたす。
しかし、元カシュガむ族が補䜜するアバデのものず同様に、フィルザバド産には綿が䜿われるのが䞀般的。
たた、カシュガむ産に倚いニム・ルヌル・バフトではなくルヌル・バフトの構造です。
ドザヌル以䞋のサむズがほずんどで、倧きなものはあたり芋かけたせん。
䞀般にカシュガむ族䌝統のデザむンが甚いられたすが、仕䞊りは郜垂郚で補䜜される絚毯に近いです。
フィルザバド産絚毯の産出量は限られおおり、入手が難しいものの䞀぀ず蚀えるでしょう。

フィルザバド

むラン南䞭郚のペルシャ絚毯産地

むラン南䞭郚のペルシャ絚毯産地

ケルマンケルマン州

ケルマンはむラン南䞭郚、ケルマン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ケルマン州の州郜でルヌト砂挠の西端、暙高1755メヌトルの高地に䜍眮し、人口は玄60䞇人。
ケルマンには僅かにゟロアスタヌ教埒が存圚しおいたす。
䞖玀にむランがむスラム化されるず倧半のゟロアスタヌ教埒がむンドに逃れたすが、圌らはむランに留たった教埒たちの子孫。
今日、むラン囜内のゟロアスタヌ教埒は2侇5000人ほどず蚀われたす。
この町の歎史はササン朝の時代にたで遡り、アルデシヌル䞖により創建されたずするのが定説。
ケルマンの名はギリシャ人がこの町を呌んだ「カルマ二」に由来するずされたす。
1048幎、セルゞュヌク朝を興したトゥグリル・ベグの甥カヌブルト・ベグの䞀軍がホラサンから䟵攻し、セルゞュク朝の地方政暩であるケルマン・セルゞュク朝を建囜したした。
第第君䞻トゥラヌン・シャヌ䞖はファヌス地方を勢力䞋に眮き、曎に第代君䞻アルスラヌン・シャヌ䞖の時代にはオマヌンを支配し、最盛期を迎えたす。
ケルマンは亀易郜垂ずしお倧いに栄えたすが、内玛により埐々に衰退し、やがおトクメンの䟵攻を招いおケルマン・セルゞュク朝は1187幎に滅亡したした。
その埌はモンゎル人のフラグ・ハンが興したむルハン朝に支配されたす。
1271幎にこの町を蚪れたマルコ・ポヌロは『東方芋聞録』に「王囜は滅がされタルタル人の統治者がいる」ず蚘しおいたすが、タルタル人ずいうのはタタヌル人のこずでモンゎル系の人たちのこず。
曎にマルコはケルマンに぀いお「トルコ玉を産し銬具やカヌテンを生産する」ず玹介しおいたす。

ケルマン

サファノィヌ朝の時代になるず、曎なる発展を芋たず蚀われたすが、サファノィヌ朝の滅亡埌は䞍幞な時代を迎えるこずになりたした。
1794幎、カゞャヌル郚族連合のアガヌ・モハンマド・ハヌンのちにカゞャヌル朝初代君䞻アガヌ・モハンマド・シャヌがケルマンを攻撃。
町は砎壊され、䜏民の倚くは虐殺されたした。
その埌もずの町の北西に新たに町が建蚭されたす。
サファノィヌ朝の時代、この町には宮廷盎営の絚毯工房が開蚭され、数々の名品が補䜜されたず䌝えられたす。
「花瓶文様絚毯」や「サングスコ絚毯」がその代衚栌ですが、郜から遠く離れたケルマンに宮廷工房が存圚したずは考えにくいずしお異議を唱える研究者がいるのが実際。
ずりわけサングスコ絚毯に぀いおは「ケルマンに動物文様の䌝統はなく、むスファハンもしくはカシャヌンで補䜜されたずするのが自然」ず米囜ペルシャ矎術考叀孊研究所長であったアヌサヌ・りブハム・ポヌプは芋解しおおり、むラン囜立絚毯博物通はその産地をタブリヌズないしはカシャヌンずしおいたす。

ケルマン

ケルマンでは叀来「パテ」ず呌ばれる刺繍が盛んで、か぀おはむンドのカシミヌル地方ず䞊ぶ手織ショヌル䞊画像の名産地でした。
しかし産業革呜以降、ペヌロッパで安䟡な機械織ショヌルが流通するようになるず需芁が激枛。
ショヌル産業は衰退したす。
19䞖玀末、スルタナバヌド珟圚のアラクにおけるゞヌグラヌ商䌚の成功に觊発された米囜のむヌスタン・ラグ瀟がこの町に絚毯工房を開蚭。
むスタンブヌルで掻動しおいたむタリアのネンルコ・カステリヌ商䌚、英囜のオリ゚ンタル・カヌペット・マニュファクチャヌズ瀟OCMも進出し、ケルマンにおける絚毯補䜜は短期間のうちに軌道に乗りたした。
その背景には、ショヌル産業で培った技術があったこずは玛れもない事実でしょう。
埩興期においおはモフセン・ハヌン・シャヌロキずアフマド・ハヌン・シャヌロキずいう巚匠が珟れたした。
のちのケルマン絚毯のデザむンは、この二人の䞋絵垫の圱響が倧であったず蚀えたす。
1920幎代から30幎代にかけおはアリヌ・ケルマニや「ケルマンの絚毯王」ずよばれたモハンマド・むブン・ゞャヌファルモハンマド・アルゞュマンドらの絚毯䜜家、アフマド・ハヌン・シャヌロキの息子であるホセむン・ハヌンずハサン・ハヌン兄匟らの䞋絵垫が掻躍し、数々の名䜜を生み出したした。
ケルマンはペルシャ絚毯の最高玚品を産する町ずしお䞖界的に有名になり、1937幎に日本建築孊䌚が発行した『窓掛ず敷物』ず題する小冊子にも「䞀番この『ペルシャ』のもので有名なKirmanものは、其の性質が最もよろしい」ず蚘述されおいたす。

ケルマン

しかし第二次䞖界倧戊埌の米囜垂堎においおプレむン・タむプの俗に蚀われる「ケルマン・コヌラニ」䞊画像や「アメリカン・ケルマン」䞋画像が人気になるず、ゞュフティを甚いた質の劣るものも補䜜されるようになりたした。
ケルマン・コヌラニはコヌランの衚玙を暡したデザむンで、赀や濃玺、濃緑を基調ずした厳栌なデザむンであるのにのに察し、アメリカン・ケルマンはパステル・カラヌを基調ずした柔らかで自由な䜜颚が特城。
1979幎にむラン革呜が起こり、米囜倧䜿通占拠事件をきっかけに米囜ずの囜亀が断絶。
ケルマンの絚毯産業は倧きなダメヌゞを受けたす。
以埌生産量は枛少し、今日に至っおいたす。
ケルマンでは玡瞟前に染色する先染めを甚いおおり、色の深さはむラン随䞀ですが、1930幎代からは合成染料が䜿甚されはじめたした。
ノットはペルシャ結び、構造はダブル・りェフトです。

シャハレババクケルマン州

シャハレババクはむラン南䞭郚、ケルマン州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャハレババク郡の郡郜で、人口は玄4䞇人。
䜏民の倚くはサファノィヌ朝のむスマむル1䞖により匷制移䜏させられたアフシャル族です。
近郊にはむラン最倧の銅山があり、鉱業が盛ん。
この地域には1侇2000幎前から人が䜏んでいたず蚀われ、シャハレ・ババクから36km離れたメむマンド村にはむラン高原で最初に人類が䜏んでいた痕跡が残っおいたす。
シャハレババクは「ババクの町」の意で、その名は町を創蚭したず䌝えられるペルシス王囜の君䞻、ババクの名に由来するもの。
ババクはアルサケス朝末期の混乱の䞭で次第に勢力を拡倧したした。
ファヌス地方の領䞻の嚘を嚶った埌、矩父の䞀族を廃しおペルシス王囜を建囜したず蚀われたす。
ペルシス王囜はアルケサス朝に敗れおその傘䞋に入りたすが、ファヌス地方からケルマン地方に至るたでの地域を支配し、アルケサス朝䞋では最倧の勢力を有しおいたした。
ババクの子アルデシヌル1䞖は224幎、アルケサス朝に反旗を翻し、ホルミズド平原の戊いにおいおアルタバノス4䞖に勝利。
これによりササン朝が誕生したす。
シャハレババクで産する絚毯はアフシャル族が補䜜する、いわゆる「ケルマン・アフシャル」ですが、ゞルゞャン産ず䞊びそれらの䞭でももっずも質の高いものずしお知られおいたす。
デザむンはアフシャルの䌝統的文様である様々な幟䜕孊文様のほか、ケルマン絚毯に倣った千花文様もあり倚圩。
瞊糞には朚綿が䜿甚されたすが、ルヌル・バフトずニム・ルヌル・バフトの二぀がありたす。
ペルシャ結び、ダブル・りェフトです。

シャハレババク

シルゞャン

シルゞャンはむラン南䞭郚、ケルマン州にあるペルシャ絚毯産地です。
シルゞャン郡の郡郜で、人口は玄35䞇人。
州内ではケルマンに次ぐ人口を有しおいたす。
ザグロス山脈ずビッドハン山脈ずの狭間に䜍眮し、ピスタチオのほか、アヌモンド、胡桃、薬草の産地ずしお有名です。
か぀おは流刑の地でしたが、石炭、鉄、銅、金などの鉱物資源に恵たれ、たたケルマン、シラヌズ、そしおペルシャ湟岞の枯町バンダル・アッバスずを繋ぐ䞭継地ずしお栄えたした。
町はアケメネス朝からアルケサス朝にかけおの時代、もしくはササン朝の時代に創蚭され「シルガン」ず呌ばれおいたしたが、アラブ人の䟵入埌、アラビア語の発音に合わせおシルゞャンず呌ばれるようになったず蚀いたす。
シルゞャンの呚蟺にはアフシャルが暮らしおおり、シルゞャン産ずされる絚毯はアフシャルの女性たちが補䜜したもの。
いわゆる「ケルマン・アフシャル」アフシャルを参照ずしおはシャハレババク産ずずもに最高玚品ずされたす。
瞊糞には朚綿が䜿甚されるのが䞀般的で、ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

シルゞャン

ダハゞ

ダハゞはむラン南䞭郚、ケルマン州にあるペルシャ絚毯産地です。
シャヌババク郡にある町で、人口は玄8000人。
マサヌフン山脈の麓に䜍眮し、䜏民の倚くが定䜏したアフシャル族です。

ダハゞ

ラバヌ

ラバヌはむラン南䞭郚、ケルマン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ラバヌ郡の郡郜で人口は玄2侇5000人。
ルヌト砂挠の端に䜍眮するこの町は、か぀おケルマン地方で産出される絚毯の最高玚品を補䜜するこずで有名でした。
この町においお最高玚のケルマン絚毯が補䜜されるようになった経緯に぀いお、1794幎のアガヌ・モハンマド・ハヌンによる虐殺を逃れたケルマンの絚毯職人たちがラバヌに䜏み着いたからだず説く者がありたすが、圓時のケルマンでは絚毯補䜜は行われおおらず、単なるお䌜話に過ぎたせん。
ラバヌにおける絚毯補䜜はケルマン同様19䞖玀末に始たりたした。
圓時ラバヌにおける絚毯補䜜を取り仕切っおいたのは、この町を治めるアッバス・ハヌン・ナヒヌダヌバルずいう人物でした。
20䞖玀初頭にはケルマンの絚毯䜜家アリヌ・ケルマニやモハンマド・むブン・ゞャヌファルのちにモハンマド・アルゞュマンドず改名らの泚文を受け、ラバヌはケルマン絚毯の最高玚品を産出する町ずしお知られるようになりたす。
しかし、第二次䞖界倧戊の頃から埐々に品質が䜎䞋。
ずりわけむラン革呜以降は䞻芁な茞出先であった米囜ずの取匕がなくなったこずもあり、か぀おのような逞品はほずんど補䜜されなくなりたした。
今日ラバヌの名はアラク地方の「サルヌク」同様、品質を衚す名称ずしお䜿われおおり、その生産は、むしろラフサンゞャンやマハンが䞻流になっおいたす。

ラバヌ

ラフサンゞャン

ラフサンゞャンはむラン南䞭郚、ケルマン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ラフサンゞャン郡の郡郜で、人口は玄13侇5000人。
也燥した砂挠地垯に䜍眮するこの町はピスタチオの産地ずしお有名です。
アリヌ・アクバル・ハシェミ・ラフサンゞャニ元倧統領はラフサンゞャン郊倖のナフ出身。
ラフサンゞャンで産出される絚毯はケルマン産に倣った千花文様の䜜品がほずんど。
織りは緻密で、最近ではケルマン絚毯の最高玚品ずしお知られる「ケルマン・ラバヌ」の倚くがこの町で補䜜されおおり、ラフサンゞャン産ずしお出回るこずは通垞ありたせんが、むラン絚毯公瀟ICCでは産地名にラフサンゞャンを甚いおいたす。
ダブル・りェフトの構造で、ノットはペルシャ結び。

ラフサンゞャン

むラン南東郚のペルシャ絚毯産地

むラン南東郚のペルシャ絚毯産地

ザボヌル

ザボヌルはむラン南東郚、シスタヌン・バルヌチスタン州にあるペルシャ絚毯産地です。
ザボヌル郡の郡郜で、人口13䞇人。
シスタヌン・バルヌチスタン州では䞉番目に倧きな町です。
か぀おはシスタヌンず呌ばれおいたしたが、パフラノィヌ朝のレザヌ・シャヌにより珟圚の名に改められたした。
アフガニスタンずの囜境に近く、呚蟺にはバルヌチ族が暮らすこの町の䜏民はダリヌ語やバルヌチ語に近いペルシャ語の方蚀を話したす。
ザボヌルはむランずアフガニスタンを繋ぐだけでなく、アフガニスタンからペルシャ湟岞のチャバハル枯ぞず至る経由地ずなっおおり、デララム・ザランゞ高速道路が走っおいたす。
叀来、北から南に吹く倏に非垞に持続的な塵の嵐である 「バヌデ・サドヌ・ビヌスト・ルヌズ」120日間の颚は有名でしたが、それは数時間で人間の肺に損傷を䞎える可胜性があるずしお、䞖界保健機関WHOは2016幎、ザボヌルを倧気が汚染された町の䞖界ワヌスト・ワンに認定したした。
ハムン湖に近く、叀来ヘルマンド川の灌挑斜蚭に頌っおきたしたが、近幎来の枩暖化によりハムンの湿地垯は埐々に狭たり、2000幎には消滅が確認され、蟲業は倧きな打撃を受けおいたす。
もずもずザボヌルは呚蟺のバルヌチ族が補䜜した絚毯の集積地ずしお知られおいたしたが、危機に瀕した蟲業に代わる産業育成にむラン絚毯公瀟ICCや蟲村埩興聖戊隊ゞハヌドが乗り出し、最近ではむスファハンやカシャヌンに倣った郜垂颚の絚毯が補䜜されるようになりたした。
赀や濃玺を基調ずしたドザヌルずキャレギがほずんどです。
ペルシャ結び、ダブル・りェフト。

ザボヌル

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